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「ローレンツただいま戻りました!」

 会議も終わり荷物を纏めて帰ろうかと思っていると、上機嫌なローレンツが戻って来た。
 にやけたその顔を意識して冷ややかな視線を送っていると、向こうから近付いて来た。

「ヴィルヘルム!ありがとう!お前のお陰で私は運命の人に出逢えた!!」
「貴様……イレーネは私の妻だが?」

 昔から恋愛が絡むと見境の無いだらしのない奴だとは思っていたが、まさか同期の妻に横恋慕するような人間だったとは……制裁が必要だ、素早く背中から首に腕を回して拘束すると慌てた様に弁解を始めた。
「違うッ!イレーネさんは全く私の好みじゃない!お前私の事を友人の嫁に手を出すような男だと思ってたのか!?」
「違うのか?」
 というか今好みではないと言ったか?余りにも失礼ではないか?好みと言われればそれはそれで釘を差す為に締め上げるが、どちらにしても制裁を加えるしかないと拘束している腕に力を込めると、ローレンツは大袈裟な悲鳴を上げた。

「誤解だ!工房のヘレナ嬢だよっ!彼女の事だ!!」
 あの時計工房の女性といえば受付にいる彼女1人であった筈なので、工房長の娘だという彼女の事だろう。拘束を解くと大袈裟に咳き込んでいるローレンツを一瞥し、またこの男の悪い病気が始まったなと軽く溜め息が出た。イツキにも迷惑にならないよう、コイツの病的なまでの惚れやすさについては説明しておこう。
「あと明日の夕食だけど、直接イレーネさんに許可取ったから!」
「なんだって?私は再三断った筈だが」

 再度ローレンツを捕まえようと伸ばした手は、素早く身をかわして避けられた。
「モラヴィアとあと1人誘ってるから!いや~ホント悪いな!ははは!」
 そのまま軽やかに部屋を出て行くローレンツに、追い掛ける気力も根こそぎ削がれてしまい他の同僚に退室の挨拶をして詰め所を後にした。


 帰宅して夕食を終える頃、イツキが今日ローレンツと一緒に食材を買った時の様子を笑いながら話して聞かせてくれた。
 ローレンツが私に仕事を押し付けなければ、その買い出しにも私が付き合っていた筈だ。ローレンツには食材選びの才能があるからまた頼みたいなんて事を言い出すイツキに、思わず夕方の脱力感を思い出しながら首を横に振った。
「今後からはアイツが何と言おうと私が行こう」
「え?そう……?分かった」
 不思議そうな顔をしながらも頷いてくれたイツキに少し安心しながら、食後の甘味の最後の一口を食べた。イツキとの日々の会話の話題はその日の出来事から、お互いの国の話であったり文化や風習の違いなど様々だ。話題に困る事もなく、かといって話過ぎて疲れる事もない聞き上手な彼にかかれば私も話をするのが楽しくなってくる。

 特にここ数日の話題はイツキの時計工房での仕事の話で、入ってまだ数日にも関わらず新しい時計の基礎の提案をしたそうで、毎日打ち合わせに余念が無いようだ。
 ソファーで寝てしまったらしいイツキの手元を見ると時計の装飾案だろう、細かな柄がいくつも描きつけられていて絵まで描けるのかとまた1つ驚かされた。起こそうと思い軽く肩を揺すったが、余程疲れているようで一向に起きる気配が無い。一瞬迷ったがこんな堅い所で寝ては疲労も取れないだろう、膝裏と肩の下に手を入れて持ち上げると見た目よりも軽い身体にもう少し食事量を増やしてもらわなければと思った。


 翌朝、出勤してすぐに軽口を叩きながら笑うローレンツをひと睨みした。
 昼までの勤務であった為、書類整理と光の大祭の警備の配置確認や当日の流れを確認していると、あっという間に退勤時刻となった。
 例え就業時間が重なっていても、同僚同士連れ立って帰って行く事は珍しい為、これから何処に行くのかと冷やかされながら詰め所を後にした。これで後日ローレンツがイツキの料理が凄かった等と言って回れば、下手をすると詰め所中の騎士が宿舎に押し寄せて来そうで思いやられる。

「ごめんなヴィルヘルム、ローレンツが強引に頼んだらしいな」
 隣に並んで歩く気の良い同期のモラヴィアが申し訳なさそうに言うが、彼がアイツに誘われただけなのは明白なので全く気にしなくて良いと言った。
「そうそう!結婚したのに黙ってるコイツが悪いんだ、謝る事ないぞモラヴィア!」
 意気揚々と先陣を切って前を歩いていたローレンツが振り返り、上機嫌に笑ってそう言うので流石に一言言ってやりたくなったが、その空気も察したようで足早に宿舎に向かって走って行ってしまった。
 私の後ろを足音もなく歩いていたシュテファン殿が、走り去ったローレンツの後ろ姿を面白そうに見送っているが、私はそんなに穏やかな心持ちでいられそうにない。


 流石に勝手に家へ入って行く程、非常識ではなかったらしく見慣れた宿舎の玄関先で待っていたローレンツを横目に家の鍵を開けた。
 大きく開けた扉から止める間もなく私より先にローレンツが家の中に飛び込んだ、そのまま玄関先で騒いでいるとイツキが居間から姿を現した。

「ようこそ、どうぞお上がりください」
 柔らかそうな淡い色の上衣に緩いズボン姿のイツキは、やや余所行きの笑顔を浮かべていた。
 彼の変装も最近は見慣れた気になっていたが、一瞬知らない女性を初めて目の前にしたような不思議な感覚に襲われ、やや居心地が悪くなる。
 イツキは相手が全て顔と名前の一致する人間ばかりだと分かると、安心したように一つ息をついたようだ。
「シュテファンさん!と、モラヴィアさんですよね?ヴィルヘルムがいつもお世話になってます」
「ああイレーネくん頑張っているようだね」
「自分の名前まで覚えて頂いていて光栄です!」
 イツキが人好きする笑顔を浮かべて挨拶を交わす姿を見て、よく知る彼の表情に何故かほっとした自分がいた。

 ローレンツを手伝わせて料理を運び席に着いた、モラヴィアが酒を注いでいくがイツキは呑めないのか申し出を断っていた。騎士団での会食は料理の量も多いが酒量がとにかく多い、呑めない体質の者はほぼおらず特に祝いの席などは夜通し呑む事になる。オスカー団長などはいくら呑んでも顔色や表情は全く変わらないが、一度捕まってしまうといつもの冗談なのか酔っぱらい特有の戯言なのか分からない話を永遠と聞かされる事になるのは、我が騎士団では有名な話だ。
 今日は酒癖の悪い人間もいない上にそもそも酔うほどの量を持ち込んでいない為、気兼ねなく呑めそうだ。


 同じ王国の直接の所属とはいえ諜報部の人間から話を聞かせてもらう事は滅多に無い機会で、シュテファン殿の話を興味深く聞かせてもらう。隣に座るイツキは特に緊迫した場面では机の上に置いた拳を握り締め、子どものように目を輝かせて話を聞いているので思わず笑いそうになってしまった。

 食後の口直しにとイツキが作ったらしいロラインランフと、シュテファン殿が持って来た果実酒は味の相性が良かった。
 この時どういった流れでそんな話になったのか、ローレンツがまた今回もフラれるだろうと予想する我々を穏やかに制して、イツキがローレンツの事を褒めはじめたのだ。格好良いとか頼りになるとか、良い旦那になるだろうなど……そんな言葉を繰り返し聞いている内に何故か急に自分の気分が落ち込んでくるのを感じて、誤魔化すように杯を重ねた。

「ヴィルヘルム、気分悪い?大丈夫?」
 隣の席から心配そうに小声で訊ねてくるイツキに、大丈夫だと伝えるが冷たい水の入ったグラスを渡されて、酔っている訳ではないのだが礼を言って口をつけた。

「イレーネ君、ヴィルヘルムはねきっと拗ねているんだよ」
 思い付いたようにシュテファン殿が茶化すので、否定しようと口を開くがローレンツの笑い声が重なってきた。
「あっ本当だ、お前なに拗ねてんだよ!」
 こちらを指差して上機嫌な様子のローレンツの声に思わず苛立つと、表情に出たのだろう図星と思われたのか余計にヤツに勢いを与えてしまった。
「っていうか良いだろ、奥さんからは普段から格好良いとか言われ慣れてるだろ?今日くらい譲れよ」
 腹を抱えて笑うローレンツを見ながら、ふと冷静になり今言われた言葉を反芻してみた。

 イツキから普段から格好良いと言われているか?考えてみれば1度も言われた事が無い。
 いや決してそう褒められたい訳ではないのだが、目の前でこの口の軽い同僚の事をここまで褒める彼を見ると、イツキにとってそんなに軽い褒め言葉であるなら自分も1度くらい言われてみたいと思うのは至極当然ではないだろうか。そしてそれはこんな時でもないと自分からは言い出せないかもしれない、2人きりの時に褒めてくれ等と言える筈もない。

「私は君に“格好良い”と言われた事がない!」
「……はぁ!?」
 驚いてただでさえ大きな木の実の様な瞳をより大きくしたイツキを見るが、こんな醜態を晒した手前向かいに座る面々とは顔を合わせられない。彼らには私がこんな少量の酒で酔っているとは全く思われていない為、素面でこんな事を言っている事は確実に伝わってしまっている。偽装夫婦としては仲の良さを見せる為にも良いのかと今更になって思ったが、勘が鋭いであろうシュテファン殿には通じる筈もない。自分から言い放った言葉ではあったが、早速猛烈な羞恥心に後悔していた。
 いっそ先程の発言を撤回したかったが、イツキが意を決したようにしっかりと私の目を見てこう言った。

「いつも思ってはいるけど……もちろんヴィルヘルムが1番格好良いと思ってるよ」

 いつも思っている……1番格好良い……?
 彼の言葉が脳に到達するまでに若干の時間が掛かり、今度はその意味をしっかりと噛み締めていると目の前の少し照れたような表情のイツキと視線がぶつかって、自分の発言の恥ずかしさ等どうでも良くなってしまった。
 彼の初めて見る表情に顔が緩んだ自覚はあったが、益々照れ臭くなったのかやや頬を染めて俯くイツキになんだか見てはいけない物を見てしまっている気がして、次の瞬間それを見ているのが自分だけではない事に気が付いた。

 慌てて机の向かい側を見ると、なんとも言えない表情の三人の視線を感じこちらも居た堪れない気持ちになった。

「じゃあ私達はこれ以上2人の邪魔をしないよう、そろそろお暇しようかな」
 空気を察して私に合図を送るとシュテファン殿が席を立って、ローレンツとモラヴィアもそれに続いて帰って行った。気を取り直したイツキが片付けをする為だろう、気合いを入れ直しテーブルの上にあった水の入ったグラスを勢いよく呷るのを横目で見た。

 突然ふらついたイツキに驚いたが転倒しないよう咄嗟に彼の肩を抱くと、そのままズルズルと彼が力の入っていない身体で床に座り込むのを補助した。
「イツキ!どうした……」
 言葉を続ける前に彼から強い酒の匂いがして顔を顰めた、イツキは果実酒以外には口をつけていなかった筈だが……と彼が今しがた呑み干した机の上のグラスを見て、水とは違うやや粘度のある透明な液体がグラスの底に少し残っているのが見えて、思わず天を仰いだ。

「大丈夫か?気分はどうだイツキ……」
「だいじょーぶ……ぜんぜん……だいじょうぶ……」
 呂律は怪しいが座った体勢ではいられるようなので、台所で新しいグラスに水を注ぎ彼に渡した。同僚が帰って一息ついたのも束の間、今夜はもう一仕事ありそうだ。
 何故かもう飲みたくないと駄々を捏ねるイツキになんとか水を飲ませ、少しでも体内で酒が薄まる事を願う。

 グラスから少し零れた水が彼の胸元を濡らしたので、慌てて手近にあった布を押し当てた。


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