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しおりを挟む迂闊だったと、ここまで後悔した事が今まであっただろうか。
魔法具店で調合してもらった薬によって意思疎通出来るようになった彼は、やはり外見年齢よりも言動が随分落ち着いていた。
その小柄な体躯から成人になるかどうかという年齢ではないかと予想していたが、本人は名前と共に本人は28歳だと驚きの主張をしていた。
人間ではない精霊に近いような長寿の種族であれば別だが、普通の人間でこの外見で私より年上という事はあり得ないだろうと思ったが、本人が強く主張をする為この問題については頃合いをみてこの国での年齢の数え方などを伝えようと思い口を噤んだ。
ともかく私は随分イツキの事を過信し過ぎていたのかもしれない。
どこか抜けていると分かっていたのに酒場で騎士団への連絡役と話をする際、安易に彼を店外の目の届かない所へ置いてきてしまった。
流石に彼も私に付き合ってばかりでは息が詰まるかと思い、またこんな日中の長閑な町中であれば短時間目を離しただけで何か問題が起きるとは思わなかったのだ。
「イツキ、返事をしてくれイツキ!」
やや長くなった報告を切り上げて店の外に出ると、いるべき筈の場所に彼がいない。
店の横手や道の反対側に立ち並ぶ店先も覗いたがどこにもその姿が見当たらない。
頭からすっと血が下がるような心地がして、目の前の雑貨屋の呼び込みに立つ女性に声を掛けた。
「仕事中すまない、先程まであの酒場の前に立っていた薄緑の帽子の男を見なかっただろうか」
本来民間人に声を掛ける際は威厳を持ってにこやかにと騎士団の先輩方にも強く言われていたが、今は気にしていられない。
「はいっ!み……見ました先程なにやら神父様が迎えに来られてご一緒に教会の方へ……」
「神父が?」
どういう事だ?先程教会で話を聞いた際にはエルミアの事など知らないと言っていたが……なにか思い出した事でもあったのだろうか?
なんにしても店内の私に一声掛ければ済む話であるのに、イツキだけをつれて行ったというのはおかしい。
少し考えた後女性に礼を述べて元来た教会の方向へ踵を返した。
私は昨晩彼に自分で説明した話を反芻していた“闇の精霊への信仰心の強い教会関係者”力を欲する狂信者に気を付けろとはまさに今朝のハウザー神父のような人間を指していた。
この自衛都市ダンディケルでは古くから精霊の中でも特に闇の精霊を信仰する者が多く、今朝会った神父も確かに光の精霊のシンボルを逆さ位置にしたロザリオを首から下げている事は確認していた。
風の噂で教会は魔力量の高い人間をより王都の近くに、そうでなければ左遷とまではいかないが地方の教会を任せると聞いた事がある。
それに加え教会を辞した際にはイツキが帽子の魔法効力を気にしていた、あれは神父からの何かしらの気配を感じて気にしていたのだとあの時にすぐ気が付くべきだった。
イツキも神父の様子がおかしいと気が付いていたならば私に相談しておけば良いものを……とそこまで考えて、まだ出会ってからの時間は短いが彼の性格上、自立心が強くなんでも人に頼る事はよしとしない為、気付いていてもあえて言わなかったのかもしれない。
次第に早くなる足でほぼ走り抜けるように教会へ辿り着くと、そこには昼休憩の看板と敷地内の掃除をする神官が残るのみであった。
「すまないハウザー神父はどちらに?」
息を切らした私の様子に驚いたようだが、簡潔に神父が修道院の鍵を持って出掛けた旨と午後の祈りの時間まで戻らないと言っていた事を教えてくれた。
神官から聞いた修道院の場所へ道を引き返し向かうと、すぐに人気のない入り組んだ路地に入り私の足音だけが大きく響いた。
少し前方から人の気配がして立ち止まり耳を澄ますとやはり衣擦れの音と共に息を押し殺す人間の気配がする。
気取られないよう数歩隣の路地へ歩き出すようにわざと足音を立てた後、気配のした方向へ静かに近付いた。
暗い階段の下必死になにかと格闘している神父の背中しか見えないが間違いないだろう、剣を抜くと頬へ当てる程度の位置に刃先を持って行く。
「ぎゃあっ!!!!!!」
派手に転がる男の下から髪も服も乱れ切ったイツキが這い出して来た姿を確認して、私は自分があまり冷静ではいられないかもしれないと思った。
「……何をしているハウザー神父」
自分でも思っていたよりも低い声が出たが私の様子に神父は分かるが、イツキも共に顔面を蒼白とさせているのはどういった訳だろうか。
確かに彼を連れ去った目の前の男と、警戒心の欠片も無い彼にも腹は立っている。
支離滅裂な事を叫ぶ神父を早々に黙らせたかったが、話が通じる相手ではなく王都の教会本部へ通告する事を決めた。
イツキの事をまだ公にしたくなかったので穏便に済ませたかったがこの様子ではそれも鼻から難しかったようだ。
イツキをつれて路地を歩くと背後からは使えもしないだろう闇魔法詠唱の言葉が聞こえてきたがこれ以上関わり合いになる時間も惜しい為、放っておく事にする。
「心配掛けて……オレ」
謝り自分の軽率な行動を反省するイツキにそれ以上は何も言えず、これからは十分気を付けてほしいと伝えた。
彼の事なので上手く私の為になるとでも言われて誘い出されたのだろうが、ここまで警戒心が薄いと思っていなかった私の落ち度のようにも思える。
言葉が通じていない時とはいえ”守護騎士の誓い”を立てた相手をこんなに軽々と危険に晒されるようでは騎士失格である。
やはり私は己が志していた騎士像からは大きく外れた所に今まで自分がいた事を恥じて、一層の努力をしようと決意を固めた。
それからの彼は面白かった。
俯き気味に昼食を摂ったかと思うと、何も無いこんな長閑な町の大通りで私の後ろに隠れるように一歩後ろを歩きながら、前後左右と時には頭上までキョロキョロと見回して安全確認をしながら歩いている、戦場の真っ只中でもここまで用心はしないだろう。
商店の店員やすれ違う人達の不思議そうな顔も気にならないようで、本人は到って真面目な顔をしている所が余計おかしい。
「オレ……真面目に注意して歩いてるだけなんだけど……」
「わるい、笑ったわけではないんだ」
恐らく本人は先程の反省を踏まえて到って真面目に歩いているだけだとは思うのだが、笑うのは悪いと思うほど可笑しくなってきた。
先日まで只管に王都での騎士団での訓練と仕事に明け暮れていたが、姉を捜す為辞表を書き1人で遠征に出てイツキと出会ったこの数日間はこれまでの生活では予想もしなかった出来事の連続で、姉には悪いが王都を出て来て良かったのかもしれない。
ここ数年でこれほど心から笑った事があっただろうか。
子どものように頬を膨らました彼にそうしたふとした仕草がより彼を幼く見せ、付け入る隙はあると思われてしまうのではないかと思った。
笑いを堪える為に咳払いで誤魔化すが、彼の表情からすると上手く誤魔化し切れてはいなさそうだ。
時計台を見上げるイツキが彼の少ない所持品の1つである携帯式の小型時計を見せてくれた。
懐に入れるので懐中時計と呼ぶそうだが時を刻む正確な音がするだけで魔力や魔法の痕跡は感じられない。
少なくとも我が国ではまだ発展していない技術によって開発された道具である事は見て取れた。
1日の内に何度かこの道具を癖のように取り出し確認する彼の行動を、宗教的な祈りかなにかかと不思議に思っていたが、どうやら小まめに時刻を確認する習慣があるらしい。
役場では王都から応援に来ていると聞いていたサリウスに到着前に便りを出していた為、イツキの国民登録手続きもつつがなく進行した。
聞かなくても良い質問が多々含まれていたがサリウスの好奇心故だろう。
サリウスもイツキの年齢に関しては何度も聞き返していたが1節ではなく10カ月で1歳と数える国もあるので、本人が28歳と言うなら23歳くらいであろうと納得していた。
イツキはこの国に来るまでの記憶が無いと言っていたが大方海の向こうの南東の小国か、それとも西方のほとんど他国との交流を断っている帝国から攫われるかして連れて来られたのだろう。
彼はあの時1人で道を歩いていたと言うが、命辛々逃げて来た心労で記憶が薄れていたのかもしれない。
辛い記憶であれば思い出さないままでいる事もひとつだが、国に彼を捜している人がいるならば落ち着いてからでも彼が無事を知らせてやるのもひとつだろう。
サリウスからの希望で魔力渡しもしてもらい、室内に強い魔力は感じたが目に見えて何かが起こる事はなかった。
通常であれば髪の色や瞳の色からある程度使える魔法の傾向は推察が出来るが、イツキの場合はその真黒の髪と瞳には前例がない為、一体どんな効力の魔法が使えるのか誰にも分からない。
真剣にサリウスから魔法の練習の仕方を聞くイツキの横顔を眺めながら、これからどうするのが彼にとって一番良いのか考えていると2人の話が終わったようだが、放っておけばサリウスが際限なくイツキに質問を浴びせそうなので早々に退席する事にした。
「世話を掛けたな、サリウス」
イツキの身の振り方を心配するサリウスに、当初はそれこそ長閑なこの町に預けるのも良いかと思っていたが、今朝の神父といいイツキの危機管理能力の無さを目の当たりにして、もっと安全な町でないと彼を保護してもらうのは難しい気がしていた。
かといって次に向かう町はこのダンディケルよりも賑やかな為、もちろん本人の意思の確認が一番だが王都まで私が戻る際に一緒に戻る案も提案に値するかもしれない。
「いくつか町を見てから住む場所を決めても良いかと思っています」
自分の意思を明確に伝えるイツキにやはりなるべく彼の手助けをしたいと改めて思った。
私は彼が安全な場所で落ち着けるまでの守護騎士だ、エルミアを捜す道中ではあるが最大限彼の為に尽力しようと決意を新たにした。
それにしてもサリウスと同じ空間にいると特別疲れる気がする、イツキも疲れたようだし少しどこかで休憩でもしようと思いながら役場を後にした。
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