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2.これは同棲か、それともただの同居か
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蒼太の家の風呂場には、バランス型の風呂釜――いわゆる昔懐かしいガス式湯沸かし器が備え付けられていた。
だが点火スイッチを何度か操作し、着火用の電池を交換もしてみても、うんともすんともいわない。
「……ダメですね。不完全燃焼になるのも怖いですし、業者を呼んだ方が早いですよ」
素人が下手に弄って、火事になっても困る。蒼太は早々に修理を諦めた。
本格的に風呂に入れないことが判明し、蒼太の恋人はガクリと首を落してうなだれる。
「マジかよ……。てか、すぐに修理に来てもらったとして、これすぐに直るか? 見るからに結構な年季入ってるけど……」
「んー、僕が子供の時に、一度修理に来てもらった記憶がありますけど……」
蒼太がこの家に来たばかりの頃、やはり調子が悪くなった部分を修理するため、確かバランス釜をそっくり取り換えていた記憶がある。
それも、少なくとも二十年近く前の話だ。
「なら、修理用の部品のストックも廃棄時期だろ。専門業者でもすぐに修理できない可能性が高いな~」
「急いで直すようにしますから。とりあえず、今日は蒸しタオルで我慢してください」
代替案を出すも、篠崎は嘆くように天を仰ぐ。綺麗好きの人間には、風呂がしばらく使えない状況など、それはもう耐えがたいことだろう。
蒼太の中に、我慢をさせて申し訳ないという気持ちが先にたつ。
そもそも残業が多い蒼太たちにとっては、今すぐ修理業者を呼ぶことも難しい。どちらかが有給でもとって時間を作らざるを得ない。
呼んですぐに直らないようなら、交換する釜を選んだり取り寄せたり、交換部分を設置するのには、そこからさらに施工期間が――
「もし取り換えになったら手間ですね……まあ、この風呂も追い炊きができるのは便利でしたけど、浴槽は古くて狭いし、そもそも足も延ばせないようなサイズですし……」
「ははっ、栗原は身体がデカいしな、俺でも狭いんだからお前じゃもっとだろ」
想像したのか、篠崎が蒼太の背中を小突いて、からかうように笑った。
そうだ、浴室も狭いが浴槽はさらに狭い。蒼太は190センチ越えの身体を折りたたむようにして風呂に浸かることになる。
思えば、この狭苦しい家で、蒼太は昔から不便なことを我慢してばかりだ。
そう、したいことのなにもかもを。
「――ですね。風呂が狭いせいで……公一さんと一緒に、入ったりもできないですし」
本音が漏れる。
「あ」と失言に蒼太が振り返れば、篠崎が意外な程に顔を真っ赤に染めていた。
「お、まえなあっ……デカい図体してそんなの、どんだけおっきな風呂がいると思ってんだよ!」
……いやそこ、拒否はしないのか。
わたわたと慌てたように取り繕う先輩の姿に、蒼太は思わず笑ってしまう。
大きな浴室さえあれば、蒼太と一緒に風呂に入るのはどうやらOKということらしい。
そうか、嫌じゃないのか。そうか。
自分に都合よく受け取り、なんども反芻して、ジワリと「悪くない」という気持ちが浮かんだ。
大きな風呂、いいな。うん……すごくいい。
足が全部伸ばせなくても、ふたり向かい合って入れる浴槽が欲しい。常にない物欲までもが湧く。
何かと倹約ばかりしてきた日々が続き、高価な何かを欲しいと思うことも蒼太はほとんどない。だがうっかり思い浮かべてみれば、それは確かに悪くない考えだった。
「栗原……いっそ、リフォームするか?」
「え?」
まるで自分の心を都合よく代弁するかのような声が落ちた。蒼太が思わず篠崎の顔を見る。
「この湯沸かし器の型式なら、どうせ丸ごと交換だろ? もしかしたら浴槽込みで……ってなるようなら、工事費含めて結構な値段になるし」
だからついでに、と篠崎がニカリと笑った。
「キッチンもまとめて電化にするのもアリだな。お前の身長じゃ今のシンクの高さは低すぎてつらいだろ?」
どうせやるならまとめて洗面とか水回りも――と、合理的な先輩が後輩を置き去りに次々に提案をあげていく。
これには、蒼太が慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってください先輩っ」
「なんだ、リフォームはマズいか?」
「いや、マズくはないんですがっ。てか、それ以前に――」
先輩は、ここに住んでくれるんですか。
ずっと? もしかして、この先――
考えたこともなかった「先の可能性」が頭に浮かび、蒼太は思わず言葉に詰まった。
蒼太はもともと篠崎に告白する気はなかったのだ。ましてや想いが通じて、こうして好きな人と日々を過ごせるようになるなど想像もしたこともなかった。
「あ、もしかして金の心配か? 大丈夫、これでも結構稼いでたんだ、いくらでもとは言わないけどな、リフォーム代くらいなら出すぞ?」
この人は、そんな言葉をあっけらかんと口にする。
なし崩しに同棲のようになっているが、ふたりの間には蒼太から好きだと言い、篠崎がそれに応えてくれた、それ以外に確かな約束など何もない。
「お金の問題とかでも、なくて……えっと」
目元が痙攣する気がした。急激に喉が渇く。
「どうして、そこまで……」
なんとかひねり出した蒼太の声は、少し震えていた。
「は? そんなの、これからも一緒に住むから、だろ?」
篠崎がきょとんとした顔をする。
そして、これからも自分と一緒に「ここに」住む。そうあっさり言いきった。
そのことに、蒼太は想像以上に大きな衝撃を受けていた。
「……なんだよ? まさか、そんなつもりはないってのか?」
篠崎の声は一気にトーンが下がり、急に機嫌の悪いものになった。
だが点火スイッチを何度か操作し、着火用の電池を交換もしてみても、うんともすんともいわない。
「……ダメですね。不完全燃焼になるのも怖いですし、業者を呼んだ方が早いですよ」
素人が下手に弄って、火事になっても困る。蒼太は早々に修理を諦めた。
本格的に風呂に入れないことが判明し、蒼太の恋人はガクリと首を落してうなだれる。
「マジかよ……。てか、すぐに修理に来てもらったとして、これすぐに直るか? 見るからに結構な年季入ってるけど……」
「んー、僕が子供の時に、一度修理に来てもらった記憶がありますけど……」
蒼太がこの家に来たばかりの頃、やはり調子が悪くなった部分を修理するため、確かバランス釜をそっくり取り換えていた記憶がある。
それも、少なくとも二十年近く前の話だ。
「なら、修理用の部品のストックも廃棄時期だろ。専門業者でもすぐに修理できない可能性が高いな~」
「急いで直すようにしますから。とりあえず、今日は蒸しタオルで我慢してください」
代替案を出すも、篠崎は嘆くように天を仰ぐ。綺麗好きの人間には、風呂がしばらく使えない状況など、それはもう耐えがたいことだろう。
蒼太の中に、我慢をさせて申し訳ないという気持ちが先にたつ。
そもそも残業が多い蒼太たちにとっては、今すぐ修理業者を呼ぶことも難しい。どちらかが有給でもとって時間を作らざるを得ない。
呼んですぐに直らないようなら、交換する釜を選んだり取り寄せたり、交換部分を設置するのには、そこからさらに施工期間が――
「もし取り換えになったら手間ですね……まあ、この風呂も追い炊きができるのは便利でしたけど、浴槽は古くて狭いし、そもそも足も延ばせないようなサイズですし……」
「ははっ、栗原は身体がデカいしな、俺でも狭いんだからお前じゃもっとだろ」
想像したのか、篠崎が蒼太の背中を小突いて、からかうように笑った。
そうだ、浴室も狭いが浴槽はさらに狭い。蒼太は190センチ越えの身体を折りたたむようにして風呂に浸かることになる。
思えば、この狭苦しい家で、蒼太は昔から不便なことを我慢してばかりだ。
そう、したいことのなにもかもを。
「――ですね。風呂が狭いせいで……公一さんと一緒に、入ったりもできないですし」
本音が漏れる。
「あ」と失言に蒼太が振り返れば、篠崎が意外な程に顔を真っ赤に染めていた。
「お、まえなあっ……デカい図体してそんなの、どんだけおっきな風呂がいると思ってんだよ!」
……いやそこ、拒否はしないのか。
わたわたと慌てたように取り繕う先輩の姿に、蒼太は思わず笑ってしまう。
大きな浴室さえあれば、蒼太と一緒に風呂に入るのはどうやらOKということらしい。
そうか、嫌じゃないのか。そうか。
自分に都合よく受け取り、なんども反芻して、ジワリと「悪くない」という気持ちが浮かんだ。
大きな風呂、いいな。うん……すごくいい。
足が全部伸ばせなくても、ふたり向かい合って入れる浴槽が欲しい。常にない物欲までもが湧く。
何かと倹約ばかりしてきた日々が続き、高価な何かを欲しいと思うことも蒼太はほとんどない。だがうっかり思い浮かべてみれば、それは確かに悪くない考えだった。
「栗原……いっそ、リフォームするか?」
「え?」
まるで自分の心を都合よく代弁するかのような声が落ちた。蒼太が思わず篠崎の顔を見る。
「この湯沸かし器の型式なら、どうせ丸ごと交換だろ? もしかしたら浴槽込みで……ってなるようなら、工事費含めて結構な値段になるし」
だからついでに、と篠崎がニカリと笑った。
「キッチンもまとめて電化にするのもアリだな。お前の身長じゃ今のシンクの高さは低すぎてつらいだろ?」
どうせやるならまとめて洗面とか水回りも――と、合理的な先輩が後輩を置き去りに次々に提案をあげていく。
これには、蒼太が慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってください先輩っ」
「なんだ、リフォームはマズいか?」
「いや、マズくはないんですがっ。てか、それ以前に――」
先輩は、ここに住んでくれるんですか。
ずっと? もしかして、この先――
考えたこともなかった「先の可能性」が頭に浮かび、蒼太は思わず言葉に詰まった。
蒼太はもともと篠崎に告白する気はなかったのだ。ましてや想いが通じて、こうして好きな人と日々を過ごせるようになるなど想像もしたこともなかった。
「あ、もしかして金の心配か? 大丈夫、これでも結構稼いでたんだ、いくらでもとは言わないけどな、リフォーム代くらいなら出すぞ?」
この人は、そんな言葉をあっけらかんと口にする。
なし崩しに同棲のようになっているが、ふたりの間には蒼太から好きだと言い、篠崎がそれに応えてくれた、それ以外に確かな約束など何もない。
「お金の問題とかでも、なくて……えっと」
目元が痙攣する気がした。急激に喉が渇く。
「どうして、そこまで……」
なんとかひねり出した蒼太の声は、少し震えていた。
「は? そんなの、これからも一緒に住むから、だろ?」
篠崎がきょとんとした顔をする。
そして、これからも自分と一緒に「ここに」住む。そうあっさり言いきった。
そのことに、蒼太は想像以上に大きな衝撃を受けていた。
「……なんだよ? まさか、そんなつもりはないってのか?」
篠崎の声は一気にトーンが下がり、急に機嫌の悪いものになった。
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