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番外編 ~それぞれの未来~
今できること <ミシェル視点>
しおりを挟むお手本に借りた布を見ながら一刺し一刺し丁寧に刺繍を刺していく。
この地に来てからダニエルとリリーナと3人で暮らす生活は穏やかだけれど活気に満ちている。
ダニエルは色々な仕事を与えられ自分ができる仕事を模索している。すぐにできる仕事ということから肉体労働が多く、帰ってくるとお腹をぺこぺこに空かせていてご飯をしっかり食べるようになった。
前よりも体力がついて身体もたくましくなってきていてすっかり元気を取り戻したように見える。
過去を思い出したり未来への不安に憂うような瞳をすることはずいぶん減って安心した。
勉強がしたいと願ったリリーナは紹介された商家へ出向きそこで働いている子たちと共に学んでいる。
毎日ではないので商家で授業がない日は教会でやっている青空教室へ行ったり町役場に併設されている図書室で本を読む毎日。
でも勉強しかしていないわけじゃなくて商家では簡単なおつかいや雑用、教会では洗濯や掃除などの手伝いをさせてもらって帰ってくる。
後見に付いてくれたお兄ちゃんからの援助に甘え切りになることなく自分にできることを探してるリリーナはすごい。
私は、自分が学びたいと言ったことすら満足にできていないのに。
手元の刺繍に目を落とし溜息をつく。
複雑な模様の刺繍を施している布はクッションのカバーとして使われる物。
これまでの経験から、あと一週間くらいあれば完成できそうだった。
お手本と並べてみてもそれほど遜色ない物ができていると自分では思う。
けれど、と横に置かれた布地を眺める。
そこにはまだ沢山の布が置かれていた。
自分の手の遅さに嫌になる。
ぐっと吐き出しそうになった溜息を押し殺してまた針を進め始める。悩みは頭から追い出して。
針が遅いのは今すぐに変えられることじゃないし、焦って雑になっては意味がない。
今自分がするべきは材料を無駄にしないよう丁寧に仕上げることだけ。
刺繍と向き合っていると、雑念は消えていく。
図書室から帰ってきたリリーナの元気な声が聞こえるまで無心に針を進めていた。
出来た分を持ってお世話になっている商家に納品に向かう。
いつも担当してくれる女性職員が迎えてくれる。20代にしか見えない彼女だけれど実は私たちのお母様とそれほど年が変わらない。聞いた時は驚きに言葉も発せずじろじろと不躾な視線を送ってしまったことを思い出す。
いきなり失礼をしてしまったにもかかわらず笑って許してくれた彼女は品物を見る目は確かで、持ってきた品物に不備があるときははっきりと言ってくれるので気が抜けない。
差し出したカバーを検分する表情は柔らかいけれどその瞳は鋭い。緊張しながら見つめていると顔を上げた彼女の口が弧を描き、ほっと胸を撫で下ろす。
「今回もいいわ、全部買い取りね」
「ありがとうございます、あ、でも今回も材料が余ってしまって……」
完成品とは別にしていた袋から預かっていた材料を返す。その枚数の多さに申し訳なさが募り眉が下がる。
「ごめんなさい材料を無駄にして」
私が謝ると彼女は目を瞬いて首を傾げる。
「無駄にはなっていないでしょう?
使わなかった分はこうして返してくれればそれでいいのよ」
「で、でも、本当ならこれが完成させてほしかった枚数ですよね」
私の手が遅いために預かった布地の半分以上を返すことになってしまった。
本来ならもっと沢山作って納品してほしかったはずなのに、できない自分が嫌になる。
「ああ……、違うのよ」
職員の女性がふっと笑ってそれは違うと答える。
「あなたの刺繍は丁寧で綺麗だから沢山できたら嬉しいけれど、この枚数作れるとは思っていないわ。
だって、あなた家のこともやっているんでしょう?」
彼女の言うとおり、日々の食事だったりといった細々した家事は家にいる時間が一番長い私が担当している。
それが一番合理的だし、ダニエルやリリーナが喜んで食べてくれるのを見るのが楽しいから。
けれど、私がしている家事は一部に過ぎない。
「でも、家のことは食事を作ったりちょっとした掃除くらいで……。
それほど時間を取られているわけじゃないです」
食事の後片付けはダニエルもしてくれるし、リリーナも家にいるときは家事を手伝ってくれる。
恐らく一番重労働である洗濯などは洗濯屋に完全に任せてしまっていた。
この家に来たばかりの頃は人に頼めばお金もかかるし自分たちのことは自分たちでした方が良いと思い全ての家事をやろうとしたのだけれど空の洗濯桶すら持ち上げられず、水汲みをしてもあまりの力の無さにとても時間がかかり井戸を使う皆の邪魔になってしまった。それから頼れるところは頼ることにした。
私たちのすることは自分たちで生きていける道を探すことであってできないことを無理にやることではないと諭されたのも理由としてある。
早く自立するには不得意なことを頑張るよりも得意を見つけそれを伸ばした方がいい、それもその時に言われたことだ。
「あら、家事は意外と時間がかかるものだわ。
料理一つとっても献立を決めて買い出しから下ごしらえ調理に後片付けと結構な工程があるでしょう?」
確かにと頷くけれど、それでもやっぱりもっとできなきゃいけないと思ってしまう。
「それに余った布は他の子に刺繍をしてもらうつもりだから無駄には決してならないわ」
私では駄目だったから、と胸がじくりと痛む。
こんなところで自己嫌悪に陥っていてはいけないと思いどうにか笑みを保つ。
「あなたの後に刺繍をしてもらう子は早いけれど品質はもう少しといったところかしら。
量販品として売るから構わないのだけれどね。
どちらも求める方はいるし、片方が優れているというものでもないわ」
女性の言葉にわずかに目を見開く。
「あなたの作った物はとても品質が良いから高級品として売っているの」
前作ってもらった物もそうよと微笑まれ膝の上で手を握り締める。
そうしていないと落ち着きなく手をさまよわせてしまいそうだった。
褒められてうれしいのに、まだ自分はそこまで達していないんじゃないかも思ってしまう。
「でも、それでも渡された布は多かったです。
本当はもっと作ってほしかったのではないですか?」
これで良いと言われても完成させた物に対して明らかに多い布地は、期待していた水準に達していなかったという事実を表しているようにしか思えなかった。
「失敗することも見越して渡していたとしても、やっぱり少し多いと思いますし……」
売り物である以上刺し間違えた物などは売ることができない。
そうしたら布地が無駄になるのでできるだけ丁寧に刺しているけれど、それでも最初に任されたときは何枚か失敗した。布は預かっているだけで私の物ではないので失敗した物も一緒に返している。
最初は失敗した分は買い取りになるかとドキドキしたけれど、別の商品へ使うからと女性が普通に引き取っていった。
「こんなに素直ないい子に明かすのは気が引けるけれど、多めに渡しているのはわざとなの」
困ったように微笑み告げられた言葉に目を瞬く。
わざと……。
どうしてと首を傾げるとにこやかな笑みに戻った女性が理由を説明してくれる。
「最初の頃に多く材料を渡すのはこの先も仕事を一緒にできる相手かどうか見極めるためなのよ。
もちろん多く作ってくれれば嬉しいし、失敗したときのために余分に渡しているのもあるけれどね?」
それだけじゃないと言われて気を引き締めて耳を澄ます。
「中には失敗した布地を処分してしまったと言って自分の物にしてしまう子もいるのよ」
「……!」
女性職員が言った言葉に驚愕した。
預かった物を失敗したから捨てたと偽って自分の物にする――。
それはきっと、自分で使うと言った意味ではなく、余所で売ってお金を懐に入れるということ。
「最初に渡した材料は大した物じゃないけれど、前回と今回は材料だけで結構な物よ。
バレなければって考えで手を出しちゃう子もそれなりにいるの」
預かった物に手をつけてしまう人がそれなりにいるという話に首筋がひやりとする。
自分が知らないだけで犯罪に手を染めてしまう人は近くにいるのかもしれない。
ごめんなさいねと微笑む彼女を見て首を横に振る。
試されていたと聞かされて正直良い気分にはならない。けれど、話を聞いたら仕方ないと思えた。
「誤解しないでね? 商会の者は皆通る道なのよ」
自分が特別疑われてたわけじゃないと知ってほっとする。
「あなたは糸も布もきっちり返してくれたし、失敗も少なく丁寧に品物を作ってくれる良い職人さんだわ。
これからもよろしくね」
「……っ、はい!」
認めてもらえた喜びから思ったより大きな声が出てしまい慌てて口を押えて頭を下げる。
「あなたは手の遅さを気にしているみたいだけれど、その分仕事が丁寧よ」
褒め言葉に頬が熱くなっていく。
「……針の仕事にも色々あるわ。
今やってもらってるような刺繍を施した品物だって量販品から高級品、オーダーを受けて作ることもあれば、自分の感性に任せた一点物を作る職人だっているのよ。
他にもドレスを作る人、普段着を作る人、布小物を作る人、革細工師……、は女の子じゃちょっと厳しいかしら?
それから新しい品物を作る人ばかりじゃなくて繕い物を専門にしている人だっているし」
他にも探せばまだまだあるわよと言われてそんなに針を使った仕事があるんだと感嘆する。これまで想像していたよりもずっと針仕事は生活に密接に関わっていると知り胸が高鳴った。
「あなたに今任せているのはウチの商会が次の次のシーズンに向けて売り出す日用品、貴族や富裕層向けのね。
数を作るためにはある程度品質に妥協が必要になるけれど、この出来栄えの刺繍を施せるのにそれはもったいないわ。
でも高級路線の品なら仕上がりが美しいことがまず第一条件だし、大量に作る必要がない。 あなたにはこっちが向いていると思ったのよ」
「ありがとう、ございます」
「将来に悩んでいるなら自分がやりたいことで仕事を選ぶのもありよ?
好き、って何よりの原動力になるもの」
だから私はこの仕事をしているのと自信に満ちた笑みが眩しかった。
助言をしてくれたお礼を言って納品した品物の代金を受け取って帰路に就く。
市場によって買ってきた食材をテーブルに置いたところでリリーナが帰ってきた。
「おかえりなさい、リリーナ」
「……」
いつもならただいまと元気な声が返ってくるのにリリーナは俯いたまま。
どうしたのかと近くに行くと、スカートの裾を握りしめて潤ませた目で私を見上げる。
「お姉様……、これ」
抓むようにして持ち上げた部分を見て泣きそうな顔をしていた理由がわかった。
リリーナが着ていたスカートは裾が何か尖った物に引っ掛けたように穴が開いていた。
このスカートはリリーナのお気に入りでよく着ている。それに穴を開けてしまったのだから悲しむのも当然だった。
繕い物の仕方も学んでいる。けれど、それだけじゃリリーナが笑顔に戻るかはわからない。
「刺繡を入れましょうか。
リリーナはどんな刺繍がいい?」
後ろに当てるための小さな布地を出しながらリリーナに聞く。
「直るの?」
「直るし、もっと可愛くなるわ」
どんな絵柄が良い?と聞くと悲しみに色を失っていた頬が色づいてくる。
「お花がいい!」
図柄の乗った本を開きこれが良いと指を差す。それほど時間が掛からなそうだったので、リリーナを隣に座らせ糸を取り出す。
動いちゃ駄目よと告げ、着たまま刺繍を施していく。
不安そうな瞳が段々と期待にきらめいてくる。
終わって糸を切ったときにはリリーナはすっかり笑顔を取り戻していた。
「お姉様ありがとうっ! 前よりももっと好きになったわ!」
「どういたしまして」
うれしそうにその場でくるくる回り出したリリーナを微笑ましく見つめる。
夕飯の準備をしましょうかと立ち上がるとリリーナも手伝うと材料に手を伸ばした。
女性職員に言われた言葉が頭に蘇る。
『好きって何よりの原動力になるもの』
その通りだと思う。
泣きそうだったリリーナがうれしそうに笑う顔を見て実感した。
私は自分の刺繍で誰かが喜んでくれるのが好き。
その先の方向性はまだわからないけれど、刺繍だけで生活できるくらい腕を磨いていけたらと胸に熱い物が宿ったのを感じた。
今日の出来事を聞きながら二人で料理をする。
ダニエルが帰ってくるのもあと少し。
兄妹三人の食卓はダニエルやリリーナが話題を出すことが多いけれど。
今日は、私から刺繍を褒められた話をしてみようと思った。
今できることを一つ一つ重ねて行こうと自分に誓う。
私やリリーナのためと色々な仕事をしているダニエルに私は大丈夫だと言えるようになりたい。
ここにはいないもう一人の兄にも。
自分はしっかりやりたいことを見つけ自信を持ってその道を歩いていると言えるように――。
静かな決意は私の中で確かに根付いていた。
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