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第4話

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「やめてくれ……担ぐのだけは、今揺すられたら絶対吐く……」

 自分で思ったよりも随分控えめな音量での異議申し立てとなったが、2人がハッとこちらを見たのでなんとか意思は伝わったと思いたい。
 挙げた右手を下ろしのろのろとゆっくり重い頭を上げると、にやりと笑うおばあさんのブルーグレーの瞳と目が合った。

「どうだい気分は?なかなか悪くないだろう?」
「あんなに不味い飲み物はじめて飲んだ……あと頭が痛いです……」

「はぁ……あんた若いのにもっと言葉が通じるようになった感動とか、感想のヒトツでも浮かばないもんかね?」
「え?今なんて……?」
 オレが起き上がった事でようやく片付けられると、すっかりカウンターの後片付けに取り掛かり始めてしまったおばあさんを唖然と見詰めていると、すぐ後ろに立っていた青年がオレの肩に手を置いた。

「やっと何を言っているのか分かるな、お互い」

「あっ!すごいちゃんと、言葉が分かるっ!」

 色めき立つオレ達と違って終わったから早く出ていくようにと促すおばあさんに礼を言って2人して建物の外に出た。
 入店する際は読めなかった扉に掛かった看板の文字が、急に漢字の羅列に見えてくるけどなんだか狐に化かされているような不思議な気分だ。
「……聖都魔法道具研究省……認可、魔法具店?」
「文字も問題なく読めるようだな」

 爽やかに話す青年に未だに違和感を拭い切れないまま、オレは彼に向き直った。
「あの本当にありがとう、助かりました。なにからなにまで世話になってしまって……ずっとお礼を言いたかったんですが、どうしても言葉が……そうだ名前も言ってなくて」

 はたと気が付いてズボンのポケットの名刺入れを探るが次の瞬間、身に着けていた服と時計以外の所持品はほぼ無かった事を思い出した。
 それに名刺なんてここでは何の役にも立たないじゃないか……習慣って恐ろしい。

 オレがポケットを漁りまごまごしていると、青年が少し姿勢を正して先に名乗ってくれた。
「私の名前はエルドラン・ヴィルヘルム・ルイス。王都アレクシスで王立騎士団に所属する騎士だが今は訳あって一人所用で遠征中だ」

 王都!という事は君主政治だろうか、あとこの町が多分王都ではない事と……騎士団というけど普段はどんな仕事をしているのだろう?門番から近衛兵まで全部騎士って括りなのだろうか……?正直名前が長くてその他の情報量も多すぎて、余り頭に入って来なかった……。

「オレの名前は藤代 樹フジシロ イツキといいます。多分ここからは遠い国から来た……と思うけど、あなたに助けてもらった少し前からの記憶しかなくて、どうやってこの国に来たのか分からないから本当に助かりました、ありがとうございます」

 深く頭を下げながら、自分でも中々説得力のない自己紹介だなと思った。
 でも別の世界で死んだと思ったら突然この世界の道端に倒れていました、なんて説明よりは随分マシではないだろうか。

「そうか聞いた事のない言葉で話していたから、恐らく近隣諸国ではないのだろう」

「そうなんです右も左も分からず……突然変な人達に追い掛け回されるわで、かなり困った状況だったので本当に助かりました。ありがとうございます」

 そういえばあの助けてもらった後にマントを握ってオレが“ついて行かせてほしい”とお願いした時に彼がなんと答えていたのか、あの時の真剣な彼の様子からずっと気になっていたのだ。

「助けてもらった後、オレがついて行って良いか聞いた時に何て答えてくれたんですか?」
「……あの時は“次の町まで行こう君を保護する”と伝えたつもりだった」

 おお!やっぱりニュアンスである程度意思疎通は出来ていた事が分かったが、同時にもっと長い言葉ではなかったかなと若干の違和感を覚えた。
 それにしてもまるで迷子のように“保護”してもらっていた訳か。
 いや迷子といえば確かに迷子だが“子”というには些か年齢が……。

「アンタ達!初めてのお喋りも良いけどウチの店の前からは退きなさいね」
 目の前の木戸から顔を出した先程の女店主が、にこやかに笑いながら言った。目は全く笑っていない。
「すみませんでした!」
「失礼しました」
 二人してそそくさと魔法具屋の前を離れて来た道を表通りまで戻る。

 てっきりこのまま色々と話をするのかと思い、荷物を置いてきた民宿の方へ足を向けると、逆の方向へ向き直った彼が少し寄る所があると言うので了承して歩き出す。


 民宿とも魔法具屋とも別の方向へ住宅街の間を抜けて数分も歩くと、やや賑やかに商店が立ち並ぶ通りへ出た。
 色とりどりの変わった文様の生地や、装飾品であろう工芸品を売る店に少し先には食べ物の屋台も出ているようで、香辛料と肉の焼ける匂いが漂ってくる。

 この世界に来てからというもの口にするのは最低限の硬い乾パンのような物と干し肉のような保存食ばかりだった為、食に興味の無い世界なのかと心配していたがどうやら旅の道中では仕方のない食事だったようだ。
 というか一方的に食料も分けてもらうばかりだった為、全く文句など言えたものではないが。

「そこの角の店にしよう」
 つい手近な店の軒先を物色していると青年が少し先にある一軒の洋服店を指差すので、小走りに近付いた。
 洒落たガラス素材の表戸を開けると中は一見普通の服屋のようだが、生地の多いゆったりとした服が多く奥には木の杖やネックレスのような装飾品もあるようだ。
 魔法使いの装飾店といった様子だが、もしかして職業によってなんでも店が分かれているのだろうか……?

 そんな事を考えているとまたしてもさっさと店主と何事か話した青年が、生地の多い服一式を手に戻って来た。
「すまないが、その服は目立つのでコレを着てみてもらえないだろうか?」
「えっ、あぁ目立つのか……やっぱり」
 珍しい物ばかりだったから自分の方が異分子という事を忘れかけていたが確かに浮いているかもしれない。
 素直に衣装を受け取り更衣室のようなカーテンの仕切りの裏で着替える。

 袖が大振りなトレーナーのような生成りの木綿の服に共生地のよもぎ色のベストを羽織り、ズボンは七分丈の茶色のザックリとした素材で、ベストと同じよもぎ色の大きな帽子がセットのようだ。
 大きな麻袋のような帽子は上手く被らないと頭をスッポリと顔まで覆ってしまう為、程よい角度で被り余った部分の生地は後ろへ倒してしまう事でやっと落ち着いた。
 今まではポンチョのようなフードを被っていたがこちらの帽子の方が服と分離している分、視界は広くなりそうだ。

 更衣室を出ると青年と店主の男性が待っていて、帽子の角度を直したり服に合うブーツと鞄も選んでくれた。
「すみません、これいくら位に……」
 何か自分の持ち物を換金でもして買えるような代物なのだろうかと考えていると、既に会計は済まされた後だったようで店主の目配せを受けてオレは青年にお礼を言った。


 今まで着ていた衣類を全て鞄に納め、店を出ると外はすっかり夕方になっていた。

 やはり日中と夜の気温差が激しい気候のようで、先程までは心地良かった風が今は少し冷たく感じられる。
 民宿での夕食の時間に遅れそうとの理由で夕暮れを2人して足早に歩く。

 町には店仕舞いをする人や仕事帰りに家路を急ぐ人、幼い子どもを連れた母親らしき女性など、服装や容姿を除けば見慣れた平和な風景があった。
 住宅地から漂う夕食の香りの、なんともいえない安心感に目を細めた。

「“フジシロ”と“イツキ”はどちらが家名なんだ?」
 急に話かけられて驚いたがオレも彼の事をなんと呼べば良いのか、さっきからずっと考えていたのだ。
「藤代が家の名前で、樹が個人のオレの名前、どちらで呼んでもらっても良いです」

「そうかではイツキと呼ばせてもらおう。私の事は“エルドラン”でも“ヴィルヘルム”でも好きなように呼んでくれて構わない」
 どうやらエルドランが苗字で、ヴィルヘルムが名前のようだ。
 じゃあ残ったルイスは何なんだろう……ミドルネームというやつだろうか?
 学生時代の友人同士でもない限り下の名前で呼び合う事にはやや照れがある。

「じゃあヴィルヘルム……さん、と呼ばせてください」
「いや、呼び捨てで構わない」
 即座に呼び捨てで良いと言われ、やはり下の名前を気軽に呼び合う文化のようで…郷に入っては郷に従え慣れるしかない。

 いつの間にか戻って来た小ぢんまりした民宿の前で立ち止まり、改めて自分より少し高い位置にある空色の瞳と向き合う。
「じゃあ……ヴィルヘルム」
 呼んでみて確かにこの青年にピッタリとくる名前だと思った。

「……これだけ助けてもらって、今やっと名前を呼ぶなんて変な感じだ」

 こんな訳の分からない状況でずっと張り詰めていた緊張の糸が解れて、思わず笑うとヴィルヘルムも口の端を上げて少し笑った。



 なんとか夕食に間に合い、言葉が分かるようになったので改めて女将さんにも挨拶をすると、親切に食事を全て部屋まで運んでくれた。

 温かい白い豆のスープに軽めのパンと根菜のサラダ、果物のソースがかかった肉のソテー。
 味付けは素朴だが温かいだけで美味しく感じられ、よく噛み締めながら食べた。
 先日立ち寄った駅前の書店で“異世界に行って料理人に”なんてライトノベルが店頭に並んでいたが、最低限の自炊しか出来ていなかった自分には出番などなさそうだ。

 食事を終えて落ち着こうかと小さなベッドに腰掛けると、ヴィルヘルムに先に身体を拭くべきだと手拭いを渡された。
 部屋の窓際に浴槽はあるものの蛇口やシャワーホースは見当たらないから、この木桶に入った微温湯で身体を拭くという事だろうか……?
 しばらく握った手拭いと浴槽と桶を順に見回していると、手早く簡単な衝立を目隠し用に立ててくれたヴィルヘルムが振り返った。

「大変そうなら手伝うが」

「いや、えーと手順だけ教えてもらえると助かります」
 多分この国では子どもでも知っているであろう入浴の仕方を、彼は丁寧に説明してくれた。

 途中で追加のお湯を持って来てくれた女将さんが、狭い衝立の中で話し合うオレ達に何かあらぬ誤解をしたようで、部屋の入口で盛大に桶をひっくり返した事には驚いた。


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