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36. 己の為に
しおりを挟むよく知る花の香りが鼻腔をくすぐる。
あっと言う間に整った顔が間近に迫り、目を瞠った。
「なにをしているっ!」
エリアス殿下だ。
一瞬言い付けを守らなかった事への罪悪感で、しまったと顔に出たと思う。
それでも最近の殿下の様子から、俺はてっきり今も自分が心配されているのだと思った。
――無意識に王子はすぐ傍に立つ女性よりも、俺を優先してくれると思い上がっていた。
「誰の許可を得て彼女に近付いたのか聞いている!!」
「……!」
本気で問い質す王子の剣幕に気圧された。
まるで俺が彼女に何か危害でも加えるのではないかと…そんな勢いだ。
「も、申し訳ありません…」
「エリアス様、私が案内をお願いしたのです…どうか…」
俺の背後からおずおずとネイシャ・シンドラが声を上げる。
それでも痛い程肩を掴んだ手は外れない。
「…二度とこの方に近付く事は許さない」
やっと肩から離れた手が、背後の女性へ優しく伸ばされた。
俺は呆然として廊下の真ん中から動けなかった。
そのままお二人の背中が小さくなるまでそこに立ち尽くした。
「――で、アンタっていつもそうなの?」
エリアス殿下に怒られた事でここまで落ち込むとは。自分でも驚いた。
他に帰る場所もなく、俺は殿下の私室の隣室へ戻って来た。
そして先に寛いでいたツヴァイの第一声がこれだ。
「如何にも傷付きました~って顔、恥ずかしくないワケ?」
言われて羞恥から顔を覆うが、もう見られてしまった後では手後れだ。
そのままベッドに倒れ込む。
過去にもエリアス殿下から様々な苦言を呈された。
それでも今日のように誰かを庇うように強い言葉を使われたのは初めてだった。
「…彼女が、そうなのか?」
エリアス殿下の駆け落ちの相手は、あのネイシャ・シンドラ…?
最後に一瞥した殿下の瞳を、その冷たさを思い出す。
「あのさ、結局オジサンってどうしたいワケ?」
間近から聞こえるツヴァイの声に曖昧に返事をする。
「王子サマが好きなんでしょ?じゃあ余所見するなって言えば良いじゃん」
「私は…私の気持ちではなくて、殿下は王妃に相応しい方を選ばれるべきだから…」
ベッドに伏せたまま頭の中を整理するように言葉にする。
冷たいシーツの感触に少しは気持ちも落ち着くかと思ったが。声が揺れる。
「じゃあ仕方ないって自分に言い訳して、身を引くワケだ?」
「言い訳って…」
声のする方に顔を向けると、部屋の灯りを背負ったツヴァイが立っていた。
ベッドから見上げる顔は逆光になっていて表情が分かり辛い。
「それがエリアス殿下の為だから…」
「王子サマの為って言いながら、アンタは自分が傷付かない道を探しているだけだ」
「なっ…」
なんでそんな事を君から言われなければいけないのか。
そもそも…自分が一番良く分かっている。
自分の気持ちも主張出来ない、拒絶されるのが怖いから。
「気持ちに応える気が無いなら、解放してやりなよ」
ツヴァイの口振りはまるで殿下の気持ちが俺にあるように言うが、正直よく分からない。
兄弟のように家族のように想われている。
でもそれ以上の気持ちがあるのかまでは分からない。
それを確認するのも怖い。だってこの気持ちは長い間胸の中で育ち過ぎてしまった。
もしそれを本人から否定されたら、俺は自分を形作る大切な物を失うことになる。
「――僕はどんだけ前だか知れない先祖がした約束で、この国に縛られてる」
突然の少年の告白に驚き、今度こそ下がっていた顔を上げた。
「治癒師として約束を果たすまで、自分の意思で城下町まで下りる事も叶わない」
「……」
どんな顔をしていいか分からなかった。それにきっと俺の反応なんて求めていない。
「…アンタの為でもあんだよ」
なにが?喉まで出かかった言葉を飲み込むと、無機質な紫の瞳と目が合った。
「お互いがお互いを縛り付けてる。その呪縛を解かなきゃ…また”同じ事”が起きるよ」
「!!!」
勢いよく起き上がるが、すでに少年は扉に向かって歩き出している。
俺の執着が殿下をあの森での死の気配に近付けると、少年は言った。
「――俺だって、危険が取り除けたら喜んで身を引くつもりだっ!!」
大人気ない、感情的になる自分を頭の冷静な部分が笑う。
「へぇ…その言葉、よく覚えとくよ」
足音もなく少年は不敵な笑顔と共に立ち去った。
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