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49 削られた記憶

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 大学が終わって外へ出ると、女学生たちが伊吹と池山中尉の側へ駆け寄ってきた。
 慣れない二人は何事かと思い、目を剥いた。
「あの! 藤宮伊吹少尉様と池山中尉様ですね! サインをお願いしたいのですが」
 と、真似をした女学生が積極的に申し出た。
「サイン?!」
 二人は目を剥く。
「いや、私らのサインを貰っても無意味だろう? ただの名前になる」
 と伊吹。
「それだけでもいいのです!」
「まぁまぁ、サインくらい書いたらいいさ」
 池山中尉は快くサインに応じた。池山中尉は丁寧で優しい文字。伊吹も綺麗な文字を披露した。

「ありがとうございます! これを家宝にしたいと思います!」
「益々有名人になったじゃないか」
 池山中尉はニコリとする。
「........悪い気はしないな」

「伊吹ッ」

 その声に反応するが、伊吹はキョロキョロするだけでまた戻る。

「え?」
 池山中尉もその事に対してキョトンとした。

「赤いルージュ劇場の裕太郎様!!」
 女学生は裕太郎に気付いて、彼に近寄り、サインをねだる。裕太郎は快くサインをノートに書いている。

「なんだい? あの人は。すごいな」
 屈託なく言う伊吹。
「何言ってるんだ? 裕太郎さんだろ」
「裕太郎って言うのかい? 色男だな」
「ふざけるなって」
「何を?」
「.........は?」
 池山中尉の顔が引きつる。裕太郎はサインをしながらも青ざめた。
「早くあんみつが食べたい」
「分かったから」
 池山中尉はそれでも裕太郎に頭を下げた。

(忘れてる?!)

 裕太郎と池山中尉が思う。

 伊吹はまるで他人のように、裕太郎に声も掛けずに通りすぎた。

 裕太郎は声を出すのも躊躇した。
 
 ほんとうに分からないのか?
 ......だとしたら、どうしてこうなったのか、原因は分かる。
 
 裕太郎は去って行く伊吹の背中をただ、茫然と見送っているだけだった。
 ぽっかりと穴が開いたような気持ちだ。
 
 
 

 

 


 
 
 
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