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60 そんな事をしていたら、恨まれますよ

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「静子お嬢様とは......、もう会わない」
「え?」 
 二人同時に驚きの声が。
 静子の身体がわなわなと震え出す。
「ほ、本気?」
 表情が歪む。

「あなたを抱くことは、もう出来ない」
 静子はその場にしゃがみ込んだ。
「何よ......。この人なんて......、なりそこない軍人の没落華族じゃい!!」
「そんなのは関係ないんだ」
「僅かな給金で野垂れ死ぬわっ!!」
「それだっていいさ」
「わたしは好きなの!!!!!」
 静子は涙で顔をぐちゃぐちゃにして訴える。

 裕太郎は目を瞑り、頭を下げた。 

「劇場がどうなってもいいの?!」

 黙って聞いていた伊吹が、
「わたしがそうさせない」
 と、静かに言った。
 けれど威厳のある声で。
「ヒッ......」
 その声にびく付く静子。
「姑息な真似をしてみろ。ご両親の名が泣くぞ」
「伊吹は何もしないでくれ。俺たちの事だから」
「関係あるわっ! この男か女か分からない人のどこがいいのよ?!」
「中性的で、魅力ある人だ!!」

「やめろ!! 喧嘩なんかするな!」
 伊吹が声を上げた。
 静子は伊吹をギッと睨み付け、
「あんたが現れなきゃ、裕太郎さんはわたしに一途だったのに!」
 静子は手を上げた。伊吹はぶたれると思い、目を瞑った。
「やめろ!」
 裕太郎はその手を止めた。

「よ、よくも......そんな女なんかに! あなた...
...軍人よね........今に見ていてよ...!」
 静子は泣き喚いて公園から出て行く。

 二人はため息をついて、またベンチへ腰掛けた。
「とんだ修羅場だった」
「いつまでも素知らぬ振りは出来んってことだな」  
 
(生活のためだろうにー)
 伊吹はそう思ったが、口には出せなかった。
「あのお嬢様がどうでるかだな」
 やっかいごとが増えるかも知れん。
 と、思う二人。
「二人で乗り切ればいいさ」
 裕太郎はしっかりした口調で話かけた。
「頼もしいな」
 伊吹は微笑み、暫く間が開く。
「久々に裕太郎の住んでいる寮に行きたいな」
 裕太郎は伊吹の言葉に目を剥く。
「飯......でも作るか?」
「生憎作った事がない」
 と、きっぱり言う伊吹だ。
「財閥令嬢だったな」
「裕太郎の好きな物は覚えている。オーソドックスだった」
「たとえば?」
 意地悪く聞いてみる。
「卵焼き、きんぴらとか言ってた」
「覚えていてくれたのか?」
「記憶を失くしたのが、一時だけだったのがよかった。腹が減ったから、ラーメン食べに行こう」
 伊吹はそう話す。
「楽しみだ」
 裕太郎は手を差し出しだした。もうこそこそする必要はない。伊吹は素直にその手を受け止める。 
 

 静子は公園の街灯一つで、
「許さない......、許さないんだから.........」
 と、怨み節をつらつらと呟いていた。


 
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