『少女、始めました。』

葵依幸

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【5】少年少女。

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【5】少年少女。


「……失敗する事が分かってて、テメェは何回失敗を繰り返すつもりなんだ?」
「やってみなければ分からない。という言葉をご存知ではないです?」
「学習という言葉を知ってるか?」
「装置は付いてます!」
「動かせ」

 見事にまで真っ平らな胸を突き出すバカの隣で、ぷすぷすと煙を上げているのは「オムライス」らしい。黄色いはずの卵は黒く変色し、更にチキンライスなのかトマトリゾットなのか怪しいドロドロとした物がモンスターの体液のように吹き出している。

「どう料理すりゃこうなるんだよ」

 まるでスライムだ。

「まさしく、人知未踏の領域……! 恐らく私は許されぬ禁断の術に手を出してしまったのでしょう……。
「魔術じゃなくて、料理の勉強をしろ」
「愛のエッセンスは魔法と同じです?」
「いらん」

 ……なんだか今日は朝からこんなくだらない会話ばかり繰り返している気がした。

 洗濯物もよく乾きそうな秋晴れの平日午前9時。随分と早くに叩き起こされて待っていたのはこの得体の知れない料理だった。

「コレを食うのか……」

 スプーンで突っついてみる。ぶよぶよと沈んで行った。……マジでなんなんだコレは……。

 原因は明白でこのバカが”らしくない“俺の事を気遣っている”らしい。寧ろ逆に居心地が悪いだけなのだが――、まぁ確かに心配は掛けてしまってるんだろうという気はする。どうにもぼーっとする事が増えた。いや、考え疲れたという事なんだろうか……?

 何度思い悩んだ所で至る答えは変わらず、迷路を巡り続ける。もしかすると自然に思考回路がストップを掛けているのかも知れない。

「……はぁ」
「むむむっ! 溜め息と一緒に幸せ逃げてますよ!」
「そーだなぁ……」

 とはいえ、こうしてバカが騒ぐ様子を見ていれば少しはマシになるのも確かだった。何となくテレビを付けっぱなしにしている感覚だ。――沈黙は、怖い。

「――さってと、食べられる物ではないと判明した所で出前でも取りましょうか。新作のピザ発売されたの知ってます?」
「確信犯かテメェ」

 ぴらぴらとポストに入っていたチラシを見せつけるバカを睨むが、舌を少し出して「てへっ☆」とか言いやがる。お米を作った農家の人や卵を産んだ鶏さんに謝れこのバカ。

「ちなみにこの時間に配達してくれる店なんてねぇぞ」
「なぬっ――ぁっ、あああっ!! ホントだ!! 営業時間10時からになってる……!?」
「つーことで、お前はコレを食え。俺はカップ麺作る」
「え、ちょっ! ずるいです!?」

 とは言う物の、ハートフルなんとかで実はロボットだと言われても、見た目はただの餓鬼だ。そんな奴に気遣われてるだなんて、なんだか惨めにも思える。

「ただまぁ、塞ぎ込んでるよりかはマシか……」

 お湯を沸かしながら何となく思う。何だか癪だがな――。

「んん? なにか言いました?」
「なんでもねぇよ」

 無理矢理押し掛けて来たくせに、ちゃんと自分の役割を果たそうとしている事に少し驚く。

 自分の仕事に誇りを持っていると言っていたから、コイツなりどうにかしようと努力はしているんだろう。それを分かってしまっている分、少し悪い気もしていた。ロボットとはいえ、そして仕事だからとはいえ気遣い続けさせる事はやはり気持ちのいい物じゃない。だが悩んでいる事も確かだった。

 このまま荒太の記憶が戻らない方が良いとも思う。曖昧なまま誤摩化し続けられるならそれが一番幸せな事なんだろう。閉じた世界の中で曖昧に、ただあの頃のように誤摩化し続ける――だけど、そんなことは不可能だってことぐらい分かってる。

 アイツと話していると必ず先輩の事を思い出す。いずれアイツだって先輩に会いたいと言い出すだろう。そうなったとき、俺はなんと言えば良い……? 本当の事を話すか……? お前の運転していた車が崖から落ち、その命を奪ったのだと。

 その時荒太はなんと思うだろう。冗談だと思って笑うだろうか? それとも記憶を取り戻すんだろうか……?

「…………」

 記憶が戻り、全てが明るみになる事も恐ろしかった。過去の傷とこれから受けるであろう傷は全くの別物だ。いくら傷をつけられた事を憎んでいても、突き出されたナイフの前にはそれも忘れてしまう。俺は恐らく荒太の事を憎まざる得ない。先輩を奪った憎しみをぶつけざる得ない――。

 ……俺は先輩も、荒太もどちらも選択する事が出来ずに立ち尽くしていた。過去に縋って、流れて行く今から目を背け続けていた。

「ねぇ、ねぇご主人サマ?」

 服の裾を摘んで引かれ、視線を下ろす。

 ――ていうかこいつ、裾を引っ張るのが癖か?

「なんだ」

 出来上がったカップ麺の蓋を剥がしながら椅子に腰掛けると、バカも同じように向かいの席に腰掛けた。いつの間にかその手には味違いのカップ麺が握られている。――くそ、豚骨は俺のだって行っただろうコイツ……。
 相変わらず猫舌なのか「あっちっち」と麺を冷ましながら幾分か口に含み、バカは提案する。

「映画のラストシーンの場所に行ってみません?」

 と。

「あ?」
「朽木さんを連れて、いきましょーよ。紅葉が見頃らしいですよっ?」

 まるでそれが名案であるとでも思っているらしく目をキラキラさせ、身を乗り出す。だが入院中のアイツを連れ出せる訳が無い。

「全く、バカも休み休み言え」
「昨日看護師さんが“一日ぐらいなら外出しても良いですよー”って言って!」
「……おまえな」

 テーブルの上に突き出されたのは外出許可証だ。何処で誰に聞いたのか知らんがちゃんと根回しは済んでいるらしい。

「はぁ……しかしだなぁ、あそこは結構距離もあるし険しい山道みたいなもんだぞ。もしもの事があったらどうするんだ」
「心強い助っ人がいますから!」
「助っ人?」

 いまにも鼻歌でも歌いだしそうな態度に眉をひそめる。
 派遣元の未来なんとか館から他に誰か呼んで来るんだろうか。追加料金を取られる、なんて事は無いと思うが一応尋ねてみると「当日までのお楽しみです♪」と食べ終わった容器を片付け、そのまま案の定鼻歌まじりを歌いながら部屋に引っ込んでいってしまった。冷めてしまったカップ麺を前に、ぼんやりとそれを眺め続け、何度目かの溜め息を零す。

「助っ人、なぁ……」

 なんだかろくな気がしないが……。

 換気扇の唸る音だけが残され、何とも虚しい。
 本当に派遣元から誰か連れてくるのならまだいいんだが……、そこら辺で変な奴拾ってこないだろうな。まだ捨て犬とかを連れ込んで来ていない分心配だった。これ以上同居人が増えるのはお断りだ。

 それに――。

「……なんでもいいから、片付けてから行けよ」

 表現し辛い程散らかされた台所の惨状が、他の部屋にまで続いているとなれば流石に気も滅入る。

「ホンッとに、手間のかかる……」

 独り口をこぼしながらも台所を片付け始めると、突然部屋の扉が音を立てて開いた。驚き振り返ると床にバカが涙目で床に倒れ込んでいた。

「……なにしてんだ、テメェ」

 出来る限り優しい言葉を投げかけてやった。するとまるで行き倒れのようにぐったりとしたまま、右手に持ったピザのチラシを持ち上げ、

「し、新作にピザ……昨日までの限定発売でした。うぎゅぎゅ……」

 俺は黙ってそれを受け取ると、ぐしゃぐしゃにそれを握りつぶした。
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