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第2話

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 また今日も朝が来た。

 夜明けと共に起き出すのも4日目ともなれば自然と目が覚める。

 車に撥ねられてこの世界に出て来て早5日目。
 オレは道端で悪党に捕まっていた所を助けてくれた青年について歩いて、歩き続けてまた新しい朝を迎えていた。

 月が2つもある位なので1日が24時間ではないかもしれないが、毎日夕方過ぎには野宿する場所を確保して、朝方まではしっかり睡眠を摂っている。
 寝ている時間以外はずっと歩き続けているが、成人男性2人でこれだけ歩いても少し緑が増えたくらいで周囲の風景にはまだ変わった様子はない。

「……おはよう」
 連日の運動からの筋肉痛の身体をほぐすように、両腕を回しながら上半身を起こす。
 木の根を枕にしたせいか寝返りをあまり打てなかったようで、あらぬ方向に首が痛む。
 同行者の青年はすでに起き出しており、気の抜けたオレの挨拶を受けて軽くこちらへ頷いてから日課の素振りを続けている。


 規則正しく振り下ろされる剣が朝日を反射する様子を見ながら、やっと見慣れてきた青年の横顔を窺った。
 助けてもらった時は辺りも暗くて“若そうな男”という事しか分からなかったが、ただの男ではなかった……このままハリウッド映画の主演男優になれそうな風貌なのだ。

 歳は多分オレと同じで30手前か……挙動が落ち着いているからもしかしたらもっと年上かもしれない。
 お礼も言いたいし不便なので名前だけでも知りたいところだが、何度も何度も意思疎通を図ろうと身振り手振りで自分の名前と“あなたの名前は?”という意味で彼を指差すと、答えてはくれるのだがその言葉がどうしても聞き取れない……。

 ドイツ語の発音に近い気もするが真似をして繰り返し発音をしようにも舌が回らず、なんとも微妙な空気になる。
 それは彼の方も同じようで、オレが何か話しかけると聞き取ろうとしてくれるのだが、山彦のように繰り返してくれようと開いた口からはやっぱり聞き取れない言葉が出てくるだけで。

 それでも言葉が分からないとこの後も自分が困る事は目に見えているので、考えるより聞き慣れてみようと、とにかく他愛もない言葉を投げてみるけど言葉が通じないからなのか、明らかにこの世界から浮いていそうなオレを警戒だけはしているのか、こちらを見るだけで余り積極的に口を開いてはくれない。

 これではいつまで経ってもこの世界が何なのか、というか恩人の彼の名前すら分からないかもしれない。
「はぁ……もっと色々勉強しとけば良かったかも……」
 ため息混じりの大きな独り言を言っているといつの間にかすぐ傍まで来ていた青年が、少し困ったような表情で手に持っている布をオレの頭に被せてくれた。

「あぁ、ありがとう……」
 そのまま焦茶色の麻の様な布を頭に被り直し、余った生地を腰の辺りまで来るように引き下げる。形としてはポンチョのような着丈の短い雨合羽のような衣装だ。


 この衣装についても疑問が絶えないのだが、あの助けてもらった夜から一晩明けて彼の驚いた声で目が覚めて何事かと飛び起きると、そのままオレの肩を掴んで髪を一房掴むと軽く引っ張ったり光に透かしてみたり……美容室に行くのが面倒で染めてはいないから普通に真っ黒の面白味の無い髪色ですけど……。
 そう思った瞬間に初めて青年の顔を明るい所で正面からハッキリ見たものだから、こっちこそ驚いて叫びそうになってしまった。

 石膏像のように整った顔に緩くカーブのかかった鈍い薄金髪の髪が揺れていて、驚きから開かれた瞳は翡翠のような深い緑かと思えば光の具合で空のような薄い水色にも見える。

「うっ!近い!!!」
 咄嗟に距離を取ろうと身じろぐと、彼もハッとしたように手を離してくれた。

 その後すぐだ。そこで待っているようにジェスチャーで指示されて、大人しく待っていると程なくして戻って来た彼がこのポンチョのようなフード付の衣類をオレに渡してくれたのだ。
 寒くもないし日差しも強くなさそうに思うので受け取ったものの、そのまましげしげと開いたり畳んだりしてこのポンチョを眺めていると、着方が分からないと思われたのか彼は丁寧にその衣装をオレに着せ掛けてくれた。
「ありがと……う?」

 ひとまずお礼を言って、頭のフード部分だけは脱ごうかと手を掛けると、更に深く目元まで隠れてしまう位にフードを引っ張られた。
 “顔は隠した方が良い”って事かな……?

 確かにもしもこのお兄さんの顔がこの世界の平均点の顔だとしたら、オレは系統からして違うというか……別の世界から来た事が一発で分かってしまうのかもしれない。

 自分の手で更にフードを被り直し、これで良いのか?という気持ちを込めて青年を窺うと、大きく頷いている為それ程この推測は間違ってはいないらしい。




 今日も歩き始める、青年の半歩後ろを遅れないようにしてついて行く。

 日頃の運動不足により出来た足の裏の豆が潰れないように注意しながら、ただひたすらに前を向いて歩く。
 時折青年が立ち止まって、地図を広げて道と方位を確認する以外は歩き続いている。

 コミュニケーションは取りにくいが、この数日で分かった事がいくつかある。
 オレが伝わらない言葉でどれだけ話しかけても彼は余り嫌な顔はしない事、彼が広げた地図を横から一緒に覗き込んでも邪険にされない事、携帯食料のような食事も体格差を考慮して自分の方が多く食べるでもなく、律儀にオレにもきっちり半分くれる事。

 元々無口なのか言葉は通じないものだと諦められているのか、どれだけ話し掛けても余り言葉は返って来ないが、それでも沈黙が苦にならない。


 ぼんやりとオレの幼馴染であり親友の事を考える、あいつなら今オレが体験している不思議な現象も、全て真面目に面白がって話を聞いてくれるだろう。
 あいつは小さい頃からクラスメイトに“顔が怖い”なんて言われて益々喋らなくなっていたが、実は色々と表情に出やすくてそれを隠す為もあって表情がより硬くなって……悪循環ではあるが無口キャラで通していた。
 この会話の間の取り方がなんとなく目の前の青年と似ている気がする。

 無口キャラで通していた割にオレと二人でいる時は結構しょうもない話なんかもして、大学を卒業して就職してからも定期的に会ってはいたが心配しているだろうなぁ……とそこまで考えて、心配もなにもオレそういえば死んだんだったなぁと暗くなりかけた思考を一旦止める。


 オレが思うに前を歩く恩人の青年は、オレの親友と似たタイプの人間なのではないかなぁと思う。
 少なくともすぐに感情が表情に出てしまいそうな所を、グッと顔に力を入れる事で耐えている雰囲気はある。

 彼の顔を初めて見た朝、最初に彫刻のようだと思ったのは造形が整っているせいもあるが、なにより表情が控え目だったせいだ。
 それでも“目は口程にものを言う”ということわざ通り“驚いています”というのが見て取れて……。

「ふはっは……」

 突然思い出し笑いするオレを、青年が何事かと振り返り訝しげに眉を寄せている。

「××××××××?」
「うん、ごめん大丈夫」

 調子が悪いのかと聞かれたようで、軽く手を振ってなにも問題が無い事を伝える。
 それでも尚も訝し気にこちらを見る青年を追い越し、早く先に行こうと促がす。

 野営生活が続き自分がこんなに綺麗好きとは思わなかったが、早く風呂に入りたいし藁束よりは柔らかいベッドで眠れる町まで早く行きたい。
 彼の地図によれば頑張れば今日の内に、ある程度の規模の町に辿り着きそうなのだ。
 オレと同じように日本から、いや地球から来た人間がいないか言葉が通じる人はいないか、なにかこの世界に繋がれる糸口が分かれば良いが、もしも何も分からなければ……。

 心配は尽きないがとにかく行ってみるしかない。やってみなきゃ分からない失敗した後悔よりも挑戦しない後悔の方が大きい、その通りだと思う。

 重くなりそうになる足を前に出し、青年を振り返り、早く早くと先を促がす。
 少し眉が上がって口元が緩んだようなので、オレの調子に呆れて笑ったのかもしれない。
 言葉が通じなくても通じるものはある。
 町でなにか分かればこの青年とはお別れかもしれない、やっと表情が読めてきそうなのにちょっと寂しいかもな。


 どんな目的で彼が旅をしているかは分からないが、オレの親友にちょっと似ていると勝手に親しみを感じて自分で思うよりも精神的に頼りにしていたのかもしれない。

 こんな事では先が思いやられるな、とこれからも変化するであろう環境を受け入れられるよう自分に言い聞かせた。


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