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異世界<日本>編
恐怖
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「ふう…」
遊歩道から少し離れたベンチでお茶を飲む。昼間は暑くなってきたけれど、夜は気温が下がって過ごしやすい。
もう少ししたら雨の季節が始まるらしい。美菜さんや麻子さんがぼやいていた。
雨の多い季節といっても激しい雨が一気に降るわけではなく、ジメジメした天気が続くらしい。
(じめじめした天気って、どういうのだろう?)
語感からなんとなく不快そうな気配は伝わってくるものの、いまいち想像がつかない。
体験するのが楽しみでもあり、怖くもあり。
この国は変化が大きい。気候もそうだし、人の関心もそうだ。美菜さんなんかを見ていると次から次に新しい話題に花を咲かせている。
変わりゆくことを楽しむ、そんな気風でもあるんだろうか。
ヴォルフがいるのは秋ごろか、冬の始まりか、それまでこの変化を一緒に楽しめたらいい。
お茶を含むと口の中に爽やかな香りが広がる。ボトルを開けるだけで手軽に薫り高くおいしいお茶を味わえる。元々誰かにお茶を入れてもらうような生活をしていなかったマリナにとっては手間もかからない上に自分で入れるよりおいしいお茶が飲めてうれしい限りだ。
爽やかな香りと味が喉の奥に消えていく。ペットボトルの蓋を閉めた瞬間、後ろから回ってきた手がマリナの口を押さえた。
「…!」
そのまま後ろに強い力で引かれる。自分に回された男の手に総毛立った。
座っていたベンチから引きずり下ろされ草むらを引きずられる。
自分が死角に連れ込まれたことを遅まきながら理解する。引き摺る力の強さから腕力での抵抗は無駄だと感じた。
「…」
男は無言のままマリナを繁みに連れて行く。手に爪を立てても反応しない。
反射的に魔力を集める。このまま黙っていたら悪いことにしかならないと確信した。
(この…っ!)
魔力を解放しようとした刹那、脳裏をヴォルフが過る。
(これを使ったら、帰れなくなる…!)
気づいた瞬間、頭の中が真っ白になった。
「…っ!」
地面に押し付けられた衝撃で我に返る。マリナを押さえつけている男は二十代後半か三十代前半くらいの男だった。
細身で力もそんなになさそうだが、マリナより腕力が弱いということはないだろう。
思わず動かそうとした手が止まる。溜めていた魔力を使ったらヴォルフは期限までに帰れなくなるかもしれない。
そう思ったときには手のひらから魔力は消えていた。
自分のせいでヴォルフに起こったことの責任も取れなくなる。そう思えば魔法を使うことも出来なくなった。
自分を押さえつけている男を見上げる。逃れる手段がないのを感じて身体が震え出す。
抵抗しないマリナに、男の動きが大胆になる。
ぎらぎらと光る男の目に、さらに怯えを隠せなくなった。
強張った身体でわずかに身じろぐと男の手がすぐに押さえにかかる。
自由に動く顔だけで助けを探す。
(こんな暗闇に誰がいるっていうの?)
救いなんて有りはしない、諦めかけた瞳に疾走してくる影が映った。
「…!」
飛んできた影はマリナの上にいた男を吹き飛ばし、倒れた男にさらに襲い掛かる。
(ヴォルフ…!)
光の少ない草陰でもすぐにわかった。男の肩に牙を立て唸る姿に恐怖よりも安堵を感じた。
「ヴォルフ!」
声を上げると血の付いた牙で振り返る。その身体から殺気が消えないのを見て手招きする。
まだ攻撃しようとしていたヴォルフだったが男を一睨みして走り寄ってきた。
突然の襲撃に男は這う這うの体で逃げていく。
「ヴォルフ…」
膝を付いたままの格好でヴォルフを見つめる。
目が合うと強張っていた身体から力が抜けて思わずヴォルフの首に縋り付く。
自分の鼓動がいやに激しい。気持ち悪くなるほど打つ心臓に自分が感じていた恐怖を再認識する。
助かったのに身体の震えは未だ止まらない。しがみついているとヴォルフが口を開いた。
「どうして俺を呼ばない」
だって…、傍にいるかなんてわからなかったし。
「なんで助けを求めないんだ!」
助けを呼ぶ…?
それで……。
―――誰も、来なかったら?
「…っ!」
自分の心が呟いた言葉にぞっとして震える。
「だって…」
助けてくれるなんて限らないじゃない。
マリナの答えにヴォルフは押し殺した溜息を吐いた。
「誰もお前を見捨てない。 だからちゃんと呼べ!」
「呼んだって来てくれるとは限らないじゃない…」
「声を上げなければ周りには何もわからないぞ」
言うことが正しいのはわかる。けれど…!
「自分で何とかできるもの」
マリナの答えにヴォルフの身体から怒りが立ち上るのが見えた。
「どこが対処できていたんだ! あの状態で何とか出来てたなんて言わせないぞ!」
ぐっと言葉に詰まる。魔法を使わないと決めた時点でマリナに対抗する方法はない。
「俺が来なければどうなっていたことか…!」
「ごめん…」
思わず謝る。ヴォルフの言う通りだ。
魔法を使わなければ、マリナはただの少女だ。特別鍛えているわけでもない。
するっと謝る言葉が出てきた。
素直に謝ってしまったのはヴォルフの声に自分を責めるような響きを感じたからだ。
双翼だから今は王子を守るのが任務だけれど、元々騎士を目指していたなら誰かを守ることを信条としているはずだ。呼べばもっと早く助けられると悔やむのも当然だった。
マリナが素直に謝ったことでヴォルフも落ち着いて状況を確認する。
「怪我はしてないか?」
「大丈夫だよ、ちょっと痛いけど、怪我って言うほどの怪我はしてないと思うから」
「本当に大丈夫か?」
「何かあったように見えた?」
「いや…」
マリナを気遣ってか言い淀む。そういう反応をするだろうと思ってわざといじわるな聞き返し方をした。
「ああ、でもこの服はもうダメかもしれない」
そう言って着ていた服を摘まむ。前にヴォルフに引き倒されたときは土が付いただけで済んだが、今回は引き摺られたせいで生地にいくつも傷が付いている。
「捨てろ。 そんなもの」
ヴォルフが吐き捨てるように言う。
正直マリナも襲われた時に着ていた服なんて着る気がしない。新しいものを買うしかないだろう。お金、ないんだけどな。
「あとは切り傷だけか。 腕に付いたものが一番酷いな」
確認していたヴォルフが口を開く。え?と思う間もなく傷を舐められていた。
「…!」
驚きに身体が硬直する。マリナの反応で自分の行動を意識したらしいヴォルフが慌てる。
「わ、悪い! つい、だな…」
無意識の行動だったのはわかっている、けれど身体は勝手に反応した。
「…っ!」
勝手に動いた右手がヴォルフを殴っていた。何で避けないの。
恐怖に冷たくなっていた身体が急激に温度を上げていく。
(暗くてよかった…っ!)
見える訳ないけど顔が真っ赤に染まっているだろうことはわかった。
狼狽えるあまり手が出てしまったことにさらに動揺して言葉も出せずにいると、ヴォルフが申し訳なさそうに謝る。
「配慮が足りなくてすまなかった」
どうやらヴォルフはマリナが恐怖を感じて振り払ったと思っているらしい。
背を向けるヴォルフに慌てて声を掛ける。
「違うから!」
全くの誤解だ。
「殴ってゴメン…! これは、その…。 恥ずかしかっただけだし」
ヴォルフの今の身体なら自然な行動だったのかもしれないけれど、相手が人間だと知っていて羞恥を感じないわけがない。
「そ、そうか。 そうだな。 すまない…」
「ごめん」
謝るヴォルフを見て微妙な気分になる。犬らしい動きが自然に出てきてしまうくらい今の身体に慣れてしまった、ってことだよね。ホントごめん。
取りあえずもう一回謝っておいた。
遊歩道から少し離れたベンチでお茶を飲む。昼間は暑くなってきたけれど、夜は気温が下がって過ごしやすい。
もう少ししたら雨の季節が始まるらしい。美菜さんや麻子さんがぼやいていた。
雨の多い季節といっても激しい雨が一気に降るわけではなく、ジメジメした天気が続くらしい。
(じめじめした天気って、どういうのだろう?)
語感からなんとなく不快そうな気配は伝わってくるものの、いまいち想像がつかない。
体験するのが楽しみでもあり、怖くもあり。
この国は変化が大きい。気候もそうだし、人の関心もそうだ。美菜さんなんかを見ていると次から次に新しい話題に花を咲かせている。
変わりゆくことを楽しむ、そんな気風でもあるんだろうか。
ヴォルフがいるのは秋ごろか、冬の始まりか、それまでこの変化を一緒に楽しめたらいい。
お茶を含むと口の中に爽やかな香りが広がる。ボトルを開けるだけで手軽に薫り高くおいしいお茶を味わえる。元々誰かにお茶を入れてもらうような生活をしていなかったマリナにとっては手間もかからない上に自分で入れるよりおいしいお茶が飲めてうれしい限りだ。
爽やかな香りと味が喉の奥に消えていく。ペットボトルの蓋を閉めた瞬間、後ろから回ってきた手がマリナの口を押さえた。
「…!」
そのまま後ろに強い力で引かれる。自分に回された男の手に総毛立った。
座っていたベンチから引きずり下ろされ草むらを引きずられる。
自分が死角に連れ込まれたことを遅まきながら理解する。引き摺る力の強さから腕力での抵抗は無駄だと感じた。
「…」
男は無言のままマリナを繁みに連れて行く。手に爪を立てても反応しない。
反射的に魔力を集める。このまま黙っていたら悪いことにしかならないと確信した。
(この…っ!)
魔力を解放しようとした刹那、脳裏をヴォルフが過る。
(これを使ったら、帰れなくなる…!)
気づいた瞬間、頭の中が真っ白になった。
「…っ!」
地面に押し付けられた衝撃で我に返る。マリナを押さえつけている男は二十代後半か三十代前半くらいの男だった。
細身で力もそんなになさそうだが、マリナより腕力が弱いということはないだろう。
思わず動かそうとした手が止まる。溜めていた魔力を使ったらヴォルフは期限までに帰れなくなるかもしれない。
そう思ったときには手のひらから魔力は消えていた。
自分のせいでヴォルフに起こったことの責任も取れなくなる。そう思えば魔法を使うことも出来なくなった。
自分を押さえつけている男を見上げる。逃れる手段がないのを感じて身体が震え出す。
抵抗しないマリナに、男の動きが大胆になる。
ぎらぎらと光る男の目に、さらに怯えを隠せなくなった。
強張った身体でわずかに身じろぐと男の手がすぐに押さえにかかる。
自由に動く顔だけで助けを探す。
(こんな暗闇に誰がいるっていうの?)
救いなんて有りはしない、諦めかけた瞳に疾走してくる影が映った。
「…!」
飛んできた影はマリナの上にいた男を吹き飛ばし、倒れた男にさらに襲い掛かる。
(ヴォルフ…!)
光の少ない草陰でもすぐにわかった。男の肩に牙を立て唸る姿に恐怖よりも安堵を感じた。
「ヴォルフ!」
声を上げると血の付いた牙で振り返る。その身体から殺気が消えないのを見て手招きする。
まだ攻撃しようとしていたヴォルフだったが男を一睨みして走り寄ってきた。
突然の襲撃に男は這う這うの体で逃げていく。
「ヴォルフ…」
膝を付いたままの格好でヴォルフを見つめる。
目が合うと強張っていた身体から力が抜けて思わずヴォルフの首に縋り付く。
自分の鼓動がいやに激しい。気持ち悪くなるほど打つ心臓に自分が感じていた恐怖を再認識する。
助かったのに身体の震えは未だ止まらない。しがみついているとヴォルフが口を開いた。
「どうして俺を呼ばない」
だって…、傍にいるかなんてわからなかったし。
「なんで助けを求めないんだ!」
助けを呼ぶ…?
それで……。
―――誰も、来なかったら?
「…っ!」
自分の心が呟いた言葉にぞっとして震える。
「だって…」
助けてくれるなんて限らないじゃない。
マリナの答えにヴォルフは押し殺した溜息を吐いた。
「誰もお前を見捨てない。 だからちゃんと呼べ!」
「呼んだって来てくれるとは限らないじゃない…」
「声を上げなければ周りには何もわからないぞ」
言うことが正しいのはわかる。けれど…!
「自分で何とかできるもの」
マリナの答えにヴォルフの身体から怒りが立ち上るのが見えた。
「どこが対処できていたんだ! あの状態で何とか出来てたなんて言わせないぞ!」
ぐっと言葉に詰まる。魔法を使わないと決めた時点でマリナに対抗する方法はない。
「俺が来なければどうなっていたことか…!」
「ごめん…」
思わず謝る。ヴォルフの言う通りだ。
魔法を使わなければ、マリナはただの少女だ。特別鍛えているわけでもない。
するっと謝る言葉が出てきた。
素直に謝ってしまったのはヴォルフの声に自分を責めるような響きを感じたからだ。
双翼だから今は王子を守るのが任務だけれど、元々騎士を目指していたなら誰かを守ることを信条としているはずだ。呼べばもっと早く助けられると悔やむのも当然だった。
マリナが素直に謝ったことでヴォルフも落ち着いて状況を確認する。
「怪我はしてないか?」
「大丈夫だよ、ちょっと痛いけど、怪我って言うほどの怪我はしてないと思うから」
「本当に大丈夫か?」
「何かあったように見えた?」
「いや…」
マリナを気遣ってか言い淀む。そういう反応をするだろうと思ってわざといじわるな聞き返し方をした。
「ああ、でもこの服はもうダメかもしれない」
そう言って着ていた服を摘まむ。前にヴォルフに引き倒されたときは土が付いただけで済んだが、今回は引き摺られたせいで生地にいくつも傷が付いている。
「捨てろ。 そんなもの」
ヴォルフが吐き捨てるように言う。
正直マリナも襲われた時に着ていた服なんて着る気がしない。新しいものを買うしかないだろう。お金、ないんだけどな。
「あとは切り傷だけか。 腕に付いたものが一番酷いな」
確認していたヴォルフが口を開く。え?と思う間もなく傷を舐められていた。
「…!」
驚きに身体が硬直する。マリナの反応で自分の行動を意識したらしいヴォルフが慌てる。
「わ、悪い! つい、だな…」
無意識の行動だったのはわかっている、けれど身体は勝手に反応した。
「…っ!」
勝手に動いた右手がヴォルフを殴っていた。何で避けないの。
恐怖に冷たくなっていた身体が急激に温度を上げていく。
(暗くてよかった…っ!)
見える訳ないけど顔が真っ赤に染まっているだろうことはわかった。
狼狽えるあまり手が出てしまったことにさらに動揺して言葉も出せずにいると、ヴォルフが申し訳なさそうに謝る。
「配慮が足りなくてすまなかった」
どうやらヴォルフはマリナが恐怖を感じて振り払ったと思っているらしい。
背を向けるヴォルフに慌てて声を掛ける。
「違うから!」
全くの誤解だ。
「殴ってゴメン…! これは、その…。 恥ずかしかっただけだし」
ヴォルフの今の身体なら自然な行動だったのかもしれないけれど、相手が人間だと知っていて羞恥を感じないわけがない。
「そ、そうか。 そうだな。 すまない…」
「ごめん」
謝るヴォルフを見て微妙な気分になる。犬らしい動きが自然に出てきてしまうくらい今の身体に慣れてしまった、ってことだよね。ホントごめん。
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