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第30話

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「おはようございます!今日は宜しくお願いしますね!」

「ローレンツさん、おはようございます」

 玄関を開けると眩しい程の笑顔で立っていたローレンツさんに挨拶して、一旦家の中に入ってもらった。

 ローレンツさんは出会ってから初めて見る私服姿で、綿のような素材の白いシャツにザックリとした細身の茶色のパンツ、いつもはそのままにしている黄緑色の髪を後ろで結んでいる。
 爽やかな好青年という雰囲気だが、これで口数を減らせば女性受けは良さそうだが……。

「ローレンツ、今日はすまない」
「なに言ってんだ、逆の立場ならお前は私を助けてくれただろ、気にするな」
 肩を叩き合うヴィルヘルムとローレンツさんを見て、やはりお互い色々言いつつも仲が良いのだなと微笑ましく思った。ちょうど朝食が終わった所だったが、ローレンツさんは騎士寮で食べ損ねたそうなので残っていたサラダとパンを玉子とミルクで浸して焼いた所謂フレンチトーストを勧めた。ついつい慣れ親しんだ料理を作ってしまうが、追々こちらの世界の料理も覚えたい所だ。

「姉からの手紙によれば“満月の夜”に“カールフォントの旧市街”にいるという事だが、今夜しか救出の機会は無いと思う」

 神妙に頷いたオレとローレンツさんを確認して、彼が話を続ける。
「恐らく何者かに捕まってはいるが、姉には監視が付いていない状況かもしれない。他にも捕まっている人間がいて置いては逃げられない状況らしいが、今夜もし姉を見付けたら本人がどう言うか分からないが、まずは保護してほしい」

 ヴィルヘルムの言葉を受けて、神妙な顔をしたローレンツさんが続ける。
「監視役が近くにいないとも限らない、他の誘拐の被害者を盾に取られるかもしれない。騒ぎになった場合は市街戦になる、人手不足は否めないな」
 冷静なローレンツさんの言葉に、確かにこれだけの人数で対処出来るのか甚だ疑問だ。

「団長の采配で旧市街で騒ぎが起きれば、この町の自警団もすぐに駆け付けるよう待機してもらっている」
「へーよく協力取り付けられたなぁ、流石オスカー団長」
 感心したように言うローレンツさんの様子から、騎士団と自警団は普段は余り仲が良くないのかもしれない。

「イレーネ約束だ、絶対にローレンツの傍を離れないでくれ」

 オレの方へ向き直って、もう先日から何度も確認された事を聞かれる。
 彼にとってオレの存在は危なっかしい保護対象であり、彼の命すら危険に晒すかもしれない存在だ。

「分かってる、安全な場所で周りをよく見て、何か見付けたらローレンツさんにすぐに言う」
 オレも流石にそこまで無鉄砲ではないし、ナイフ1本満足に扱えないのに誘拐犯と渡り合うなんて無理に決まっている。そもそも殴り合いの喧嘩もした事が無いのに、対人で刃物を持つなど自殺行為だと十分理解している。

「イレーネさんの事は、しっかり守らせてもらいますよ」
 明るく笑ったローレンツさんに改めてお礼を言って、ヴィルヘルムと団長さんそれぞれの警邏範囲と、オレとローレンツさんが担当する特に人の多いエリアについて、主なポイントとなる店舗や場所の最終確認をしておく。
 夕方から約1時間置きに露店街の端の集合場所に集まり、情報共有してまたそれぞれの持ち場に戻る作戦だ。


 光の大祭は2つの満月が輝いて夜でも明るいらしい、その明かりに負けないように街中に灯りを灯すので、翌日まで寝ずに起きたまま祝う人も多いそうだ。
 勝負は恐らく夕方から露店や商店が店仕舞いをしてしまう真夜中までだ。その後は一部の新市街の酒場が開いているだけで、皆自宅で家族と祝うのが習慣らしく途端に人通りの少なくなる旧市街では歩いているだけでも目立つらしい。なので、お姉さんと彼女と行動を共にする誰かが現れるなら、人の多い時間帯であろうという話だった。

「私は詰め所に寄って団長と合流してから見回りを始めようと思う、イレーネもせっかくなら工房へ顔を出してからローレンツと旧市街へ向かってくれ。ローレンツ任せたぞ」
「わかった、任せとけ」
「ヴィルヘルム、気を付けて」
 それぞれに身支度を整えて、ヴィルヘルムとは旧市街で落ち合う事を約束して別れた。



 外は今日も変わらず快適な秋のような風がおそらくは海の方から、町の高い場所へ吹き抜けるように通り、やや高い位置になった太陽の熱を肌に感じる。
 本当に良い気候だ。

 身軽なローレンツさんは腰に巻いたベルトに剣だけ吊っていて、休日の剣士といった雰囲気だ。
 しげしげと隣の彼を眺めていると、オレの視線に気が付いたようでローレンツさんはその場で回って少しお道化てポーズをとった。
「どうですか?今日の私」
「えっ?そうですね、格好良いと思いますよ、爽やかで」
 黙っていれば……だが、オレの言葉に少し考えてシャツの襟を正したローレンツさんは心なしかソワソワしながら前を歩き出した。おまけに何かブツブツと呟いている。
「はぁ、訓練着と変わらない服で来てしまった……」

「動き易いのが一番じゃないですか」
 オレだって本当ならこんな面倒な格好ではなく、本来の姿で臨みたい所だったが、昨晩服装についてはヴィルヘルムに散々反対されたのだ。確かに人混みで帽子が取れたら……鬘の方がよりしっかり固定して被れる上に大きめの眼鏡は顔の一部を隠してくれる、目立たないに越した事はない。

「だって今からヘレナ嬢に会うんですよね!?」
 普段からこんな格好かと幻滅されたらどうしよう……と心配するローレンツさんに、なんでこの見た目でそんなに自信が持てないのか心底分からないなと思う。
「大丈夫ですよ、ローレンツさんは恰好良いですから、そのままで良いです」
「……なんか適当に言ってませんか?」
 2人でそんな事を言い合っていると、あっという間に目的の時計工房に着いていた。


 既に工房の外からでも顔馴染みの職人達が片手を上げてオレに挨拶をしてくれているのが見えて、それぞれに挨拶を返してから工房の入り口へ近付いた。
 早速ダニー工房長とヘレナさんがそれぞれにお客さんを捉まえているのが見えたので、邪魔をしないように静かに中を見て回る事にする。

「イレーネさんが手伝った時計はどれですか?」
 ヴィルヘルムがどこまで話をしているのかは分からないが、オレはまっすぐに大きな振り子時計の前へ案内した。本当はヴィルヘルムにも見てもらいたかったが、また後日別に機会があるだろう。

「この時計の、中身の設計を少し手伝いました」
 工房の一番良い場所に置かれた振り子時計は、外装の装飾も綺麗に完成していた。
 剥き出しだった内部も木のパネルで綺麗に覆われている事は勿論、同じ木製の彫刻でもって優美なカーブを描く波の文様と、これはきっと貝類だろう同じく海のモチーフが木のパネル全体に薄く彫り込まれていて、十分に鑑賞に耐えうるデザインに仕上がっていた。


 やはり自分としてはもっと内部構造を表に見える形で出したい所だが……でも今日のような誰が見るとも分からない場ではこれくらいがちょうど良いのかもしれない、中身の構造が全て見えていては技術をそのまま盗んでくださいと言っているようなものだ。

「イレーネ!来てくれたのね!」
 急に声を掛けられて振り返ると、商談が終わったようでヘレナさんが小走りにこちらに近付いて来た。いつも通り高い位置で1つに結っている髪が左右に楽し気に揺れる様は、彼女の快活さそのものだ。よく見るといつもより上品な生地感の裾の広がったワンピースを着ていて、良家のお嬢さんといった風貌だ。

「あなたの時計!早速好評なのよ、もう朝から忙しいんだからっ!」
 嬉しそうに言ったヘレナさんにそれは良かったと返事をしていると、隣に立つローレンツさんの視線を感じた。
「あら、今日は旦那さんと一緒じゃないの?」
「どうしても仕事が休めなくて、ローレンツさんが気を遣ってくれて一緒にって」
「ヘレナさん!今日は一段とお綺麗ですね!」
 やっと話掛ける切っ掛けをもらえて嬉々として話出すローレンツさんと、やや引き気味になったヘレナさんだったが、すぐにローレンツさんが振り子時計の外装を褒めるとヘレナさんはローレンツさん以上の勢いで話し始めた。彼女の中でのデザイナーとしてのスイッチが入ってしまったようだ……。

 ああなるとヘレナさんの話は長いのだ、でも話を聞かされるローレンツさんが嬉しそうだから良いだろう。
 オレは2人に他の時計の展示品をゆっくり見て戻って来るからと伝え、仕事中はじっくり見る事が叶わなかった他の時計を見る事にした。



 壁掛けの時計や見上げるような大時計を間近で見れるような機会はなく、また工房での作業中も修理中か組み立て中の物が多いので、実際にぼんやりと光る魔石を中心に稼働状態の時計を見るのは初めてだ。
 光っているが熱を持って熱くなり過ぎたりしないのだろうか?

 不思議に思ってまじまじと覗き込んでいると、近くに人の気配がしたので自分が他の人が鑑賞をする邪魔になっていたのかもと思い、少し顔を上げた。


「こんにちは、またお会いしましたネ」

 間近で見る整った顔に驚いて、思わず変な声を上げそうになってしまった。
 笑顔でオレの隣に並んでいたのは先日、旧市街の食品店前で見掛けた露天商の男性だった。

 ムラの無い焼けた小麦色の肌にエメラルドの宝石のような瞳をキラキラさせて微笑んでいる。クリーム色の髪を後ろでターバンのような布に巻き付けて結んでいて、この世界に来てから他の誰もそんな髪型でいる所を見た事がないのだが、不思議ととても似合っている。

「あっすみません、えーと綺麗な装飾品店をされていましたよね?」
 反応が少し遅れてしまい慌てて返事をすると、ちょうど彼を思い出すのに時間が掛かっていたのかと相手は思ってくれたようだ。

「あぁ良かった、忘れられているかと思いました」
 大袈裟に胸を撫で下ろす目の前の男性に、いやいや忘れようにも忘れられない外見をしているだろうと思わず苦笑する。というかよく考えると、あの日店先を冷やかしただけで買い物もしなかった自分の事こそ、彼の方がよく覚えているものだなと疑問に思った。

「どうして私に声を掛けたんですか?」
 思った事を直球で聞いてみると、納得する答えが返ってきた。
「あなたのその眼鏡はとても珍しい、商人の血が疼きます」
 どこで購入した物か聞きたかったと言われ、自分で手配した物ではないのでと答えたが、もし後からでも分かったら教えて欲しいと念を押された。

「ところで、あなたはこの工房で働いているのですか?」

「そうですね、手伝いを数日だけですが」
 曖昧に話を濁すと、彼の綺麗な口元が弧を描いた。その笑い方が獲物を見付けたようなどこか野生動物のような雰囲気で、一瞬目を見張った。

「“あなたの時計”が盛況だとか?スバラシイ発明です」

「聞こえていたんですね、その先程は彼女が大袈裟だったんです、私は切っ掛けに過ぎません」
「“キッカケ”がなにより大事なんですヨ」
 うーんなんだか話の雲行きが怪しくなってきてしまった、新しい時計の開発者だとか変に目立ちたくはない。
 チラチラとヘレナさんとローレンツさんのいる方へ視線を送っていると、露天商のお兄さんはあっさりと“あの人達の話を聞きましょう”とオレの腕を軽く引いた。


「こんにちは、ワタシは商人のジャミエルト、この時計のコト教えてくれますか?」
 彼が挨拶と共にヘレナさんへ革製の免許証のような物を差し出した、おそらく商人の商売に対しての許可証のような物だったようで、その内容を確認したヘレナさんが途端に顔を明るくした、活き活きとした商売人の顔だ。
 彼女と反比例するように残念そうに顔を曇らせたローレンツさんが、すごすごとオレの方へ歩み寄る。良いじゃないか、今日はヘレナさんと随分話せていた方だと思う、一歩前進だ。


 ローレンツさんを励ましつつ商談の邪魔にならないよう退散しようとしていると、露天商のお兄さんことジャミエルトさんが振り返りオレに向かって愛想良く笑った。
「前と同じところに、夕方から店を出しますから見に来てくださいネ」
 ニコリと笑った顔に、ヘレナさんさえ見惚れていているのが分かった。確かにローレンツさんにとっては相当に危険人物かもしれない、主に恋愛面での。


 ヘレナさんにもお礼を言ってからローレンツさんと残りの展示品を流し見てから工房を後にし、近くの屋台で軽食を買いながら早速旧市街へと向かって歩き出した。

 ローレンツさんは先程から残してきたヘレナさんと商人のジェミエルトさんについて、あの2人をあのまま残して来て良かったのかとか、今からでも戻って間に入るべきかなど、一人で騒いでいる。
 商談なのだからオレ達がいたら邪魔だろうし、勿論話が大詰めになれば工房長のダニーさんも話に加わるだろうから何の心配もない。


 先日少し見せてもらったジャミエルトさんの店の装飾品は、他の店で見たどの物よりも自分の好みには合っていたので、もし今日また見掛けたら冷やかしになるかもしれないが見せてもらおう。

 ずっと世話になっているヴィルヘルムに、何かプレゼントを選ぶのも良いかもしれない。


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