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封書の裏に《通崎》と墨書きされているのを見て、令一は無意識に手に取った。
何通ものダイレクトメールや新聞に埋もれていながら目を引かずにおかなかったのは、見事な達筆だからという理由ばかりではない。
下の名前もなく簡潔に苗字だけ明記されたその封書は父に宛てられたものだったが、令一はそのまましばらく見入ってしまった。
あの男の家にまで怒鳴りこんでいくような衝動が自分のなかにあったのが驚きだった。
昔を思いだすまで長く記憶にものぼらなかったくせに、今は頭から離れない。
それほど兄、凌のことで腹をたてていたのかといえば、よくよく思いかえしても否というしかなく、あのときはとにかく裏切られたのだという憎悪ばかりが令一を支配していた。
しかし、情のかけらもないような闇色の瞳に見つめられて静かな拒絶を受けると、急速に頭の芯が冷えていき、片隅にもなかった悲しさ―――寂しさといっていいかもしれない心許ない感情が滲んできたのだった。
結局忘れたと思っていた幼い日の葛藤はなにも決着しないまま、ただ見えないところへ追いやっていただけで、しかし今さらわずかにそれが掘りおこされたところで令一にどうしろというのだろう。
たかみという少女はなにも言わずにいなくなってしまった。
そして通崎貴己は三羽ではないと言う。
なによりあのひやりとする淡白さは令一をたじろがせるに充分だった。
遠い日、凌に向けていた静かな、そして穏やかな笑顔を思いださせる面影はわずかもみあたらない。
悲哀を感じたのはそのことに対してだったのか、自問してみても判然としなかった。
「なにをしている」
背後からの声に令一が一瞬身体を強張らせてふりむくと、父久也が不審そうな目を向けていた。
令一が俯いたまま棒立ちになっているのを奇妙に思ったらしかったが、息子の手のなかの封筒を見て断りもなく取りあげた。
「これはわたし宛てのものだろう」
「通崎ってこの間俺が行った茶の先生だろう。そこで……父さんは憶えてるかな、三羽のおじさんのところにたかみって子供がいたの、そいつを見かけた」
「記憶にないな。その彼と、なにか話したのか」
「なにも……なあ、本当に憶えてないの。いつも凌の面倒みてた女の子がいただろう」
「三羽の女の子供は光って末っ子だけだ。凌のことは向こうに一任していたから知らんが、知り合いの子かなにかだろう。とにかく余所様のことをあれこれ詮索するな。仕事のうえでも褒められたことじゃない」
久也は話を一方的にきりあげると、新聞をつかんで書斎へ行ってしまった。
いつもなら、朝から家にいるのは珍しい、などと息子の放蕩ぶりに皮肉の一つや二つは漏らしていく父のそっけない言動は、かえって令一の確信を裏づけることになった。
語るに落ちるとでもいうべきか、令一はたかみという子供と言っただけで、名前の響きからいえば普通は女性を想像するだろう、しかし父は彼と限定したのだった。
誰もが令一を蚊帳の外に置いておざなりな嘘で事実から遠ざけようとしている。
それとも本当に令一が勘違いをしているだけなのだろうか。
三羽の家にはあの不思議な少女はいなかったし、通崎貴己に感じた既視感もまた思い違いだと。
そうであれば、では令一がいだいた初恋といってもいい淡い想いも幻なのだとは、どうしても納得できることではなかった。
今考えれば羞恥さえ覚えるような青臭い、そして純粋な気持ちは忘れられない。
令一はもう一度貴己に会ってみようと思った。
今度はもう少しは理性的に話ができるかもしれない。
寒々しい表情と口調を反芻しながら、令一は物音もしない父の書斎をかえりみた。
何通ものダイレクトメールや新聞に埋もれていながら目を引かずにおかなかったのは、見事な達筆だからという理由ばかりではない。
下の名前もなく簡潔に苗字だけ明記されたその封書は父に宛てられたものだったが、令一はそのまましばらく見入ってしまった。
あの男の家にまで怒鳴りこんでいくような衝動が自分のなかにあったのが驚きだった。
昔を思いだすまで長く記憶にものぼらなかったくせに、今は頭から離れない。
それほど兄、凌のことで腹をたてていたのかといえば、よくよく思いかえしても否というしかなく、あのときはとにかく裏切られたのだという憎悪ばかりが令一を支配していた。
しかし、情のかけらもないような闇色の瞳に見つめられて静かな拒絶を受けると、急速に頭の芯が冷えていき、片隅にもなかった悲しさ―――寂しさといっていいかもしれない心許ない感情が滲んできたのだった。
結局忘れたと思っていた幼い日の葛藤はなにも決着しないまま、ただ見えないところへ追いやっていただけで、しかし今さらわずかにそれが掘りおこされたところで令一にどうしろというのだろう。
たかみという少女はなにも言わずにいなくなってしまった。
そして通崎貴己は三羽ではないと言う。
なによりあのひやりとする淡白さは令一をたじろがせるに充分だった。
遠い日、凌に向けていた静かな、そして穏やかな笑顔を思いださせる面影はわずかもみあたらない。
悲哀を感じたのはそのことに対してだったのか、自問してみても判然としなかった。
「なにをしている」
背後からの声に令一が一瞬身体を強張らせてふりむくと、父久也が不審そうな目を向けていた。
令一が俯いたまま棒立ちになっているのを奇妙に思ったらしかったが、息子の手のなかの封筒を見て断りもなく取りあげた。
「これはわたし宛てのものだろう」
「通崎ってこの間俺が行った茶の先生だろう。そこで……父さんは憶えてるかな、三羽のおじさんのところにたかみって子供がいたの、そいつを見かけた」
「記憶にないな。その彼と、なにか話したのか」
「なにも……なあ、本当に憶えてないの。いつも凌の面倒みてた女の子がいただろう」
「三羽の女の子供は光って末っ子だけだ。凌のことは向こうに一任していたから知らんが、知り合いの子かなにかだろう。とにかく余所様のことをあれこれ詮索するな。仕事のうえでも褒められたことじゃない」
久也は話を一方的にきりあげると、新聞をつかんで書斎へ行ってしまった。
いつもなら、朝から家にいるのは珍しい、などと息子の放蕩ぶりに皮肉の一つや二つは漏らしていく父のそっけない言動は、かえって令一の確信を裏づけることになった。
語るに落ちるとでもいうべきか、令一はたかみという子供と言っただけで、名前の響きからいえば普通は女性を想像するだろう、しかし父は彼と限定したのだった。
誰もが令一を蚊帳の外に置いておざなりな嘘で事実から遠ざけようとしている。
それとも本当に令一が勘違いをしているだけなのだろうか。
三羽の家にはあの不思議な少女はいなかったし、通崎貴己に感じた既視感もまた思い違いだと。
そうであれば、では令一がいだいた初恋といってもいい淡い想いも幻なのだとは、どうしても納得できることではなかった。
今考えれば羞恥さえ覚えるような青臭い、そして純粋な気持ちは忘れられない。
令一はもう一度貴己に会ってみようと思った。
今度はもう少しは理性的に話ができるかもしれない。
寒々しい表情と口調を反芻しながら、令一は物音もしない父の書斎をかえりみた。
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