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e. 王子の後悔<5>

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 王都の外れ。
 はじめて足を踏み入れるような場所にその酒場はあった。
 これまでにも街の視察はしていたが深夜に出歩いたことなどない。兄上の計画の下、驚くほど順調に物事が進んでいた。


「この先一生後悔したくなければ、お互い身一つで駆け落ちごっこでもしてみせろ。協力してやる」
 兄上曰く、あくまで他国への亡命ではなく互いの気持ちが分かればそのまま城に戻って来いと言う。
「婚約も発表した身ですから…」
「まだ国中に公表した訳でもあるまい。内々だなんとでもなる」
「しかし王妃が男性だった前例は…」
「前例などいらん。お前が前例になればいいだけの事だ」
 潔く言い切る兄上の性格を羨ましいと心底思った。私は王子という立場からランベルトに素直に想いを伝えられなかった。

 私がランのことを誰よりも好きだと伝えれば、気の優しいランベルトが断れるはずがないと思った。強要はしたくない、だから受け身になってしまっていた。
 どうして一緒にいたいと言ってくれないのか、どうして兄上の騎士になったのか、どうして私の気持ちに気が付いてくれないのだと。
 求めるばかりで自分から歩み寄ることを止めていた。それでは相手から求めてもらえるはずもないのに…。


 手櫛で鬘を直し目深にフードを被る。本当にこんな店にランベルトがいるのだろうか?
 兄上の従者の報告ですでに中に彼がいる事は分かっている。それでも目の前の酒場と幼馴染の雰囲気が合致せず俄かには信じ難かった。
 年季の入った木戸を開く。酒と葉巻が混ざった複雑な臭いがした。

「お兄さん、その辺でやめたら?」
 変装した私に声を掛けた男をランベルトが制止した。堅苦しくない彼の口調が新鮮でもっと聞いていたくなる。軽装だが帯剣だけはしているようだ。
「お嬢さんはどなたか捜しに?こんな店にはその相手もいないでしょう?」
 続いて私を気遣うような声で笑い掛けられ、こんなにも柔らかく見知らぬ女性に声を掛けるのかと思った。乱闘騒ぎという程の大事にもならず、ランベルトが簡単にその男を捕獲した。

 改めて私に馬車を用意すると言い出したランベルトに呆れる。私が女性ならランが私に気があるのかと勘違いしてもおかしくない場面だ。
 こういう事を自然にやるから勘違いをされるのだ。私がどんなに目で追っても向けられなかった翡翠色の瞳が真っ直ぐにこちらを見詰めている。だが本当の私自身に向けられた訳ではない。
 助けてもらってなんだが面白くない事ばかりで私は憮然とした態度を取ってしまった。
「……ランベルト、私が誰だか分からないのか?」

 私の名を呼び、狼狽えてコロコロと表情を変えるランベルトは見物だった。
 ああ愛らしいな、と自然と笑みが漏れた。ランに無理難題をぶつけて喜ぶ兄上の気持ちが、少し分かった気もした。

 手筈通り広場で馬車と落ち合うつもりでランベルトの手を引く。まるで幼い頃に戻ったようで自分の心音がいつもより早く打つのを感じる。
 城に戻ろうと言うランベルトを説き伏せて馬車に乗る。少し打ち解けたところで私はいよいよ本題を切り出した。

「ランベルト、頼みがある」
 一世一代の告白だ。実際の駆け落ちでなくとも、返事がもらえたなら私はこれまでの自分を全て捨てて、ランベルトと供に歩める道を選ぶつもりだ。
 公爵家には誠心誠意謝ろう、国民には理解してもらえるまで議論をするつもりた。ただランさえいれば私は心を殺さず生きていけるとそう思った。

「駆け落ちをする、供に来てくれ」
 本当はずっと王子でなくても私といたいと言って欲しかった。しかし私の言葉にランベルトは想定以上に取り乱していた。

「かっ…駆け落ちですってッ!?カリーナ嬢との婚儀が決まったばかりではないですか!!?」
 その通りだ。自分で選択した事とはいえ無責任な私の行動に呆れただろう。
「駆け落ちまで約束する相手がいたなら!婚約も婚儀もするべきではなかった!!――全く…殿下らしくありませんっ!!!」
 狭い馬車の中ランベルトの悲痛な叫びが胸を抉った。王子や地位以前の問題だ。
 それに私の告白の意図が正確に伝わっていない事も分かった。

 いっそ私が望む駆け落ちの相手が自分だという可能性など、考えたくないのかもしれない。だから無意識にその可能性を排除している。
「……私らしくない…か」
 言い過ぎたと思ったらしい黙ったランベルトを見詰める。私らしいとはなんだ?ランベルトの思う私とは?
 周囲の期待する王子になるべく努力してきた。しかしそれは私の努力の結果であって、私自身ではない。
 きっとこうして最後の我が儘を通す私が、もっとも私らしいと思った。

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