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12.望まぬ変化
しおりを挟む『早く俺の領地に迎えたい』
まどろみの中でアイオルドの声が繰り返される。
幸せにふわふわとした意識が耳慣れない足音に覚醒した。
ベッドから身を起こすと寝室の扉が開かれるところだった。
「誰?」
険しい声で誰何する。
見たことのない女官がそこにいた。
「お初にお目にかかります、今日からアクアオーラ様の身の回りのお世話をさせていただきます。
私の他にも何人か派遣されましたので、朝食後にご挨拶いたします」
「聞いていないわ」
人は十分足りているし新しい女官なんて必要ない。
いきなりなんなのかと警戒と困惑が胸を騒がせる。
「後ほどご説明があるかと」
「説明の前にここにいることがおかしいと言っているの。
私の許可を得ずにこの部屋に入ってくるなんてどういうつもり?」
「私たちがここにいるのは国王陛下からの許可を得てのことです」
女官の言葉を聞いてアクアオーラの目が更に険しくなる。
どうしてこんな急にと不信が湧く。
何よりもいつもの女官はどこに行ったのだろう。
強引に遠ざけられたのだろうか。
「アクアオーラ様は女神様の祝福を受けられたお方。
これまでこのような人数しかいなかったことがおかしいのです」
おかしいもなにもその人員で十分としてきたのはお父様であり、他の誰も異論を挟まなかったのに。
今更どうしてなのかと困惑が湧き上がる。
「本日は陛下が共に朝食をとおっしゃっておいでです、お急ぎください」
続けられた言葉で、困惑に変わり呆れと失望が胸をよぎる。
女神の祝福を受けたと尊んでいると言いながらの一方的なその態度が、アクアオーラの立場の軽さを表しているようだった。
自分で簡単に身支度を整えて朝食の場へ向かう。
あの女官から手伝いを申し出られたけれど、必要な手順も取らず王の許可を立てに人の領域を土足で踏み荒らす人間に身を任せようとは思えない。
女官にもそれを許した父の命にも不快を感じていた。
家族の待つ広間へ入ると悪びれた様子もなく笑顔で迎え出た。
「おお、待ちかねていたぞアクアオーラ」
お父様が大仰に手を広げ歓待を表すとお母様もにこやかに労いを口にした。
「昨日はお疲れさま。
大役を果たして疲れたでしょう」
こちらに座りなさいと示されたのはお母様の隣。
理由がわかっていても常と違う扱いは不安と不快しか呼び起こさない。
「さあ主役が来たことだし、いただきましょうか」
お母様の言葉を合図に姉たちが料理に手を伸ばす。
気は進まないもののアクアオーラもサラダに手を伸ばした。
「昨日はすごかったわねえ。
アクアオーラがあんなに舞が上達していたとは思わなかったわ」
「ああ、まさか女神様に祝福をいただくほどだとは驚いた。
お前は私たちの誇りだ」
にこにこと上機嫌な二人はひたすら舞を褒め、女神様の祝福を喜んでいた。
「本当に驚いたわ、いつも部屋に籠ってばかりだから最後まで舞い切るのがようようと思っていたのに大したものね」
「他の子の舞が霞んでしまうほどだったわね、少し可哀想なくらい」
姉たちが驚きを口にする。その笑みのように細められた目には好奇と、ほんの少しの悪意。
酸味の利き過ぎた味付けのサラダをむせないように少しずつ食べていく。
水で酸味を薄めてようやく口を開く。
「すべてはアイオルドが用意してくれた舞台のおかげです。
彼の力がなければ私は舞を披露することなどできなかったでしょうから」
本当に事実としてアイオルドがいなければ舞どころか太陽の下に出た時点で倒れていただろう。
日光を遮る傘もいつも着けている冷風の腕輪もアイオルドの発明だ。
彼が発明した魔道具のほとんどにアクアオーラは恩恵を受けている。
決して謙遜などではなく、アイオルドがいなければ成し得なかった。
それをわかってほしいのに、そこを見ないでただ褒められるのは過分な評価だと思ってしまう。
アクアオーラが女神様から祝福をいただいたのだって……、アイオルドのおかげだ。
もしアイオルドが側にいなかったら、自身を呪い、親を恨み姉妹を羨み、世界を引いては世界を作った女神様をもすら憎んだかもしれない。
女神様に感謝を捧げたいと思えるほど幸せでいられるのはアイオルドがいるから。
彼の存在は大きい。
アイオルドのことを思い浮かべて澱みそうになる感情を胸から払う。
「そうか、そのような友人に恵まれたのは幸運なことだ」
「これまで支えてくれた友人に感謝するのは当然だわ」
二人がアイオルドを友人と呼んだ不可解さに眉を寄せる。
口を揃えて友人と呼ぶなんてなんの理由があって?
違和感を覚えながら口を開く。
「ええ、アイオルドには深く感謝しています。
幼き頃から長きにわたっていつも私の側で支えてくれて……。
婚約期間が終わるのが待ち遠しい。
早く彼の下に嫁ぎたいと思っております」
アクアオーラのセリフに父母は眉を寄せ、姉たちは安堵の色を浮かべた。
背景にあるものが読めて不快感に気分が悪くなる。
朝のこともそれが関係しているのだろう。
「まあ、とても仲が良いのね」
取り繕うように明るい声を発するお母様を見ないようにして果物を口に入れる。
自室で食べる物と同じはずなのに、酷く生臭く感じた。
それ以上食べる気にならず水だけでお腹を満たしていく。
「しかしお前は女神様の祝福を得た身、彼では不足ではないか」
水を運ぶ手が止まる。
どういう意味か恐ろしい予感に肌が粟立つ。
急激に体温が下がったような感覚を覚えた。
「何がおっしゃりたいのでしょうか」
「お前もこの国の王女ならば王宮に留まり女神様のお元で祈りを捧げる資格がある。
彼の地は遠くお前の身体を思えばもっと王都に近い領地や王宮に通える相手が望ましいのではないかと思ってな」
グラスに力が籠り震えそうになるのを抑えグラスをテーブルに戻す。
膝の上に戻した手をゆったりと組む。
感情的にならないようゆっくりと言葉を発した。
「私の未来の伴侶はアイオルドだけです」
アクアオーラのはっきりとした拒絶にお父様がたじろぐ。
「そ、うか」
明確に拒否されて二の句が次げなくなったお父様に代わりお母様が話を引き取る。
こんなにはっきり拒否しているのに、まだこの話題を続けるつもりらしい。
「そんなに頑なに考えなくていいじゃない、あなたも他の人と交流してみたら気持ちも変わるかもしれないし」
「そうしたら10年来の婚約を破棄して他の人と添わせると?」
随分な話だと思う。
アイオルドにとっても、アクアオーラにとっても酷い。勝手過ぎる。
「そうよ! あなたが望むなら」
「望みません」
アイオルド以外の人と将来を過ごすなんて考えたくない。
早く婚姻したいとすら思う最愛の人がいるのになぜ他の人との未来を描かなければいけないのか。
昨夜二人で話した幸せな未来が崩される恐怖に手を握り締める。
「アイオルド以外の人との未来なんていりません」
初めてこんなに強く自分の意思を口にした。
絶対に引けないと伝えるように真っ直ぐにお父様の目を見る。
「そんなわがままが許されると思ってるの?」
横から険しい声が割り入った。
否定の言葉を上げたのが意外でエリレアの顔を見つめる。同意すると思ったのに、どうして。
「あなたがどうであれ、女神様の祝福を得たことは皆が知っているわ。
女神様の寵愛深い王女が王家を離れる影響を考えてちょうだい」
硬質な声に歯噛みする。
女神様の祝福が発端なのであれば、女神様のくれた言葉を伝えても逆効果かもしれない。
考えながら言葉を紡ぐ。
「私は舞っているとき、アイオルドと出会わせてくださったことの感謝も女神様にお伝えしております。
祝福をくださったのが私の祈りに対してであればアイオルドのことを女神様も認めてくださったはず」
女神様が認めたという言葉にわずかに父の勢いが弱まった。
「何を馬鹿な、真実かどうかわからぬことで誤魔化すつもりか」
「お父様こそ周囲に惑わされないでください」
過分な数の女官も不要ですと告げて席を立つ。
たった一夜でこんなに何もかも変わるものなのかと暗澹たる気持ちに襲われる。
久方ぶりの家族そろった朝食は最悪の雰囲気で終わった。
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