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第43話
しおりを挟む「怯むなー!いけぇー!!」
「動くな!投降する者は床に伏せろー!!」
先程までの静けさが嘘のように船上は一気に大勢の人間の怒号と、剣と剣がぶつかり合う音で満たされた。
やや先の湾曲した刃物を振るう船員達と、対峙する騎士団が握る真っ直ぐに伸びた剣の刀身がそれぞれに僅かに残る夕方の光を反射しながら方々で激しくぶつかり合っている。
なんとか船の縁に置かれた酒樽のような物の陰に隠れるように身を屈め、周囲の様子を窺っているが船のあちらこちらで起きている斬り合いにただ目が慣れるのを待つ。
一向にどちらが優勢なのかも、どう避難すればいいかも分からず更に身を縮めているとすぐ目の前に斬り伏せられたであろう男が倒れてきて思わず声を上げそうになった。
「ぐ……うっ……」
ボロボロの服を着た壮年の男は騎士団ではなく、この船の船員のようだ。
倒れたまま起き上がれず仕舞いにはピクリとも動かなくなった目の前の男の腕に、恐る恐る手を伸ばし軽く揺するが完全に力が抜けたその身体は重く、まだ温かいが生命の抜けた手応えのない手触りだった。
遅れて来た恐怖を飲み込むように意識して深呼吸をする、肺の中が強い血の臭いで満たされて吐き気を堪えながら眼前の光景から思わず目を逸らした。
先程まで動いていた人間が目の前で死んでしまう光景は、相手が全くの他人で今は対峙している相手だったとしても気分が良いものではない。
その時、周囲の暗さに慣れてきた目に見覚えのある鈍い黄緑色が映った気がした。
なにかを捜すように彼方に此方にと揺れるその頭に目を凝らすと、その隣には間違いようもない金色の髪の青年が剣を振る姿が見えて、ヴィルヘルムだと確信した。
槍を振るローレンツさんが周囲と上手く距離を取りつつ、ヴィルヘルムも向かって来る相手のみを切り伏せて2人で真っ直ぐに船の中央部にある階段を目指しているように見える。
きっとオレや他の人質が階下の客室に閉じ込められていると思っているのだろう。
どうして怪我人のヴィルヘルムがこの場にいるのか、エルミアさんにお願いして来たとはいえ怪我を治す魔法は時間も気力も使うのだと聞いている。
彼の怪我が完治していない事は明白で、いつも朝の鍛錬で右手だけで軽々と振るう剣を両手でしっかりと握る姿に、今にも駆け出したい気持ちになる。
きっと訓練と実戦では剣の構え方も戦い方も違うのだと今は無理矢理自分を納得させて、彼に無事を伝える為にも早く自分が行動するべきだという考えに辿り着いた。
2人になんとかこちらに気が付いてほしいが、きっと血眼でこの騒々しい混乱の中オレを捜していると思われるハウザー神父にだけは見付かりたくはない。
目の前に横たわる男が被っていたであろう革の帽子を手に取り、男が握ったままの剣に手を伸ばしかけて少し考えてから思い留まった。下手に剣を持っていて斬りかかられては一溜まりもない。
逆に武器を持っていない方が敵とも味方とも認識されにくいのではないか……、それにこのままもう少しあの2人が階段の方へ近付いて来てくれれば、一番距離が近くなったタイミングで駆け寄るには身軽な方が動きやすい。
剣の代わりに男の腰のベルトから下がるナイフを借りて、自分の両足で柄を挟んで固定したそのナイフの刃で手を拘束していた縄を切った。
両手が自由になると少しだけなんとかなる気がしてきた。鍔のついた帽子を被るとより目元に影が差して、周囲の様子もよく見えるようになった気がする。
盾にしていた酒樽に手を掛けて身を起こすと意外にも中身が軽かったようで、こちらの体重を支えきれず動きそうになった樽を慌てて戻し、ヴィルヘルムとローレンツさんが階段へ歩を進める様子を見守る。
先程から見ているだけで2人よりも体格の大きな男達を5人か6人を相手にしては一定の距離を保って前進している。
船の甲板を見渡す限りは若干ではあるが騎士団が優勢のように見える、徐々に戦いの前線が船の先端の方へ追い込まれているようだ。
お互いの剣技を披露するような戦い方ではなく、その場に落ちている物や近くの乱闘も利用して最小限の労力で戦う2人の姿に、こういった現場での戦いにも慣れているように見えて少し安心する。
「ああ、こんな所にいたか」
突然傍から聞こえた声と大きな手に肩を掴まれ、とっさに振り解こうと身を捩るがビクともしない。
「離せ!!」
声だけで先程までオレを担いでいた髭面の大男だと分かって、滅茶苦茶に暴れてみるが拘束が解けない。
「高けぇ代物は最初っから、船を分けりゃ良かったな」
丸太のような太い腕で抱えられ、本能的な危険を感じ必死に叫んだ。
「ヴィルヘルムー!!!!!」
「おい生きていたいなら黙ってろ」
「ぐっ……!!」
躊躇もなく腹部を強く殴られて一瞬呼吸まで止まった、気が付いてくれただろうか……自力で脱出出来ない自分が情けない。
咳き込むオレに構うこともなく周囲の人間に船長らしく手短に号令をかけた大男は、オレを羽交い絞めにしたまま数段の段差を上がると悠然と船の縁に立った。
急に身体に強く当たるようになった風に、一歩踏み外せば船から落ちるかと思うとまた別の恐怖に身を固くした。
「ああ!良かった!!こちらです!!!」
船の外から聞こえた声に思わず首を回すと、音もなく隣接していたらしい一回り小型の船からハウザー神父がこちらに手を伸ばしている。1メートル以上ある船同士の高低差を補うように橋代わりの厚い板を渡す最中のようだ。
「降りてこい!!その人を解放しろ!!!!!」
今度は背後の甲板から聞こえた声に思わず振り返る。肩で息をするヴィルヘルムと目が合って、思わず泣きそうになって顔が歪んだ。
「それ以上近付くな、お前のせいでコイツの首に穴が開くぞ」
大男によって首筋に冷たい刃物を当てられて、思わず息を呑む。
ヴィルヘルムの視線もオレの首元でピタリと止まった。
後ろで隣の船から板が渡された音がして、大男はオレに刃を向けたまま器用に板を固定するようにその端を片足でしっかりと踏んだ。
「こちらです!さぁ早く!!!」
今にも迎えに来そうなハウザー神父の声を背中に背負って、オレは今の自分の状況を頭の中でなるべく冷静に整理しようと努める。大男からの拘束の力はまだ弱まっていない。
髭面の大男がヴィルヘルムや周囲の手を止めた騎士や部下達に向かって声を張り上げた。
「奇襲なんて卑怯なマネを騎士団がするとはなぁ!!!」
動かないままのヴィルヘルムに代わって、後方から現れた団長さんが声を上げた。
「剣を捨てて投降しろ!!弁明があるなら聞いてやる!!!」
団長さんのよく通る怒声が響いて、一瞬周囲の音がピタリと止まった。
だが次の瞬間、まだ甲板に立っている船員もとい盗賊達の口からはそれぞれに大きな笑い声が上がった。
その笑い声からは完全に相手への恐れなど感じていない事が分かった。
「ははははははは!!弁明だと!?おい聞いたか?お優しい騎士様だなぁ!?」
嘲笑と口笛を吹く者までいる、船長と呼ばれた髭面の大男を中心に集まる異様な熱気に恐怖を感じる。
「バカ言うな!オレ達がナニをしたって言うんだ?なぁ!?」
「そうだ!そうだ!アンタらが突然船を襲ったんだ!!」
「人攫いに奴隷貿易!他にも罪状は捨てる程ある!!!」
オスカー団長の怒声とは対照的に、大男は薄く笑った。
「人攫い?奴隷だって?聞いた事もないな、そんな商売にはかかわってねぇ」
白々しい嘘を悠然と吐く男とすぐに反論をしないオスカー団長の様子に、未だに攫われた子ども達が見付かっていない事が窺い知れた。先程甲板に騎士団が雪崩れ込んで来た時、船の内部からつまり階下から騎士団が攻め入って来たという一報と、船の外側から梯子を伝って直接甲板に降り立った部隊とはほぼ同時に現れたように思う。
騎士団は子ども達が既にこの船に乗せられている事を確信して乗り込んで来たのに、未だにその子ども達を1人も見付けられていない事になる。
あれだけの人数だ、客室や個室に閉じ込められているにしても1部屋ではとても済まない。それが1人も見付からないとなると……。
「奴隷なんて知らねぇ!船内もさんざ見たんじゃないのか?よぉ騎士さんよ、人の船に難癖つけて乗り込む程この国は礼儀も信義もねぇのかよ!?」
「証拠を出せー!!!」
「消え失せろー!!!」
口々に上がる怒号を止めようと、構えていた剣を握り直した騎士団の面々は盗賊達に再び斬りかかった。再開した剣と剣のぶつかる音と怒声に、一気にその場は話し合いの余地など無いような空気に変わった。
「その青年は攫われた人間の1人だ!!こちらに引き渡せ!!!」
周囲の船員からの攻撃をいなしながら団長さんがオレを指差して叫んだ。ヴィルヘルムもこちらに注意を向けたまま剣を振るっている。
「ああ?コイツは隣の船からの預かりモンだぁ、話なら向こうに聞くんだなぁ!」
笑い声を上げながら早く渡れとオレの身体を押す大男越しに、ヴィルヘルムがオレの名前を叫んでいる気がした。
このまま大人しく隣の船に移されたとして、この混乱に乗じて神父達が万一上手く逃げ仰せでもしたら、オレはもう二度とこの国には戻って来られないかもしれない。まともな人間の扱いもされず死ぬより辛い目に遭う可能性もある。
大男は相変わらずオレに鋭い鉈のような刃物を向けたまま、いつでも応戦出来るように船内に向かって長剣も構えていて隙がない。
「こちらです!早く、手を!!」
こんな状況でも笑みを浮かべるハウザー神父が、向こうの船から身を乗り出してこちらに両手を伸ばしている。後ろで彼を支えるのは同じく教会の人間だろう。
改めて見た隣の船はこの船よりもひと回りもふた回りも小さく、とてもではないが攫われた子ども達全員を乗せられるようには見えない。
「さっさと歩け!!」
大男からは完全に手を離されて、強度が心許なく見える橋代わりの板の上に立った。
考えろ、船内でもなくまだ騎士団が捜し切れていない場所に子ども達がいるはずだ。
まともに横風が吹き抜けて、思わず板にしがみつくようにその場にしゃがんだ。大男の舌打ちが聞こえて、慌てて這うように前進する。
違和感はあった、甲板に出た時から。
騎士団が乗り込んで来る少し前、船員達は重さのまばらな樽を大事そうに抱えて運んでいた。先程オレが凭れ掛かった時に簡単に転がりそうになった軽い樽を、まるで壊れ物でも入っているかのように樽によっては重そうに、また他の樽によっては軽々と、でもどれもやや慎重に運んでいた光景にはどこか違和感があった。
「手を、貸してください」
オレは少し不安そうに聞こえるように、ハウザー神父に声を掛けた。
こんな方法しか思い付かない。オレという人質がいる状況では騎士団は全力で戦えない、そしてこの場で子ども達を見付けられなければもう二度と助けられない可能性がある。
「お気を付けください!さぁ掴まって!!」
彼の背後の教徒が止めるのも聞かずに、ハウザー神父は板の端まで歩み寄りオレの手を掴んだ。神父の手をこちらからもしっかりと握り返す。
そのまま振り返り目が合ったヴィルヘルムに口元だけで笑い掛けた後、渾身の力で叫んだ。
「子ども達は樽の中だ!!!!!」
同時にオレは強く強く神父の手を引きながら、足場から外れた空中へと自らの身体を投げた。
「やめろっーーー!!!!!」
誰の叫びとも分からない声を聞きながら、神父がその場に踏み止まろうとする若干の抵抗を感じたが、予想外だったであろう行動と彼の無理な体勢に難無く共に宙へと放り出された。
「うわぁぁぁぁぁ!!!!!」
絶叫を上げた神父からすぐに手が離された事を確認して、大きく息を吸って呼吸を止めた。
船の大きさから水面までは少し距離があるが、高い位置からの飛び込みだと思えば良い。
海の深さも分からないし、そういえば塩気の薄い海水で身体はどれくらい浮くのだろうと悠長な疑問が瞬間頭を過ぎった。
一瞬、完全に暮れたと思っていた逆さまに見える空の端にまだ夕暮れの色が残っているのが見えて、この世界に来たあの日の空を思い出した。
唐突に頭からぶつかるように迎えた水面には、不思議と想像したような痛みはなかった。
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