常夏の国の冬の姫

桧山 紗綺

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16.初めての反抗

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 謁見室に来るのは何度目だろう。
 光と風が入るようにと作られた大きな窓を見ないようにしながらお父様と向かい合う。
 どうあっても今日でこの不毛な話を終わらせるつもりだ。
 女官たちも今日のために心得て支度を整えてくれた。
 日差しを浴びないよう被ったベールをわずかに上げお父様の目を見つめる。
 あれから何度となくアクアオーラを王宮に留めようとするのを止めてほしいと繰り返している。
 アクアオーラが王宮に留まることに大きな意味なんてないと伝えても頑なに意見を変えてくれない。

 いくら話しても縮まらない平行線にもううんざりしていた。

「どうしても諦めてくれませんか」

「なぜそんなに嫌がるんだ。
 これまで通り不自由なく暮らせるんだぞ!」

 苛立ち混じりに声を荒げる。無理解なのはアクアオーラの方だと言うように。
 その言葉に笑いがこみ上げてきた。

「不自由がない、お父様はそうお考えだったのですね」

「何……?」

 お父様の言うことも間違ってはいない。
 アクアオーラは生きるのに困ったことはない。
 用意された物を食べ、何も言わなくても部屋は整えられ、女官たちが世話をしてくれる生活をしている。
 けれど、不自由なく生きてきたと言われることにこれほど抵抗を覚えるのはそれだけじゃ満足できていなかったから。

「何が言いたい」

 笑うアクアオーラに険のある声を出す。

「いいえ、私も知らなかったくらいですから」

 一人離れた場所で暮らすことを寂しいと思った夜もあった。
 一月に一回の晩餐で、話題がわからず家族の会話に加われないことに悲しみを感じたことも。
 日の下を楽しそうに駆ける姉妹の笑顔に妬心を抱いた自分への嫌悪に泣いた日もある。
 仕方ないから、ままならぬ身に生まれたのがいけないのだから、寂しさも悲しみも口には出さなかった。
 長じて自分がお荷物のように思われていることを知ってからは尚更に。
 邪魔にならないよう、迷惑をかけないようひっそりと過ごすべきだと思ってしまったから。

 それが望む生き方でないと気づいたのはアイオルドのおかげ。

 アイオルドだけが『何をしたい?』と聞いてくれた。
 どうせできないからと口にすることを諦めたアクアオーラにやってみたいことをなんでも言ってほしいと願った。
 思いつかないなら一緒に考えようと言ってくれた。

「自由というのがどういうものか知らなければ、不自由であることも知ることはなかったでしょう」

 自分と同じ色をした父の目を見つめる。
 似ていると思ったことなんて一度もないけれど、この赤だけは同じだった。
 これほど近くで真剣に向かい合ったのはきっと初めてのこと。
 そして、これが最後かもしれない。だからちゃんと伝えないと。
 もし、認めてくれなくても。
 すっと息を吸って言葉を続ける。

「今ならわかるのです。
 私は、ずっと自由になりたかった」

 王宮にいる限り、アクアオーラは自由にはなれない。
 それがもうわかってしまった。
 だからどれだけわがままだと言われても引けない。

「私は、自身の伴侶にアイオルドだけを望みます。
 そして王宮を離れ、彼の領地で暮らします」

「そんなことがっ」

「許されます。
 だって、ずっとそう決まっていましたもの」

 アクアオーラがアイオルドに嫁ぐことは10年も前から決まっていたこと。
 王族として伴侶を迎えるのではなく嫁すのだと婚約時の契約書にも記されている。
 どんな利点を説かれてもどうしても反故にすることは受け入れられない。

「だから、諦めてください。
 私がいなくともエリレアもシオネもこれまで立派に祭事を務めてきたではありませんか」

 女神様の祝福をいただけたのは幸運だけど、それが国に重大な影響を及ぼすことかといえばそれは違う。
 例えばアクアオーラが王であれば臣民の支持を得、治世に安定をもたらすかもしれない。
 けれどこの国では女王は存在しない。
 王宮に残り、伴侶を迎えれば姉たちやその伴侶との間の火種となってしまう。
 アクアオーラがいない方が、ずっと円滑にまつりごとがまわる。

 お父様だって冷静になればそれがわかるはず。
 今は女神様の祝福という奇跡幸運に目が眩んでいるだけで。

「私がいなくなれば、これまで通りに上手くいきます」

 大臣やその子息たちとて本気でアクアオーラを望んでいるわけではない。
 せっかく目の前にいるのだから手を伸ばしてみようか、くらいの軽い気持ちだ。届かなければそれまでと思っているだろうし、彼らが求めているのはもっと現実的な利益だった。


 まだ納得しかねる顔をしている父に気持ちを切り替えるような明るい声を掛ける。

「そんなわけで、お父様。
 私、家出しますね」

「は?」

 ぽかんとした父の顔なんて生まれて初めてみた。
 こんなときなのに笑ってしまう。

「認めてくれないので仕方ありません。
 婚姻の証明は相手の家に入ったという事実をもっていたしますね」


 元々婚姻は式によって成立するわけではない。
 それがいつしか婚姻が結ばれたことを大々的に知らしめたい王侯貴族の間で結婚式を行うようになり、習慣化してきただけで。
 今でも式を執り行う必要のない家では花嫁が相手の家に入った瞬間をもって婚姻の成立とみなしている。
 だから、もうお父様たちの許しにはこだわらない。
 私にとって大事なのはアイオルドと共にあることだから。



 たくさんの日が入るようにと設計された大きな窓から身を乗り出す。
 アクアオーラが何をするつもりか気づいた父が制止の声を上げ、兵士たちが走り出した。
 けれど、それよりもアクアオーラが窓から飛び降りる方が早かった。


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