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70 満たされなくて
しおりを挟む甘い蜜が明けた時は、緑里は至福に満ちていた。評論家が出してくれている住み家のようなベッドではなくて、せんべい布団でも、幸せに満ちている確信はあった。
それがメランコリー気味でも、二人で重なりあっている時が、愛し合う気持ちで溢れていた。
と、緑里はそれなりに思った。
緑里は窓を開けて、煙草に火を着けた。
その横顔を、清水はざっと、模写をする。
「一流女優の横顔を描きとめて置きます」
「何枚もあるわ」
ふふっ、と、微笑する緑里。
「これは僕の記念です」
「記念? 変な事を言うのね」
数十分で描き終えて、サインをつける。
「あとは赤い色が欲しいですね」
「緑里だけど、色はいつも赤いドレス」
「なんか意味があるんですか?」
「劇場の名前が、赤いからよ」
緑里は苦笑い。
「へえー」
清水は緑里の煙草を貰う。
「お昼はどうしますか?」
「ホテルにある洋食屋さんでも行く?」
「はい。カニクリームコロッケ、頼んでいいですか?」
「もちろんよ」
有名な洋食屋さんに行き、店内には清水の絵が飾られてあった。
「あら?」
緑里は絵を発見する。
「こんにちは」
すると奥から、このホテルのオーナーのご令嬢が声を掛けてきた。
「洋子さん、こんにちは」
清水は声を掛けた。
20くらいだろうか。西洋の洋服が似合う。
「緑里さん、初めまして」
「初めまして......」
「レコードを買いましたの。緑里さんの大ファンでして、サイン、頂けますか?」
脇にはレコードを持っていて、ペンと、差し出した。
緑里はレコードにサインを書く。
「ありがとうございます。大事にします。......あと、いつも清水がお世話になっております」
「え?」
「ごゆっくり」
皮肉な笑みを浮かべた。
意味深な言葉を残し、ホテルオーナーが父のご令嬢は出て行く。
「あの子、あなたの絵が好みなの?」
緑里は辛辣に言う。
「一度、個展を開いた時に買ってくれてから、お得意様になってくれたんです」
「へぇ。初耳」
「いちいち知らせるまでもないでしょう」
清水はニタリとした。
緑里は財布からお札を取り出して、清水に渡す。
「これで好きな物でも食べて、好きなところへ行ったら?」
そう言って、部屋から出て行った。
緑里は溜め息をついて、屋台のラーメン屋に目がついた。のれんを払って椅子に腰掛ける。
「ラーメン、下さる?」
「へいよ」
主が返事をした。顔を上げた主が緑里を見て驚くが、黙々とラーメンを作り出す。
「緑里?」
声を掛けたのは裕太郎だった。
「あら、一流スターさんがこーんなお店に顔を出すの?」
「やめてくれよ、まだまだだ」
「皮肉?」
「いや......」
「戻って来るきはないの?」
「.........そんな事はないさ。あそこは、俺の原点だ」
「ないのね。わたしは歌ってばかりよ」
「コンサート会場になったのか? おじさん、ラーメン」
「はいよ......って、今日はどうしたんだぁ? 緑里やら、裕太郎やら......」
ラーメン屋の主は驚きを隠せない。
裕太郎は苦笑い。
「緑里だって、どうしたんだよ。歌だって売れてるし、何が不満なんだ?」
「......わたしも、よく分からないのよ。ふらふらしているし、家はないし」
「あるじゃないか」
「あんな欲求を満たされるだけの家......」
緑里は煙草を吸った。
「借りたら? それか、借家でも......」
「あの先生が許さないわ」
「そうか......」
「独身だからいいけど、なんか虚しくて......」
「身体から入ったから?」
「かもね」
「何に満たされるんだろうな、人ってやつは」
「あんたに言われたくないわよ」
裕太郎は苦笑した。
「元気ないな」
「そぉ? 今でも心配してくれるの?」
「当たり前だろ? プリンセスなんだから?」
「嘘。ならどうして、帰って来ないのよ」
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「自由だろ」
「本当の恋人同士だったら、よかったのにね」
「それは無理だよ」
「ふん。一度欲情に走ったくせに」
「すまんね」
ふたりは苦笑いしながら、ラーメンを啜った。
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