16 / 28
第十六話
しおりを挟む「これ、は…」
「もちろん正式なものではございません。離縁の成立にはお互いの家の同意が必要ですから、ティナ様一人でお書きになったこれには何の法的制約もございません」
「そうだ。こんなの何の意味もない!」
「え、えぇ。でもティナ様はただ自分の気持ちを示すものとして、渡してほしいと……」
「ティナの気持ち……」
「後日正式にレジトール子爵家からお話があるのではないでしょうか」
ロザリーの差し出した封書を、リカルドは震える手で受け取った。
じっと、書かれた『離縁状』の文字を見る。
(間違いなくティナの字だ)
ティナと交わしたメッセージカードを、何度となく見返したリカルドが、ティナの字を間違えるはずがない。
侯爵家より爵位の低い子爵家。それもかなりの辺境で王都ではほとんど名前も聞かないような家から離縁を持ち出すことは、家をつぶされても文句が言えないほどの礼儀知らずな行いだ。
己と家族の命を棒にふるようなものなのに。
それほどに、ティナにとってここでの生活は辛いものだったのか。
こんなものを書かなくてはならなくなるほどに、自分は彼女を追い詰めていたのか。
「……ティナは、どこに。話をしなくては」
「ずいぶん前にご実家に向けて発たれました。もう王都を出てしまっている頃ではないでしょうか」
「なんということだ」
リカルドは離縁状を握りつぶして、そのまま封書をポケットにねじり込む。
開いて読むつもりなんて更々なかった。
離縁なんて絶対にしない。
絶対にティナを手放したくなんてない。
こんなもの、何の意味も持たない紙くずにしてやる。
そう決めて足早に部屋を退室すると、のぼってきたばかりの階段を今度は二段飛ばしで下り始める。
「旦那様、どちらに?!」
背後から慌てた様子のロザリーの声が聞こえた。
振り向く間も惜しくて、リカルドはぞんざいに声だけを返す。
「ティナを連れ帰る。離縁なんて絶対に認めない」
そう言う間には、もう階段を下りて玄関の扉をくぐっている。
コンパスの長い手足に加えて、非常に俊敏な脚力がこの時ばかりは役立ちそうだ。
「そんなっ……お待ちください!」
玄関から外に出てすぐも、馬小屋に足を向けたリカルド。
その彼を必死で走って追いついたロザリーの縋るような必死な声が呼び止めた。
次いで背後から勢いよく柔らかな身体が押し付けられる。
リカルドの大きな肢体に、ロザリーは背後から腕を回した。
驚いて振り向いたリカルドに、ロザリーは今度は正面から抱きついた。
「っ…おい」
「不作法申し訳ありません、でも…」
リカルドは、その見た目から女子供から遠巻きに見られ続けていた。
だから女性関係はかなり経験少なく、このような事態の対処法も持ち合わせてはいない。
突然の事態に驚愕しているリカルドを、ロザリーは濡れた黒い瞳で見上げて見せる。
女性特有の甘い香りと柔らかな女の感触ににただただ動揺した。
ロザリーはリカルドを見つめ続けながら、切なげな表情で口を開く。
「ずっと、お慕いしておりました。どうかティナ様を追わないでくださいませ」
「っ……」
「リカルド様の幸せの為だと思って、ティナ様に誠心誠意お仕えしてきました。リカルド様がお選びになったお方だからと。…でも、結局は嫉妬に駆られて、日に日にあなたへの想いが強くなるだけだった。お願いします、私と添い遂げて下さいませ!」
その必死な表情は、いつも凛とかまえた気の強いロザリーとはまったく違った。
本気でリカルドを想っているのだと、愛しているのだと、彼女は全身で訴えている。
「っ…すまない」
リカルドは我に返るとすがりついてくるロザリーの両肩に手を置き、彼女を自分から引き剥がしす。
ロザリーは酷く傷ついたような、今にも泣きだしそうな顔でリカルドを見上げている。
「俺の妻は、ティナだけだ。彼女へ立てた誓いは生涯破るつもりはない」
そう言い放つと、今度こそロザリーへ背を向けて馬小屋へと駆ける。
後ろからまたリカルドを呼ぶ聞こえたけれど、もう立ち止まることはなかった。
(あとできちんと話をしなければ)
想いを伝えてくれた人から逃げるように去ることに、一抹の罪悪感を覚える。
けれど、一番大切な人は決まっているから。
彼女を今追わないと、一生後悔するだろうから。
他の女に患っている余裕などなかった。
リカルドが欲しいのは、控えめにはにかむ表情がとても可愛らしい、あの少女だけなのだ。
2
お気に入りに追加
76
あなたにおすすめの小説
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
溺愛される妻が記憶喪失になるとこうなる
田尾風香
恋愛
***2022/6/21、書き換えました。
お茶会で紅茶を飲んだ途端に頭に痛みを感じて倒れて、次に目を覚ましたら、目の前にイケメンがいました。
「あの、どちら様でしょうか?」
「俺と君は小さい頃からずっと一緒で、幼い頃からの婚約者で、例え死んでも一緒にいようと誓い合って……!」
「旦那様、奥様に記憶がないのをいいことに、嘘を教えませんように」
溺愛される妻は、果たして記憶を取り戻すことができるのか。
ギャグを書いたことはありませんが、ギャグっぽいお話しです。会話が多め。R18ではありませんが、行為後の話がありますので、ご注意下さい。
【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人
白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。
だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。
罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。
そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。
切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》
旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。
バナナマヨネーズ
恋愛
とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。
しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。
最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。
わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。
旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。
当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。
とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。
それから十年。
なるほど、とうとうその時が来たのね。
大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。
一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。
全36話
【完結】「政略結婚ですのでお構いなく!」
仙桜可律
恋愛
文官の妹が王子に見初められたことで、派閥間の勢力図が変わった。
「で、政略結婚って言われましてもお父様……」
優秀な兄と妹に挟まれて、何事もほどほどにこなしてきたミランダ。代々優秀な文官を輩出してきたシューゼル伯爵家は良縁に恵まれるそうだ。
適齢期になったら適当に釣り合う方と適当にお付き合いをして適当な時期に結婚したいと思っていた。
それなのに代々武官の家柄で有名なリッキー家と結婚だなんて。
のんびりに見えて豪胆な令嬢と
体力系にしか自信がないワンコ令息
24.4.87 本編完結
以降不定期で番外編予定
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
ふたりは片想い 〜騎士団長と司書の恋のゆくえ〜
長岡更紗
恋愛
王立図書館の司書として働いているミシェルが好きになったのは、騎士団長のスタンリー。
幼い頃に助けてもらった時から、スタンリーはミシェルのヒーローだった。
そんなずっと憧れていた人と、18歳で再会し、恋心を募らせながらミシェルはスタンリーと仲良くなっていく。
けれどお互いにお互いの気持ちを勘違いしまくりで……?!
元気いっぱいミシェルと、大人な魅力のスタンリー。そんな二人の恋の行方は。
他サイトにも投稿しています。
猛禽令嬢は王太子の溺愛を知らない
高遠すばる
恋愛
幼い頃、婚約者を庇って負った怪我のせいで目つきの悪い猛禽令嬢こと侯爵令嬢アリアナ・カレンデュラは、ある日、この世界は前世の自分がプレイしていた乙女ゲーム「マジカル・愛ラブユー」の世界で、自分はそのゲームの悪役令嬢だと気が付いた。
王太子であり婚約者でもあるフリードリヒ・ヴァン・アレンドロを心から愛しているアリアナは、それが破滅を呼ぶと分かっていてもヒロインをいじめることをやめられなかった。
最近ではフリードリヒとの仲もギクシャクして、目すら合わせてもらえない。
あとは断罪を待つばかりのアリアナに、フリードリヒが告げた言葉とはーー……!
積み重なった誤解が織りなす、溺愛・激重感情ラブコメディ!
※王太子の愛が重いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる