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三年目 ~再びの学園生活編~
苦しい想い <クリスティーヌ視点>
しおりを挟む講義が終わり、友人たちとお茶をする。
少し日差しが強くなってきたので今日は室内でゆっくりしようと個室を取ってあった。
アランは講義の課題で協力することになった男子学生に囲まれていたので別行動だ。
終わったら後で迎えに来てくれることになっている。
アランも新たな友人を得たようで良かった。
お兄様たちは卒業してしまったし知り合いのあまりいない中での復学、しかも始終私と一緒にいるということで最初は男子学生からは遠巻きにされていた。
けれどいつの間にかアランの周りには多くの級友が集まっている。
なんだかそれが誇らしい。
「素敵ですよね、アラン様って」
そんなことを考えていた私はアランの名前が出た動揺に口を噤んだ。
「そうですよねえ! クリスティーヌ様に『後でお迎えに上がりますから』っていうときの優しい微笑みとか見てるととても癒されますっ」
あんな優しいお兄様がほしい、それが続くと思っていた私は次の言葉に呼吸が止まったような気がした。
「あんな方が婚約者だったらいいのですけれど」
「本当に、私は跡継ぎ娘だからアラン様のような方に来ていただけたら嬉しいわ」
今は平民とはいえ元の立場も能力も申し分ないものと冗談にしては具体的に語る言葉に胸が嫌な音を立てる。
「あなたには仲の良い婚約者がいるじゃない!」
私の方が釣り合いが丁度良いわよと笑い合いながらきゃあきゃあと盛り上がる友人の姿に、私は笑みを保つのがやっとだった。
会話に入れずカップを傾ける。
指先が震えていることに気づき、音を立てないように両手で支え皿に戻す。
「クリスティーヌ様が羨ましいです、あんな素敵な方に側にいて守ってもらえて」
そうですよと微笑む彼女たちに他意がないのはわかっている。
いつもどおりを装い口を開く。
「アランは皆に人気ね。
でもアランを婿に望む方はまずお兄様の許可を取っていただかないと」
それが一番の難題よと笑みを含んだ声で告げる。
冗談めかした答えに上がる笑い声に、自分が上手く振舞えたと安堵する。
お茶の味なんてもう何もわからなかった。
先に帰って行く友人を見送ってから、ロレイン様が口を開いた。
「泣いてもいいわよ」
ぱた、と涙が手の甲に落ちた。
堪えていた涙が瞬きをするごとに雫となって落ちていく。
「……っ」
涙を零す私をロレイン様は黙って見守ってくれる。
「……アラン様が素敵な人なんてわかってるんです」
震える声が自身の動揺を表しているようで嫌なのに、取り繕うこともできない。
私だってアラン様の良いところなんてもっと一杯たくさん知ってる。
優しいところも、努力家で勉強ができるところも。
柔らかく微笑む笑顔の温かさも。光を受けて色を変える淡い茶色の瞳の美しさも。
いつも物腰柔らかで、けれどお兄様といるときは少し少年っぽい快活な笑顔を見せることもあった。
受けた痛みに傷ついているときでも相手を思いやる心が悲しいほどいたわしく、何か自分にしてあげられることはないかと胸を痛めた。
領地に旅立つときの晴れやかな笑顔に安堵したのは私だけじゃない。
お兄様も、きっとお父様お母様も同じ気持ちだった。
夏季休暇で再会したときの、失敗を言外に窘めてくれる厳しさや引いた一線を超えまいとする真面目さ。
学園生活の話を聞いてくれるときの穏やかな声、記号を使った魔法の発動を見た後に真摯に忠告をしてくれるところなど。
他にもアラン様の素敵なところなんていっぱいいっぱい知ってる。
でも、言葉にはできない。
「いっ、……いいなぁって、っ、羨ましい……。
みんな、あんなにアラン様のことを褒めて……っ」
私には、言えない。
素敵な人だとも、婚約者になったら嬉しいなんてことも。
――まして好きだなんて。
思い浮かべた言葉にまた涙が溢れた。
好き――。
アラン様が――。
誰にも言えない想いが胸を締め付ける。
領地を旅立つ前日に裏庭で話をしたときに言っていた、大切な人たちが幸せなら自分も幸せだという言葉。
その時にはっきりと恋に落ちたことを自覚した。
幸せだと綻ぶ口元が、緩やかに細められる瞳が、言葉にできないほど胸を揺さぶった。
ただの憧れだと思っていた。
いつも優しくて穏やかな人。
お兄様のように慕っていただけだと。
それが大きく変わったのはアラン様が婚約を解消されたとお兄様が屋敷に連れてきてから。
酷い形で裏切られ、縋る手すら振り払われて。それがどれだけの絶望だったかなんて想像もつかない。
なのに私と話す表情はいつもと変わらないもので。
勉強を教えてほしいという私のお願いに柔らかな笑みを浮かべて了承をしてくれた。
そんな酷いことが起こったなんて信じられなくなりそうなほど変わらぬ態度。けれど時折浮かべる物思いに沈んだ瞳。
全力で構えというお兄様の指示だからではなく、私がアラン様を放っておきたくないと思ったの。
庭に出たというアラン様を追いかけて外へ出て姿を探していたとき、庭園の片隅のベンチに座ったアラン様を見つけた。
声を掛けようと唇を開いた時、空を見上げていたアラン様の瞳から涙が零れた。
辛そうな表情を浮かべるわけではない、アラン様の表情は変わらないまま。
頬を伝う涙だけがアラン様が負った傷の深さを表しているようだった。
ぎゅうっと胸を押さえて言葉にしたくなる衝動を必死で抑える。
声を掛けるのを止め、生け垣に姿を隠して衝動と戦った。
私が姿を見せればアラン様はまた自身の心を押し殺して笑みを浮かべてしまう。
それがわかったら動けなくなった。
どれだけの時間が経ったのか、立ち上がる音がしてはっと我に返る。
まだ散歩を続けるのか庭園の奥に進もうとするアラン様に今来た風を装って声を掛けた。
駆け寄るといつもと同じ穏やかな笑みに戻っているのが苦しくて、悟られないように笑みを作る。
ほんのわずかに赤い瞳だけが涙の名残を教えていた。
せっかくなので案内をと隣を歩き庭園の説明をしていく。
少しでも気が紛れれば良いと思いながら。良く晴れて、けれど冷たい空気の中を共に歩いた。
『クリスティーヌ様、よかったらこちらをどうぞ』
そう言ってアラン様が差し出したマフラー。
手を伸ばせないでいると、自分は散策して身体が温まっているから大丈夫だと告げられる。
アラン様だって先ほどまで座っていた冷たいベンチに身体が冷えているはずなのに。
ふわふわで温かかったですよと添える気遣いにそれ以上断ることもできずにアラン様の温かさの残るマフラーを首に巻き付けた。
途端に温かくなる首周りに口元が綻んだ。
温かいのはマフラーのおかげかアラン様の心遣いか。
いつも他人を慮ってばかりで、どこまでも優しい人。
辛くても一人で乗り越えようとするその強さに。
彼を一人にしたくないと強く思った。
ロレイン様の前でひとしきり涙を流し終え、ハンカチでそっと眦を押さえる。
黙って聞いてくれたロレイン様に自分の気持ちがいつから知られていたのかと聞く。
「いつから気がついていたのですか?」
「……去年の夏季休暇から戻ってきてからですわよね。
一つの栞を大事に持ち歩くようになったのは」
鋭い指摘に涙を拭いながら頷く。
「それを眺めては物思いに耽っている姿を見て恋でもしたのかと思ったわ」
その前に領地に言ったらアラン様に会うのが楽しみと聞いてもいたし、予想は簡単に立ったと言われた。
そんなにわかりやすかったのね、私。
不安に視線を上げると他の方は気づいていないから大丈夫よと答えるロレイン様。
私の思考まで全てお見通しのようだった。
「可愛らしい花びらを押した栞はアラン様との思い出のものなのでしょう?」
こくんと頷く。
「私の髪に着いた花びらを綺麗だって、言ってくれたの。
だから……」
アラン様が地に落ちる前に受け止めてくれた花びらが、特別なものに思えたから。
私の語る思い出にロレイン様は困ったような笑みを浮かべていた。
「クリスティーヌ様のこんなに可愛らしい想いを知らないなんて、アラン様も損しているわね」
「……言えるわけがないわ」
アラン様に想いを伝えるなんてできない。困らせてしまうだけだもの。
仕える主の娘、妹。そんな私から想いを寄せられているなんて知ったら真面目なアラン様のことだもの。
きっと離れてしまう。
それは嫌なのに、側にいるのも苦しい。
けれど健やかに過ごしているのを見られる幸せと喜びが痛みよりも勝る。
どうにもならない恋をそれでも捨てられなかった。
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