春にとける、透明な白。

葵依幸

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新章「春に舞う言の葉に告白を。」

5 - 雪解けの香り

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 髪、切ったんだ。髭も。

 思ったよりも童顔で、全然記憶が繋がらなかった。けれど改めて見ればあの時のお兄さんだし、頬にも絆創膏が張ってる。

「後ろ姿が見えたものだから、ごめんね。不審がらせちゃったかな」

 いるかもしれないとは思っていたものの、実際に再会してみればなんてことはない。人は見た目で随分と印象が変わるもので、あの髭もじゃの様子からは想像できない程に丸い。柔らかな物腰は子供たちにも好かれそうな程だった。

「驚きましたけど、……えっと、なんでしたっけ?」

 靴をどうとか聞かれていた気がするけど。

「いやほら。昨日のアレで靴がびしょ濡れだったでしょ? だから今日はサンダルなのかなって」
「……ああ、そういうこと」

 確かに靴は乾いてなかったけどローファーじゃなくてスニーカーで登校したから問題ない。いまはいてるのは確かにサンダルだけど、うちの高校は上履きの代わりにサンダルが校則で決まっているのだと説明する。

 とはいえ、上履き代わりのサンダルで普通に外を出歩いているのはそれはそれで問題だし、そもそも上履きって事は学校を抜け出して来ているってことで、問題しかないわけだけど。

 もしもそれで口うるさくお説教を始めるようなら適当に学校に帰るとか言ってさよならすればいいだけだし。

 さて、どう出る。とか思っていたのにお兄さんは思ったよりもあっさりと納得して「そっか、俺が通っていた頃は上履きだったから知らなかったよ」なんて思わぬ情報を口から溢した。

「卒業生、だったんですか」
「うん、まぁ。これと言って誇れるような先輩ではないんだけどね」

 昼間からぶらぶらと、定職にも就かずにほっつき歩いてる時点でそれはなんとなくわかります。とは流石に言えなかった。「そうなんですか、へー」とか適当に相槌を打ちながらその身なりを確認する。怪しい荷物はない。白昼堂々強盗ってことはないだろうし、これで痴漢だったら叫べばいいだけの話だ。人の姿はまばらではあるけれど、往来がないわけではないし、悲鳴を上げれば誰かしら駆けつけてくれるだろう。

 ……けど、昨日犬が流されてて、この人も溺れそうになってたのに誰も助けようとしなかったからなー……。

 案外冷たいもんだ。この街の人たちって。被災した時は助け合いの精神で支え合ったというのに、日常に戻ってみればそんなもの。
 自分の身は自分で守る必要がある。なら、武器になりそうなのは例のスリッパぐらいで、例えこれで叩いたところでダメージは微妙だろう。それどころか裸足になったら逃げるのも苦労しそうだし。

「警戒されてる?」
「人並みには。華の女子高生ですから」
「なるほど。安心した」

 何が。通報してやろうか。
 携帯を取り出して牽制するとお兄さんは両手を上げて降参のポーズ。はんずあっぷ。ほーるどあっぷ、だっけ?

「もしかして僕のせいで風邪ひいてたらどうしようって心配だったんだ。元気そうなら良かったよ」

 そういって苦笑し、それだけだからと河川敷を登って歩道の方へと戻っていく。
 悪い人ではないのは昨日の事で分かってる。それだけで判断していいのか悩むけど、これも何かの縁かな。

「ほんとにそれだけ? なんか他にいう事あるんじゃないですか?」

 言ってから失敗したような気がしてむーっと唇を曲げる。

「いや、別に。お礼が欲しいとかそういうんじゃないんですけど、……お兄さんってお人好しなんですか? 昨日の今日でサンダル履いてるからって声かけます? 本当に通報されますよ」

 駄目だこれじゃ。まるで私が話したいみたいで恰好が付かない。

「……なんでもないです。足止めさせてしまってすみません、ごめんなさい。さようなら」

 呼び止めてしまった事も重ねて謝罪する。童顔だけど大学生という事はないだろう。何の仕事をしているのか知らないけど、何処かに向かう途中なのだとしたら時間を取らせたことになる。ていうか、なんかムカつく。話したいの? この人と? カッコよくもないしタイプでもないのに。

 そりゃ髪切って髭も沿ってるから随分マシだけど、それでも別に惹かれるようなものはない。第一、逆ナンとか。馬鹿みたいだ。

「なにか悩み事でも?」

 なのにお兄さんはベンチの横側に降りてくるとしゃがみ込み、私に尋ねる。まるで迷子の子供に「どうしたの」って聞くかのように、視線を合わせて、丁寧に。上手く話題を繋げなかった私をフォローするみたいな態度がますます気に入らない。

 悪い気は、しないけど。

「……知ってますか。最近ここらへんで痴漢が出るから気を付けるようにって学校で話題なんです」

 とはいえ、牽制はさせていただく。悪い人じゃなくても、念のため。

「へぇ……」

 それだけでお兄さんは少したじろいだし、「やっぱ不味いかな、女子高生と話してるのって……?」なんて私に聞いてくる。

「まぁ、得体の知れない男性に話しかけられたら誰でも警戒しますよね」

 うちの学校の卒業生だとは言ってもそんな証明は何処にもないわけだし、話のキッカケ作りって可能性もある。……なんて、いい加減もういいかな。この人に限ってそれ目当てってのはなさそうだし。

「助けるのに理由は必要ないかもですけど、関わって後悔する事もあるかもですね。気を付けないと」

 昨日の私みたいに。

 好奇心なのか親切心からか。学校を抜け出して時間を潰している女子高生の話し相手になろうってのは少しばかりお節介が過ぎる。普通は気になったとしても話しかけないのが安全策だ。本当に、簡単に通報されちゃうから。男の人って。

「私がお兄さんに襲われそうになったって言って示談金だまし取ろうとするかも」

 少しだけ脅してみた。だけどお兄さんは少しだけ寂しそうに笑って、「もしそうだとしても関わらなきゃよかったなんて、思うことはないかな。後悔する事はあるかもしれないけど」とか、まるで独り言のように溢す。恐らくそれは私に向けられた言葉ではなくて、だからこそ、不覚にも少しだけ、興味が湧いたんだと思う。

「ふーん……」

 お兄さんの横顔を伺いつつ、どういう人なんだろうって身なりを確かめる。

 そう悪くないスタイルで、服装も、……ふつう……?

 だけど他の人とはなんだか違うような感覚もあって、不思議な事に妙な親近感すらもあった。――なんだろう、これ。
 余り抱かない感情に首を傾げ、もう少しだけ探りを入れてみることにした。

「関わらなきゃ良かったって思うのって、昨日の犬のことも含めてですか?」

 もしかするとこの人も私と同じように、『川を』見ているのかもしれないと。
 淡い期待を込めて告げた言葉に対し、お兄さんは微笑むと当然のように答える。

「まぁね、ずぶ濡れになって寒かったし通りがかった幼馴染にはこっぴどく叱られたけどね」と。

 何処か今を生きているようで生きていない。少しだけピントのズレたような視線。
 私のそれは視力が悪くなったのもあるのだけど、やっぱりこのお兄さんも同じ景色を見てる。

 その事が私を突き動かす。

「お兄さんは上手だね、女の子を口説き落とすのが」
「は?」

 私が勝手に口説き落とされただけなんだろうけど。降参だ。ほーるどあっぷ。
 小難しく考える必要もなく、ただ単純に似通ったようなものを感じたのだ。明るく振舞っているように見えるけれど、何処か陰があり、もしかすると私と同じ「被災者」なのかもしれない。それもきっと、あの誰も眠っていない慰霊碑に花を添えるような人たちとは違って、死を、受け止めている、当たり前の事象として。

「話し相手になってよ、ちょうどさ、この本。面白くないから読むのやめようかなって思ってたトコなんだ」

 さらりと嘘をつく。面白いかと聞かれれば他人ひと?には勧められはしないけれど、先が気になる程度には面白い。事実、午後の授業が終わるまでは部室でこれを読んでサボるつもりだったのだ。

 ピントのズレた眼鏡をはずし、本と一緒にテーブルに置く。お兄さんは「可愛そうな作家さんだなぁ……」って言いながらタイトルを確認すると苦笑して「僕は好きなんだけど、この本」などというものだから「物好きなんだ?」って揶揄った。だってこの本の主人公は割と面倒な性格をしているから。

 記憶喪失になった女の人がいるはずもない「恋人」を探して右往左往するお話だ。
 どれだけ周囲の人に説得されようが聞く耳を持たず、自分の空白が生み出した記憶を元に周囲の関係を掻き回す主人公は今の所、いい所が一つもない。それでも見捨てず、ページをめくってしまうのだから不思議な魅力があることは確かなのだけど。所詮は物語の中だけで許される設定だろう。

 実際にそんな人が身近にいたら堪ったもんじゃない。
 早々に見捨てるか、縁を切ってしまいそうだ。

「ああ、そっか。お兄さんは困ってる人がいたら見捨てられないタイプだから」
「うーん……、別にそう言う訳でもないんだけどなぁ……」

 川に飛び込んだのは勿論、見知らずの人を(今回は犬だったけど)助けようとしたのもアレが初めてだったという。

「年の離れた女の事話してるのも、今回が初めて。正直通報されないかビクビクしてる」
「それは言われなくても分かってるから大丈夫」

 主に今回が初めてって所じゃなくて、ビクビクしてるっての。分かりやすく見て取れる。そのおかげで間違ってもナンパするような人には見えないから安心だけど。
 そうか、なんだか意外。

「困ってる人を助け歩いてる訳じゃないんだね」
「アンパン片手に人助けとか、流石にないなぁ……」

 なんとなくそれは張り込みしてる刑事さんのイメージ。いや、どうでもいいけど。

「けど変わってるね、嫌いじゃないよ。お兄さんみたいな人」
「そりゃ……、どうも……?」

 困ったように首を傾げるお兄さんが面白くて私は笑う。ただ、こんな風に誰かと話すのはなんだからしくなくて、変な感じ。

 私の好きなタイプじゃないとは思うんだけどなー……なんて。アイドルには興味ないけど、目の前のお兄さんがイケメンって訳でもないし。妙に落ち着くのはこの人の持つ空気感とか、人柄が影響しているんだろうか。

 部室で過ごした体育教師とのひと時を思い出し、先生もこの人見習えばいいのにとか思ったが最後。噂をすれば影が差すではないけど、ふと嫌な予感を感じて振り返ると目を見開き肩で息をして、馬鹿みたいに口をパクパクと慌てる先生と目が合った。

「やっば……」

 逃げよう。思った直後、先生が叫ぶ。

「藍洲夏帆さんッ、すとーっぅぷ!!! 見つけたァあああ!!」
「っ――……、」

 それはあまりにも大きな声で、運動公園中に響き渡るんじゃないかってぐらい大きくて、思わず耳を覆って、身体が強張った。

「いやいや……やめてよせんせい……それはちょっと恥ずかしいよ……」

 歯を食いしばって鼻で息をしながら降りて来た先生に身を潜めながら抗議すると先生は先生で恥ずかしそうに喚く。

「わっ……わたしだって!! 探したんだよ!? すごく!! なのに全然見つからないし、用務員さんが『外に出てった』ていうから慌ててっ……!! つぎ、わたし、授業あるのに!」
「だったら早く戻りなよ。あと10分ぐらいで5限目終わっちゃうよ?」

 私が学校を抜け出すのは今に始まった事じゃないし、単位の計算もしてるから問題ないハズなんだけど。

「それともなんですか。吉河先生に私の更生でも頼まれました? けど、それこそ余計なお世話ですよ」
「それもあるけどっ……、ていうかなんで葉流がっ……」
「はる……?」

 先生はへらへらと笑っているお兄さんの腕を掴むと「ちょっとこっち来て!」って連れて行こうとする。

 あ、そっか。先生からしたら教え子に話しかけてる怪しい人――。もしかするとお説教とか、そういう次元の話じゃなくて警察沙汰に、最近変質者が出るって話もあるからもしかして先生――、思ったが先か、身体が先か。気が付けば私は先生の腕を掴んでいた。

「藍洲……さん……?」

 至近距離で先生と目が合う。

 驚いたような、怯えるような、不思議な目。
 けれど、私自身なんで先生の腕を掴んだのか分からず言葉に詰まる。

「あ、怪しい人じゃないんです、この人は、えっと……?」

 なんなんだろう。どう説明すればいいか――、

「い、いいからッ、藍洲さんはそこに座って――、」
「いや、だから先生っ、ちょっと話を聞いて」

 正義感の強さも強情となれば厄介なものだ。全く聞く耳を持たない先生からお兄さんから引き剥がそうとし、あーだこーだと縺れ合う。次第にムキになった先生は「だから少し待ってって言ってるでしょ!?」と乱暴に私の腕を振り払おうとし、振り払われた拍子に机で腰を打つ。

「っ……」

 痛みは怒りとなって込み上げた。

「だから違うって言ってんじゃん!? お兄さん返してよ先生!!」
「はぁっ!?」

 今度はお兄さんの腕を引っ張って、無理やり先生から引き剥がすと先生も先生で猫が威嚇するみたいに私と睨み合う。

 初めて会った時から私とは合わないだろうなって思ってたけど予想以上だ。こんな人がうちの学校の教師だなんて、信じられないッ。
 いくら話し合った所で無駄だと悟り、

「行きましょ」

 お兄さんの腕を取ってその場を立ち去ろうとし、……けれど、お兄さんは困ったように私と先生を交互に見るばかりで付いてこようとはしない。

「あ、あのさ、二人とも。少し落ち着いて……」

 話せば分かるとでも言いたげで、そんな様子に腹が立った。

「もういいッ」

 そもそもこんな人の肩を持つ必要もない。
 通報されるなり先生に学校に連れて行かれるなりすればいいんだ。本当に卒業生なら悪い事にはならないだろうし、私には関係ない。

「あ、ちょっと! 藍洲さんッ」

 だけど学校をさぼり続けようとする私を先生は逃がすつもりはないみたいで今度は逆に腕を掴まれる形になる。

「なにか悩みがあるんなら先生っ、話聞くから、……ねっ……?」
「ッ――、」

 話せば、何かが変わると本気で思っている大バカ者。
 普段なら笑って「結構です、そんなの」とか軽くあしらえるはずなのに、テンションの上がっていた私は思わず腕を振り上げてしまった。

 バチンと、叩きなれていない私のビンタは、かなり痛い音を上げて響き渡り、咄嗟に先生との間に割って入ったお兄さんの頬を思いっきり打ち抜いていた。


 ――ぇ?


 何が起きたのか分からなかった。目の前の光景に言葉を失い、頭に登っていた血も一瞬で引いていく。衝撃と坂の傾斜に負けたお兄さんはよろけ、パキリと何かを踏んだ。その革靴の端からは、見覚えのある眼鏡のフレームが覗いている。

 置いていたはずのテーブルの上にそれはなく、一緒にあったハズの文庫本も地面に落ちていた。

 そういえばさっき机にぶつかったときに落としたような――、曖昧な記憶を手繰り、何が起きたのか把握するよりも早く、お兄さんが「ご、ごめんっ」と謝る。殴られたのはお兄さんの方なのにそう言って慌てて割れた眼鏡を拾う頬は赤く染まっていた。心なしか目も潤んでいて、痛かったといっているようなものだ。手を出した私に責任がある。

 謝るのだって私が先に言わなきゃいけなかった。なのに丁寧に眼鏡の破片を拾い集める姿は小さく、そんな姿にただただ罪悪感だけが積み重なっていく。

「い、……いいんです。それっ……! どうせピントも合ってなかったし、掛けても掛けなくても同じようなもんだからっ別にっ……!」

 ただ傍観しているわけにもいかないと慌てて割れた眼鏡を奪い取るとズキリと胸の奥で買って貰った時の記憶が疼いた。

 母と、……両親と、一緒に出掛けた最後の記憶。あの日、隕石が近づいているというのに目が悪くなりつつあった私の為に眼鏡を買いにつれて行ってくれた二人の背中――。

 粉々に潰れてしまった車と、荷物と、両親と、弟。そんな中で唯一無事だった眼鏡はもう、……拘るべきではない。たかが眼鏡で、実際に使っていても大して見え方は変わらないほど、視力は悪くなっていて。だから壊れてしまっても問題ないハズなのに、自然と涙はこぼれてしまう。

「す、すみませんっ……」

 情けない姿を他人ひとに見られたくなくて、顔を覆って背を向けるなんて、自分でも情けない。

 先生は先生なりに慰めようとしてくれるけれど、そんな言葉は鬱陶しいだけだった。お兄さんが「そろそろ戻らないと授業遅れるでしょ」とか先生が「けど藍洲さん放っておけないし……」とか言い争って、耳障りだった私は、

「先生は戻ってください……。私も、落ち着いたら学校戻るので」

 とその背中を学校に向けて押し出す。
 どの道、カバンは教室に置きっぱなしだ。

 貴重なものなど入っていないけれど、だからと言って一晩放り出しておくのもなんだか落ち着かない。学校に戻るつもりなのは本当だ。

「……先生は、ほら、先生の仕事果たさなきゃ」

 とお兄さんにも背を押され、納得はしてい様子の先生だったけれど学校から電話が掛かってくると渋々河川敷を登り、こちらを気にしつつも学校へと向かって走って行った。その頃にはもう涙はすっかり収まっていて、なのに目頭は熱い。垂れてきそうな鼻水を啜って、一度息を吐き、気持ちを落ち着かせてからフレームが曲がり、レンズの割れてしまった眼鏡を改めて眺めた。

 大丈夫、込み上げて来るものはあるけれど所詮は眼鏡だ。思い出に浸るほどの物でもない。

「ティッシュ、いる?」
「ありがと」

 鼻をかみながら気持ちを入れ替える。
 大丈夫、大丈夫と言い聞かせ、もう一度だけ息を吐き出してお兄さんの赤くなった頬に頭を下げた。

「すみません、私の方こそ、悪い癖なんです。直さなきゃいけないのは分かってるんですけど」

 つい、手が出てしまったといって許されるものでもない。眼鏡を踏んだのはお兄さんだけれど、その原因を作ったのはやはり私だ。

 学校を抜け出して、先生が追いかけて来なければお兄さんと鉢合わせるようなことはなかったし、お兄さんが連れて行かれそうになることもなかったのだから。こうして迷惑をかけているのも含め、すみませんと重ねて謝罪する。

 謝って許してもらおうなんて考えが浅はかだと思わざる得ないのだけど。

「舞花には僕の方から連絡入れとくから、それ、直してもらいにいこうか。商店街に眼鏡屋さん、あったと思うし」
「へ……?」

 言って腕を引かれ、思わず爪先がもつれた。転びそうになり、お兄さんの腕にしがみつきながらその意味を尋ねる。意味なんて、そのまんまだけど。理由は、なんで……?

 不思議そうにする私に「だってほら、眼鏡ないと今みたいに転びそうになるでしょ」と笑うお兄さんは照れ臭そうで、いまいち本心が透けて見えない。
 援助交際を、するような人には見えない。
 人は見かけによらないとはいうけれど、この人に限ってそういう事はないと私は思う。

 なら、なんで……? 単純に、自分が踏んで割っちゃったから?

「いや、いいって、別に。そんなの悪いですしっ……」
「うーん……悪いって言われても割ったのは事実だし、一緒に行くのが嫌だって言うならお金だけ渡すから買ってきて貰ってもいいんだけど……」

 無論首を横に振って断固拒否。

 そんなことをしたら本当に援助交際になってしまうし、お金を受け取ったら最後、それを理由に身体を要求されても言い返せない。

「目の前であんな風に……、ねぇ……? 泣かれちゃったら流石に、……見て見ぬふりは出来ないでしょ」

 自分で言っていて恥ずかしくなったのか視線を逸らすお兄さんは何処か子供っぽくて、そんな人が身体を要求してくるなんて、絶対にありえないのに、馬鹿みたいに一人であれこれ考えている自分がなんだかおかしくて、つい、笑ってしまう。

「それにほら、一緒に犬を助けた縁もあるし……」

 もし私が助けに入ってくれなかったら自分も溺れていたかもしれないと、お兄さんは恥ずかしそうに告げる。実際の所、結構ぎりぎりだったと。

 なら、私は命の恩人で、少しぐらい甘えてしまってもバチはあたらない、……のかな。

 正直、この判断が一時の気の迷いである可能性は拭え切れないのだけれど、少し先を歩くお兄さんの横顔が思ったよりも悪くなくて、このままバイバイするには少しだけ名残惜しかったから。少しだけ、甘えることにした。

「私、お兄さんが思ってるほど安い女じゃないから勘違いしないでよね」

 一応、釘は刺すけれど。

「僕だって通報されたくはないからね」

 ……子ども扱いされた。

 そんな風に笑って私を受け流すお兄さんは、少しだけ、憎たらしいと感じた。
 正直、タイプじゃないのに。
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