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逢瀬 *side:伊織*

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**伊織**

(あ、桜)

大学内に植えてある桜の花びらがひらひらと舞っている。

風に吹かれて、目の前まで数枚飛んでくる。

「水瀬、花びら付いてんぞ」

隣を歩いていた友人が教えてくれる。
髪の毛に引っかかっていたらしく、手を伸ばして取ってくれた。

「ありがと」
「桜、好きなん?」
「どうして?」
「じーっと見てたから」
「んー、好きかどうかと聞かれたら、好きだけど」

そういえば。
俺の大好きな彼女の苗字は、"桜井"だったっけ。
俺は桜よりも断然彼女の方が好きだな。


食堂に入って適当な席に座る。
リュックの中から弁当を取り出す。

「最近お前の弁当、豪華だよなー。作ってんの、母ちゃん?」
「実家じゃないし。シェアハウスで同居してる女の子が作ってくれるんだ」
「へー!いいなー!彼女?」
「残念。そうだといいんだけどね」

今日の弁当には、珍しく面白みがあった。
白米の上に海苔をカットした文字が乗っていた。

『いつもおつかれさまです』

時間をかけて作ってくれたんだろうなと思う。君も朝からお疲れさま。

机を挟んで弁当を覗かれる。
「へー、かわいーな!ホントに彼女じゃねーの?」
「彼女はしばらくいらないかな。上条の彼女さんは作ってくれないの?弁当」
「それがよー別れたんだよ!LINEで急に振られてさ!俺なんかやっちゃったのかなー」
「あらら、お気の毒に」

しまった、話が長くなる、と思ったその時。
後ろから女性に話しかけられた。

「あの…水瀬さん!」
「はい?」

誰だろう。
といっても、わかってる。これはいつものパターンだ。

「ビジネス研究科の者です!研究棟でお見掛けした時からずっと気になってました!よかったら、連絡先を……」

ほら、来た。

「ああ、ごめんなさい。そういうのはお断りしているんです」
「で、ではLINEだけでも登録してくれませんか!?」
「すみません、お気持ちだけ」

女性は落ち込んで去っていった。


昔から俺はこういうのが多い。
知らない女性に話しかけられて、断ると落ち込まれてこっちが悪いんじゃないかと思ってしまう。
何度かは連絡先を交換したりお付き合いしたりしたこともあるけど、俺が最後まで好意を抱くことができずに別れた。

「お前、ほんっとモテるよなー」
「…あまりいいものでもないよ」
「交換すればいーのに。連絡先」
「必要ないかな」

今の俺には大好きな子がいるしね。



もうすぐ18時半。院生の2年にもなると5時限連続の授業にも慣れてきたのを実感する。
最後の演習授業を終えて帰る準備をする。
「水瀬ーおつかれー」
「うん。おつかれ」
上条と別れて実習室を出る。

空は赤く染まっていた。
最近は日の入りの時間も遅くなってきた。
家まではここから徒歩で10分。そういう場所に引っ越したのだから当たり前だが、大学から近くてよかったなと改めて思う。

正門に向かって歩き出す。
自転車帰りの人やバスを待っている人など、この時間帯の正門は人が密集している。

その密集状態の場所で、ふと正門前に立っている警備員が目に入った。
誰かと話している。

「お嬢さん、ここは子供が入る場所じゃないんでねぇ」
「えと、あの、知り合いに用事がありまして…」

その話している相手に見覚えがあった。


「美咲ちゃん?」


いつも家で見ている姿。
間違いなく彼女だ。
警備員と並んでいると、どこから見ても中学生にしか見えない。

「あの、すみません!俺の知り合いです!」

警備員の後ろから声をかける。警備員と彼女が俺に気づく。
学生証を見せて、適当に言い訳をした。
「約束があって。来てもらったんです」
「そうでしたか、失礼しました」

警備員に軽く頭を下げて、彼女に「行こ」と言って手を引く。
正門から少し離れた教室棟の入り口まで彼女を連れていった。


「どうしたの、こんなところで。バイトは?何かあった?」
「あの、伊織さん、これを…」

彼女は一冊の本を渡してきた。

「あ。これ…」
「伊織さんの部屋を掃除してたら、見つけて。アルバイトの帰りに寄ったんです。届けなきゃと思って…」

それは俺が大学の図書館で借りた本だった。
裏表紙の返却期限を見ると、今日が締め切りになっていた。

危なかった。返却を延滞するところだった。
彼女が届けてくれなかったら、反省文を書かされたかもしれない。

「ありがとう。助かったよ」
「すみません、突然来てしまって…。一応連絡はしたんですけど…」
「えっ」

スマホを見ると、いくつか通知が来ていた。
今日は授業が忙しくてほとんどスマホを見なかったから気づかなかった。
偶然にも正門で彼女を見掛けて良かった。

「ごめんね、こんなところまで来てくれて。バイト帰りに疲れたでしょ」
「いえ。平気です」
「返却するから、ついてきてもらってもいい?ここにいたらまた誰かに話しかけられるかもしれないし」
「わかりました」

俺たちは図書館へ向かった。

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