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37 鍵を開ける音......

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 それから、みんなと行く遊園地の前日。
 伊吹は看護師の須美のいる、軍医室へと向かった。 
 官庁にあるので、失礼な格好は出来ず、軍服を着て向かった。
 ドアのノックをする。
「藤宮伊吹です」
 そう名乗るが、声がしない。
(どうしたんだろう.....)
 伊吹は眉間に皺を寄せたものの、ドアを開けた。
「どうしても、諦めきれなくてね......、君の事が...」
 そこにいたのは純だった。
「す、須美さんや、先生は?」
「ちょっと出払ってもらってね。一時間は帰ってこないよ。相変わらず、空気は読まないんだなぁ」
 純は椅子から立ち上がり、伊吹に近寄る。何故か緊張が走り、伊吹は後退り。
 ドアに背中が当たる。
 純の手が、すっと伸びると、伊吹はビクッとなった。純の掌は壁に、伊吹を囲うようにした。
 ドアの鍵を締めた。
「......鍵を締める必要はないんじゃないのか」 
「こうでもしないと、君が逃げるかも知れないからね」
 顔が近付くと、伊吹はふっと顔を背けた。
「...誰か好きな人でも......?」
 そう言われると、伊吹は裕太郎の顔が浮かんだ。
「そう.........」
 純は伊吹の顔を見て、悲しい顔をした。
「え?」
「君の顔を見れば分かる。俺をもう、見ていない」
「6才の君は可愛かった。おにいちゃま、おにいちゃまって来てくれてね」
 伊吹は黙って聞いていた。
 純はため息をついて椅子に腰掛けた。
「軍人になると決めた時から、君の心はどこかへ行ってしまった.....」
 純は続ける。
「とても切なかったよ......。陸軍へ進むつもりだったが、海軍を選んだ」 
「そうだったか......」
「君を忘れられると思ってね」

「お見合いは......?」
「君の心が残ってくれたら、お見合いしてくれると思ったんだか、時が流れた......」
  純は悲しく笑った。
「あのカフェーでの出会いで、どうしても、過去の出来事が耐えられなくなった。君を迎えたい。軍人として名をはしている君を、嫁にしたい」
「わたしの名前か?」
 伊吹は苦笑した。
「いや、君を戦場に行かせたくなかったんだ。俺の心は、まだ君は6才のままだったけど、君だけが変わった...。あの頃をずっと、俺は思っていたんだ」
「そうか。わたしは、忘れていた......。あの頃を...」
 貫いていてくれたら、と、言おうとしたが、伊吹は、これは言ったら酷だと分かった。

 自分で選んだ道だ。

「......君の事は、きっぱり諦める」
 伊吹は黙って頷いた。
 伊吹は、鍵を開けた。

 かチャリという音が、虚しさを感じずにはいられなかった。


 
 
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