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第41話
しおりを挟む「イツキさん、そろそろ戻りましょう」
ローレンツさんの声に顔を上げると、彼が随分自分の事を待っていてくれたのに気が付いた。
ふらつきそうになりながらも背凭れにしていた木箱に手をついて立ち上がると、思ったよりもローレンツさんには危なっかしく見えたようで身体を支えるように肩に手を添えてくれた。
貧血のようなこの症状はやはり魔法を使い過ぎた時によく起こる事らしい、普通は子どもの頃から魔法に触れる中で自分の魔法量や一度に唱えられる回数を徐々に感覚で把握するそうだ。
魔法は日常的に使い続ければ少しずつその威力や回数は増えるそうで、逆に使わなければ発動しにくくなる物らしい。休んでいる間にローレンツさんがしてくれたこれらの説明を思い出しつつ、慣れれば許容量が増えるなんてアルコールに対しての耐性のようだなと思い、この発想に我ながら少し笑ってしまった。
「この症状をすぐに治す薬とかないんですかね」
すぐに治れば自分も捜索に加われるのにと思いローレンツさんを見ると、彼は少し目を見開いた後にわざとらしい咳払いをした。
「……方法がなくはないですが、緊急時しかやりません」
言外に”今はその緊急時ではない”と彼の顔に書いてあり、そこまで難しい方法なら仕方ないが、このまま食い下がってもこの気分の悪さを解消してはくれなさそうだ。
「大丈夫ですか?やはりどこか近くで休める場所を探すか……」
辺りを大きく見回すローレンツさんに、これ以上彼に余計な時間は取らせられないと焦る。
「いえ、オレは1人でも宿舎まで戻れますから心配しないでください」
早く1人でも多くルノ達、誘拐された子ども達の捜索に加わってほしいのだが、ローレンツさんは最初の宣言通りオレを1人にするつもりはないようだ。
「私もイツキさんを送ったらすぐに団長と合流しますから、心配しないでください」
こちらの気持ちを汲んだ上で気にするなと微笑んだローレンツさんの笑顔にほっとした所で、ふと彼の後ろを横切る人物に目が留まった。
例の船の方向から歩いて来た男がローレンツさんのすぐ後ろを通って、納屋のような小屋の中を覗いているのが見える。
中肉中背の痩せた男が神経質そうに着ている白いシャツの埃を払う様子を見て、先日ルノを追い掛けていた男とよく似ている事に気が付いた。
後方を凝視するオレの様子に気が付いたローレンツさんが振り返ろうとするのを、不自然にならないように留めてから小声で伝える。
「すぐ後ろにいる白いシャツの男性、多分先日ルノを連れて行こうとした教会の男です」
「……間違いないですか?」
オレの意図に気が付き後方の男に異変を感じさせないよう、こちらを見たまま話すローレンツさんに静かに頷いた。
「多分……間違いないです」
男が顔を動かし特徴的な眼鏡と神経質そうな横顔が確認出来た事により、疑惑が確信へと一気に変わった。確かに先日鍛冶屋の前でルノを追い掛け回していた男女の内の、男性がそこにいた。
その男は今どんな様子でどんな体勢かと訊ねられたので、なるべく細かくローレンツさんに様子を伝えた。
恐らく彼は振り返ると同時にあの男を確保するつもりなのだろう。
「いいですか、イツキさんはここから動かないでくださいね」
言い終わると勢いよく振り返ったローレンツさんは、10メートル程先に立っている白いシャツの男の背中に向かって迷う事なく駆けて行った。
「大人しくしろっ!」
ローレンツさんの声に続いて激しい物音と情けない男の悲鳴が聞こえてきて、ここからではローレンツさんの背中しか見えないが無事あの男を捕まえられたようだ。
なにかあの男から重要な話が聞き出せるかもしれない。ローレンツさんを手伝うべく足を踏み出すと同時に、オレは後頭部に強い衝撃を受けてその場に倒れ込んだ。
硬い煉瓦と被っていた帽子が目の前の地面に落ちていて、頭には温かくぬるりとした液体が流れるのを感じる。
なんとか背後を振り返りたかったが、そのままオレの意識は途切れてしまった。
話し声が聞こえる、複数の男性が話し合う声だ。
どの声にも聞き馴染みはなく不快なその声色に眉をひそめると、そこで自分が目も開けたくない程に頭が痛い事に気が付いた。
「ぅぐっ……」
痛い、割れそうに痛む後頭部へ手をやろうとすると両手が荒縄のような物で縛られ、両足もひとまとめにされている事が分かった。目を開けると深夜のように真っ暗で、目元の違和感から目隠しに布を巻き付けられているようだ。
硬い床の上に直接敷かれた柔らかい絨毯のような物の上に転がされているようだが、同じ室内にいるであろう男達に覚られないように腕と足を静かに動かしてみるが、どちらも簡単には解けそうにない。
パニックになりそうになる頭で必死に現状を把握しようとするが、先程港にいた時の浜風が嘘のように空気が止まって感じる事と、微妙に先程から地面が不規則に揺れて感じる事からもしかするとここは船の中なのかもしれない。
どうして、何故と疑問ばかりが頭に浮かぶがこの状況の打開策はすぐに浮かびそうにない。
急に男達の声が止み静かになったかと思うと、複数の足音が遠ざかった後に重い靴音が1つ近付いて来た。
「おい、目ぇ覚めたか」
「……」
やはり全く知らない声色の男からの呼び掛けに何を言うべきか悩み、声がした方へ顔を向けると大きな手で口元を塞がれた。
「話せんだろ、言葉通じねーのか?」
「うっ」
顎全体を掴まれるようにして左右に揺すられて、口も開けられずにいると掴んだ時と同じ強い力で乱暴に手放された。
「どっちでも構わん、アンタは高く売れそうだ」
低く嗤う男の声に、胸の中の温度がどんどん下がっていく気がした。自分の頭を隠す物は何もなく、きっとこの黒い髪の色を見て高く売れると言っているのだ。
満足したように悠々と部屋を出て行く男の足音を聞きながら、思わず自分自身の不甲斐なさに歯噛みした。
部屋の中には自分以外の気配がなくなり、やはり時々部屋全体が軋むような大型の木製の船特有の音以外は時々上下の部屋から聞こえる足音と、遠く聞き取れない程度の話声だけが聞こえる。
足と手の縄を思い切り動いて解こうとするが、徐々にきつく締まるだけで粗い縄目で擦れた皮膚が痛むばかりだ。
「誰かっ……」
誰に言うでもなく呟いた言葉に返事をするように、突然響いた扉が開く大きな音に驚き、反射的に音のした方向へ首を回した。
「ああ……こんな所に」
ぞわりと寒気がして、見なくても身体中に鳥肌が立ったのが分かる。
「申し訳ありません、奴等が野蛮な真似を……」
気遣わし気な男の声と急に腕に触れた湿った手の感触に強い嫌悪感を覚え思わず腕を振って声を上げたが、全く手は振り解けなかった。撫でるように触れられた手が目元の布に掛かり、ゆっくりと外されて目を開けるとそこには二度と見たくなかった顔があった。
「ハウザー神……父?」
「ああ、こんなに強く縛って……申し訳ありません……」
久し振りに見たハウザー神父は以前見た時よりも頬がこけた印象で、目だけがギラギラと異様に輝いている。オレの両足を縛る縄を外そうとしているようで、不器用そうな手付きで縄をいじる神父を置いて部屋の中を素早く見渡した。
想像した通り大きな船の中の一室のようで、客室らしく家具も一通り整っているが必要最低限の簡素な物だ。部屋に1つしかないらしい窓を見ると、黒い布でも掛けられているのかと思うほど暗い事に気が付いた。
「ウソだ……」
もう完全に夜なんじゃないのか!?船着き場で気を失った時から少なくても数時間は経っているのかもしれない、いやそもそもこの船が船着き場に停まっている状態なのか、もうとっくに出航しているのかそれすらも分からない。
一気に冷水を浴びせられたような絶望的な気持ちになって、窓の方から視線を動かせずにいるといつの間にか足首を縛っていた縄の感触が無くなっていた。
縛られたままの両手で身体を支え、なんとかその場で立ち上がるとハウザー神父がいそいそと扉の前に向かった。
このままただで逃がしてくれるなんて甘い考えは持ち合わせていなかったが、開いたままだった扉から白衣を纏ったハウザー神父よりは年若な男性が入って来て、それを確認した神父が横手から扉を閉めた。
「これはこれは……我が目で確認しなければ信じられなかったかもしれない……」
独り言のように呟いてからオレに向かって恭しく頭を下げた男はどうやらハウザー神父より上位の神官のようで、その白い衣装には細かな刺繍等が施されていて一目で高価な物だと分かる。
「お初に御目に掛かります、私はエルドリッジと申します“精霊の御使い”様」
エルドリッジと名乗った男はオレの事を“精霊の御使い”と呼ぶが、名前を聞いてくるでもなく、一人の人間ではなくこの男が求める“役割”として呼ばれたようで、抵抗感から黙ったまま返事もせずにいた。
「ハウザー、この御方は此方の言葉は理解されているのか?」
「ご安心ください司教、御使い様はお疲れなのでしょう全て理解しておられます」
こちらを見ている筈なのにオレを置いて会話をする2人に違和感を覚えながら、なんとか逃げ道はないかと室内を見渡す。
「ご心配には及びません貴方様は我々と共に間もなくここから出られます、今しばらくお待ちください」
わざとらしく胸に手を置き聖職者の様な顔でこちらに微笑んだハウザー神父は、あの時路地裏でオレを突き飛ばし迫って来た頭のおかしい男と同じ人間なのかと疑いたくなる程澄ました顔をしている。
そのままハウザー神父は部屋の片隅に寄せられていたテーブルセットの椅子をオレとエルドリッジ司教の傍にそれぞれ置いて勧めると、自身は司教の一歩後ろに控えるようにして立った。
こんな所で悠長に話をしている時間はないのだが、間もなくここから出られるという言葉からまだこの船は町を離れていないのかもしれない。それならばまだ自力で逃げられる可能性はゼロではない気がする。
もしも見当を付けていた船とこの船が別の船で、子ども達もこの船に乗っているのならなんとか騎士団に、皆にこの船がそうなのだと伝えなければならない。
勧められた椅子に座ると、正面から無遠慮にこちらを見詰めるエルドリッジ司教の瞳とぶつかった。
「失礼、瞳まで闇色なのですね」
天気の話でもするように身体的特徴を指摘され、居心地の悪さに視線を外す。
少しでもこの男達からなにか情報を引き出せないだろうか。
「生まれつきですから、髪の色もオレのいた国では皆こうです。特別でもなんでもない」
つい棘のある言い方になったが、司教には怯む様子は少しもない。
「そうですか、ですがこの世界では特別なのです。貴方様しかいない」
微笑む男の真意は読めそうになく、整った顔立ちと小綺麗な衣装から部屋に入って来た時は40歳前後かと思ったが、話してみると老人と話しているような不思議な感覚に襲われた。
濃い青の髪は染めてでもいるのか、やや吊り目で眉の色も薄いこの男の顔立ちにはやや似合っていない気がした。
「子ども達をどうするつもりなんですか」
反応を見ようと確信を突くであろう質問をしても眉ひとつ動かさない司教の様子を見て、会話すらこちらの分が悪いように思う。
「どうするもなにも、貴方様がそんな小さな事を気にされる必要はありません」
「小さな事って……人が売られていく事がですか?あなた達それでも聖職者なんですか?」
きっとこの世界の常識と自分の常識は大きく違うんだと、何を話しても無駄だろうと頭では理解していても言わずにはいれなかった。
わざとらしく何度か目をしばたたかせてから司教は面白そうに笑った。
「お優しいのですね、ですが本当に貴方様のご心配には及ばないのです」
「え……?」
司教の穏やかな表情にもしかしてこの船から解放されるのはオレを含めて人質全員なのかと、一瞬淡い期待を抱いてしまう。
「この世界の何処にいても力の無い者の“用途”など変わりません。他国なら言葉が通じないだけ可愛げがあるというモノです」
心からそう思っているのだと分かる表情で言い切った男に、腹の底から怒りが湧いてきた。
「人を!物のように言うなっ!!」
初めて出したような大声は、最後は叫び声のようになってしまった。
急な大声に肩で息をして呼吸を整えていると、やはりと言うべきかこちらの言葉は全く相手に響かないようで司教も神父も表情は変わらない。
「売られる子ども達も、売り捌くあなた達も、オレも……同じ人間だ」
思想や文化、そこに根付く身分制度の概念を頭ごなしに否定しても仕方ない事は分かっていたが、言わずにはいられなかった。ましてや国境を越えてこの世界中に存在する教会が、国を頼れなくなった人々が唯一頼れるのではないかと思う集団が、揃ってこんな考え方の人間ばかりなのかと思うと絶望に似た気持ちに胸が押し潰されそうだ。
「貴方様は勘違いをされている」
淡々とした口調で話し始めたエルドリッジ司教は、おもむろに椅子から立ち上がるとオレのすぐ目の前まで来てその場で片膝をついた。
「同じ“人間”などではありません、少なくとも貴方様は我々とは違う」
下から見上げられるような形で、今ならそのまま蹴り上げるくらいの事は出来そうだが……相手の出方を窺っていると、司教の手は座っているオレの膝に乗せられた。
「我々の、神になっていただきたいのです」
「……な……にを?」
何を言っているのかと二の句も継げずにいると、いつの間にか黙って立っていただけのハウザー神父も司教と同じようにオレに向かって膝を折り、まるで信仰の対象である偶像を見上げるような顔でこちらを見ている。
本当に言葉の通じない人間と話をしているのかもしれない。
直接的な命の危険ではなく精神を蝕まれるような苦痛を予感させ、オレは強く顔をしかめた。
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