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46. 婚約

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 夕日が山の向こうに沈む少し前、野営する場所が決まった。
 灯りを漏らさない木立がある割に見晴らしは良い平地だ。

「そんなに珍しいか?」
 長い髪を乾かす、ヤーズ・リフラインがこちらを見遣った。
 二人一組で宛がわれたテントは、見張り役としてヤーズと一緒だった。
 俺を殺した男でなければ、こんなに緊張しなかったかもしれない。

 狭いテントの中。ランタンの灯りの下、他に見るような物も無かった。
 貴重な水で身体を拭くのもそこそこに、髪を洗った男の行動が新鮮だった。

「すまない、こちらの国では長髪の男は珍しくて…」
 本当はたまにいる。同室のハーベスだって髪は長めだ。
 でも肩口より随分長い、ヤーズほど伸ばしている者は少ない。
「ラインリッジでも多くはないぞ」
「なら、どうして…」
 ただの本人の好みかもしれないが、ヤーズからは自分の外見にそこまで拘る様子が感じられなかった。
 昼間と違い肩下まである灰茶色の髪を下ろした男は、やや落ち着いて見える。
 もっと効率を意識する男だと思う。長い髪は邪魔だと、あっさり切ってしまいそうなそんな印象だ。

「願掛けだ。…古臭いだろ?」
「あぁ…それで」
 なんの願掛けかなど聞かなくても分かる。
 ネイシャの成功と安全を祈っている、こんなに腕の立つ男がそんな願掛けに頼るとは少し想像し辛かった。
「アイツには言うよな」
 そんな言葉に知らず口角が上がった。


 目の前のヤーズ・リフラインは歳の頃ならエリアス殿下と同じか、きっともっと若い。
「アンタ恋人は?」
「……なんでそんな事を聞くんだ?」
 唐突な質問の意図が汲み取れなかった。

「そりゃ一応。アンタがネイシャと婚約する事になるからさ」
「はぁ?婚約…?」
 思ってもいない方向の話に気の抜けた声が出た。何がどうなってそういう話になるのか…。
 だが俺に歩み寄ろうとする日中の彼女の表情も、同時に思い出された。
 まだ聞いていない話がありそうだ。
「アンタが統治者に立候補する、ネイシャが隣に立つなら結婚でもしないと変だ」
 当然そうだろうと口にするヤーズは、まるで自分にそれを言い聞かせているようにも見える。

 俺は日中の彼等の話を聞いていて、気になっているが聞けなかった疑問を口に出した。
「なぁその話だが…本当に上手くいくと思っているのか?」
「その話って?選挙が?結婚がか?」
「…俺のような素性も分からないような男に民意が傾くと本気で思っているのか、と聞いてるんだ」
 あえて今聞いたばかりの婚約や結婚という言葉には触れず、問う。

「そうだなぁネイシャは本当に頑張ってるよ、親父さんから続いた人脈で確かな土台を築いてる…」
 そこで鋭さもある彼の瞳が俺を捉えた。
「でもな女じゃ駄目なんだと。結婚して夫を候補に立てろと支持者にまで言われる始末だ」
 やれやれと首を振った男は呆れているというより諦めているようだ。

「君とシンドラ卿は…」
「オレとネイシャは腐れ縁だ。地主の娘と商人の息子、よく屋敷に商売で出入りしてた」
 俺が今彼等二人の関係を聞く意味を、気付かない男ではないと思うが。
 それ以上ヤーズは何も言わない。

「アンタとネイシャの間に子どもでも出来りゃ良い。そうすれば…いや忘れてくれ」
 彼女のことを諦められるから?
 自分より相応しい人がいる筈だと、相手の意見も聞かない所にやや苛立つ。
 そして同族嫌悪だなと苦く笑った。

「…その期待には沿えられそうにない」
 俺の言葉に応える声はなく、静かに夜は更けていった。




 翌朝も早くから隊列を組んで道を進んだ。
 使節団の面々は、同行する俺への態度を日々軟化させていた。
 時には冗談を交えながら進む道程は、予想していたものよりも快適だった。
 それでもネイシャが俺に話し掛ける時だけ皆、妙に気を遣っているのが分かる。
 彼女が俺に近付くと、自然にそれまで回りにいた人間が少し離れる。

「――明日の今頃はもう国境を越えている頃です…」
 麓を見下ろすネイシャの髪が、丘を吹き上げる風に揺れた。
 婚約について結局本人からは聞かされずにいた。
 だが聡い彼女の事だ、ヤーズが俺に話している事にはとっくに気が付いているだろう。

「貴方は…これで良いんですか?」
 思わず浮かんだ疑問をそのまま口にする。
 彼女がこれまで築き上げてきた理想を、あっさり俺の肩へ乗せる。
 またそれを支える献身的で控え目な女性像を演じること、彼女はそれで良いのだろうか。

「ずっと覚悟していました」
 覚悟を決めたように俺を見たネイシャ・シンドラの瞳に、迷いは無かった。

「それに私は相手がランベルト様で良かった…とも思っています」
 柔らかく笑った彼女に感心した。俺よりもヤーズよりも、よほど潔い。
 目的の為に前向きに全ての事象を受け入れようとしている。
 彼女がどうしてそこまで国の未来を想えるのか、わずかに興味が沸いた。


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