魔法のキスで花咲く恋を

おきょう

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 ニコラウスの隣にいる相手は、燃えるような赤い髪をした小柄な女性。
 顔立ちはここからでははっきりと判別できない。
 分かったのは首元のリボンがグリーンで、つまり一学年上で、ニコラウスと同級生らしいということ。

 ただ同級生と話しているだけ……なら良かったのだ。

 しかし軽い立ち話などではなく、しっかり同じベンチに腰かけている状況。
 さらに彼らは寄り添いあい、膝の上に何かの本を開き、一緒に覗き込んでいる。
 まるで恋人どうしみたいな親密な雰囲気で、顔を寄せ合っているように見えた。
 時おり本から顔を上げ、会話をかわす距離感もそのままの近さで、とても近い。

「あの方はいったいどなたでしょう?」
「エリーゼ・カーパード様ですわ」
「カーパード……南東に領地のある子爵家ですね」
「えぇそうです。平原が多く酪農が盛んな土地として知られております」

 メリットが階下の二人とネモフィラを交互に見つつ、黒い瞳を怒ったみたいに細くした。
 
「彼女は、魔術薬研究会に所属してらっしゃるいますわ。ニコラウス様と同じ特進クラスでもあります」
「そ、そうなのですね。研究会もクラスも同じなら、仲が良くても当然ですね」
「でも……あまりにも近すぎないでしょうか。立場をわきまえてらっしゃしません!」
「そうね……でもそれを、ニコラウス様が許してるのなら……」

 ……こんなこと、これまで一度もなかった。

 ニコラウスが女性徒と会うのは必ず複数で。
 それが婚約者のネモフィラに対する彼の誠実さの現れだったのだ。
 ネモフィラだって不用意に異性と二人きりになるようなことはしなかった。
 しかし三階から見下ろす限り、周りには誰も連れていない。
 人目のある学園内とはいっても、仲睦まじく、二人だけで話をしている。
 ベンチに腰かけて顔を寄せあい一冊の本を覗き込んでいる距離の近さに、ネモフィラだけでなく、誰もが違和感を覚えるだろう。

「あの、ネモフィラ様はそのご様子だとご存知なかったようですが……最近、彼女とニコラウス様はとても仲がよいと噂が立っております」
「そうなのですか?」
「えぇ、どうやら先週の半ばごろからニコラウス様が追いかけている側なのだとか」


 先週の半ばごろといえば、ネモフィラが父から婚約解消を知らされて二、三日程度たった頃だろうか。

「ニコラウス様が、追いかけている……」
「はい。わたくし自身、ニコラウス様から話しかけに行っている場面も拝見しましたわ」
「ほ、本当に? 何か御用があってのことではないかしら」
「そうだとは思うのですが……しかし、近ごろお昼も一緒にしてらっしゃならいで……その、ニコラウス様が乗り換えた、と思うものもいるようで……」
「まぁ…………」
「ネモフィラ様」

 メリットは、ぎゅっと胸の前で祈るように手を握る。
 今にも泣き出してしまいそうな顔で、本当に心配してくれているのだと分かった。

「わたし、ネモフィラ様とニコラウス様の寄り添い合う姿がとても好きなのです。お互いを思い合っているご様子に心が温かくなるのです。もしも仲違いしてらっしゃるのでしたら、どうか仲直りしていただきたいと……勝手ながら思うのです」
「ありがとうございますメリット様」
「わたしに出来ることがあるようでしたら仰ってくださいませね」
「えぇ、頼りにしていますわ」


 ――そこで次の授業の予鈴がなってしまい、ネモフィラとメリットは急いでその場を後にする。

 場を離れる直前、ネモフィラは少しだけ振り返ってみた。
 階下の庭園では、ニコラウスとエリーゼが一緒に立ち上がり、おそらく同じ教室に帰るために仲睦まじく並んで歩き出したところだった。
 


 * * * *



 それからまた一週間ほど経った日の放課後。

 迎えの馬車がくる西の馬車停へ向かうため、ネモフィラは渡り廊下を歩いていた。
 空はオレンジ色に染まっていて、足元から伸びる影は細長い。
 夕方特有の少しのさみしさを感じさせる空気の中、ふと気づいてしまった。

「あ」


 その先の壁際に、まるで待ち構えるみたいに人が立っていたのだ。
 すぐに相手もこちらに気づいたようで、彼は金色の前髪をかきあげたと同時に、鋭利に細めた緑の瞳をこちらへ向ける。
 ネモフィラの心臓がどくりと跳ねた。

(ニコラウス様、上級生の教室からだと、この通路を通る必要はないはずなのに)

 もしかして自分を待っていたのだろうか。
 少し前なら大喜びで駆け寄って行っただろうネモフィラは、つい足を止めてしまう。
 彼が怖かった。
 進めなくて、足がすくんでしまう。
 しかしそうすると焦れたのか、向こうの方からゆっくりとこちらへと歩いて来た。
 
(逃げたい……)

 でも、足が震えている。

 走れる気がしない。

 何より少ないとはいえ人目があるここで、彼から逃げるような態度をとるのはいけないだろう。
 今、もうすでに噂のまとになっている状態なのに、更にそれが加速してしまう。
 
(そうよ、人目があるのだもの。学んできたことを思い出さなければ)

 ネモフィラは持っている通学鞄をきゅっと握り、いつもよりもっと背を正してまっすぐに前を向く。
 うつむかないように気をつけて、視線を上げる。
 ばくばくとなる心臓の音を自覚しながら、必死に微笑みを作った。

「まぁニコラウス様。ごきげんよう。何だかお久しぶりですね」
「あぁ、本当に」
「っ?」

 ネモフィラは、違和感に気が付いた。

(……花が、咲かない?)

 ついこの間までニコラウスじゃ、ネモフィラの顔を見た途端にいくつもポンポン花が飛び出させていたのに、一つの花もでてこなかった。
 たったの二週間程度で、半年間も身体に溶け込み続けた魔力がもどるはずがない。
 それなのに花がでない。

(つまり、私と会えたことを喜んでいないということ。あぁそっか……陛下とお父さまが心配してらしたのって、これなのね)

 会っていても、話していても、目があっても、花が咲かない。

 ニコラウスが王になった時、表面上は友好的な態度なのに花が出なければ、相手は嫌な気分になるだろう。
 内心とは正反対に笑うニコラウスに反感をもつに決まってる。
 現にネモフィラは花がでないことに、こんなに泣きそうになるほどに傷ついている。

「…………」
「…………」 

 静かで硬い雰囲気が二人の間に暫くながれる。
 切り上げて立ち去りたいけれど、そのタイミングがうまくつかめない。
 居心地が悪くて、今まで彼とどんな会話をかわしてきたのかさえ思い出せない。
 きゅっと小さくなるばかりのネモフィラに、ニコラウスが静かに問いかけてきた。

「ネモフィラ、……かわりはないか?」

 変わりないはずがない。

 この数日で、ネモフィラは天国から地獄へと落とされた。
 しかし口には出せずに、ただ笑う。そうすることしか許されないから。
 次期王妃になるために施された社交のための完璧な笑顔を必死につくった。きっといびつになっているだろうけどどうしようもない。
 ニコラウスにだけ取り繕えなくなる自分が、今日ばかりは本当に嫌だった。

「……な、なにもございません。私には」
「ふうん?」

 ニコラウスの眉がひくりと動いた。穏やかな彼にはとても珍しい――不機嫌なときの顔だ。

「わ、私にはなにもございませんが……二、ニコラウス様、は……何かございましたか?」

 にこりと笑いつつ、しかし器用に眉をひくひくと動かしながら彼は言う。

「私の方も、何も無いよ。いつも通りだ」
「そうですか。それはようございました」
「うん」
「私も、先ほども申し上げたとおり何も有りません」
「そうか」
「えぇ」

 嘘だ――とお互い分かるのに。

 『何もない』ことを納得するふりをする。

(前は私と目が合っただけでポンッと花が飛び出していたのに)

 なのに出て来ない、花が咲かない――と言うことは、ネモフィラのことが好きではなくなったということだ。
 ネモフィラが目の前にいても嬉しい気分になれなくなったということ。
 こんなふうにお互いの心の内を隠すことなんて今までなかった。
 ネモフィラは悲しくて仕方がないけれど、口には出せない。

(あぁやっぱり……もう……)

 ニコラウスの興味はもうネモフィラのもとにはないのだと、隠された言葉に突き付けられた気がした。

 きっと婚約破棄のことはもう知っている。
 彼はそれを受け入れたのだ。
 そしてもう、次の結婚相手を探していて、エリーゼと仲良くなり始めている。

「お互い平穏な日々を過ごしているようで何よりだ」
「えぇまったくですわ」

 廊下で交わす自分達の会話に、周囲がかたずをのんで聞き耳を立てているのをネモフィラは感じた。
 明らかに硬く、よそよそしいやりとりもしっかり見られてしまっている。
 花が咲かないことも誰もが気づいているだろう。
 これはさらに噂が大きくなってしまうなと思うけれど、どうせじきに婚約解消の発表も広がるはずだ。

 そうなった時、みんなが揃って『あぁやっぱり』と、納得するのだろう。



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