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1.溺れ、渇望する。それでも足りないと※

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 微かにテレビ番組の笑い声が聞こえてくる。それは、軒を連ねた隣家の一階から時々漏れてくる音。蒼太にとっては、もはや慣れ親しんだ生活音の一部だ。

 だが今、蒼太の下で身体を暴かれている人は、それを気にしないではいられないのだろう。
 パタン、という扉を閉じる音や誰かが水を流す音、そんなものにいちいち身体を震わせ、うつぶせのまま枕に顔を埋めては息を殺している。

 古い住宅街、ぎゅうぎゅうに立ち並ぶ古い家はどこもかしこも壁が薄い。
 漏れ聞こえてくる微かな生活音に、他人の気配を濃密に感じるのはお互いさまだ。よく言えば古き良き下町。雑多な音は、そんな下町の煩わしさを象徴している。

「っ……!」

 ガラガラ、と戸を閉める音とともに、誰かの「帰ったぞー」という間延びした声が消える。
 向かいの家のおじいさんがどこかから戻ってきたらしい。
 蒼太が気を散らしていたその時、先端を食いしめていたいやらしい穴が、不意にヒクリと締め付けを強くした。

 この人は自分で気が付いているのだろうか。さっきから、外の音が聞こえてくるたびに、とろとろにほぐした穴がびくびくと何度もヒクついていることを。
 不意の刺激に、こみあげてくる射精感を腰を大きく引いてやり過ごす。詰めていた息を吐いて、蒼太は一気にそれを最奥まで押し込んだ。

「ひっ……うンっ! んっ、っ……!!」

 腰だけを高く掲げた格好で、串刺しにされた綺麗な身体がベッドの上で猫のようにまるくなった。見下ろせば、枕を抱きしめるようにして蒼太の恋人が、限界まで怒張した己のモノを、その根元まで受け止めて震えていた。
 その視界からの刺激に、背筋を一気に何かが這い上がる。埋めた肉茎が、ドクンと跳ねて硬さをさらに増した。

(あー……ヤバい。今、持っていかれそうになった――)

 見れば、受け止めている側も、殺しきれなかった快感に内壁をきゅうきゅうと収縮させている。それだけでなく、丸めた背中が不意打ちの衝動にビクンビクンと痙攣を繰り返していた。
 あ、これは――背中を覆うように上体を倒し、耳元に口を寄せて囁いた。

「公一さん。センパイ……篠崎、先輩。もしかして今……先に、イっちゃいました?」

 明らかに射精の余韻と衝動を必死にやり過ごしている相手に、わざと聞く。
 蒼太の先輩は、顔も挙げないまま顔をふるふると横に振った。
 この人は、肩も耳も、うなじも真っ赤にして、ごまかせるとでも思っているのだろうか。
 その意地っ張りな態度に低く笑って、蒼太は後ろから腰を押し付けて、下腹部のソコに手を伸ばした。
 ビクリと跳ねる身体を抑え込んで、篠崎の雄芯を撫でれば、射精で汚れないようにとスキンをかぶせたソコはビクビクと未だ吐精を続けていた。

「~~~~っ!!」

 過ぎた刺激に、枕を抱える手に力が籠るのが見える。
 挿入前にもたっぷりいじり倒した。ちょっと、いじめすぎたかもしれない。それにしたって、イってないなんて嘘までついて、そんな意地を張ることもないのに。

 せっかくのあえぎが、枕に吸われてしまったことにも淡い不満が浮かぶ。
 好きな人のイクときの声を、聞きたくない男がいるだろうか。
 聞かせてほしい、もっと啼かせたい。自分の手でいくらでも啼いてほしい、もっと。
 枕に顔をうずめたまま、ふうふうと荒い息を吐く年上の恋人に、そんなわがままな恨み言まで浮かんでしまう。

 そう、これはわがままだ。
 家が狭いせいで、声を殺すような苦しい想いをさせているのに、それでも声が聞きたい。啼かせたい。枕じゃなくて、自分に縋り付いてほしい。篠崎という男の性格上、それがなかなかできないことを分かっていて、蒼太はしつこくあちこち嬲るのを止められないでいる。

 そんな自分勝手な不満をぶつけるように、蒼太は荒々しく動き始めた。
 尻たぶの形がかわるほど強く腰を押し付け、篠崎の奥を広げるように中を強く捏ねまわす。

「いっ……バ、バカっ。まだ、動く、なっ。イったばっか、だからぁ……ん、んんぅっ!」

 篠崎が慌てたように振り向き、背中ごしに蒼太を睨む。
 だが、その睨む目も潤んでいた。目元も、頬も、唇まですっかり赤く染まっていて、いつもの眼鏡ごしに見せる怜悧な印象はまったく残っていない。
 そんな顔で止めたって、むしろ煽るだけなのに。

「っ……くり、はらぁっ! ぁ、あぁっ……――」

 蒼太は、コンドームの中で未だ拍動する篠崎のソレに手を添え、精液だまりにたまった白濁ごと先端を掌に握り込んだ。
 手が汚れないのをいいことに、ゴム内部のぬめりを借りてぐちゅぐちゅと竿をしごき上げる。

「ふっ、うぅっ……!! ~~~~っ!!」

 射精したばかりの敏感な部分を擦り、同時に胎内を深くえぐる。
 弱いところを同時に責めたてられ、蒼太の愛しい人は声もなく悶えた。

「っ……! んっ、んっ……んぅっ!!」

 パン、パンッ、と破裂音がするほど激しく中を貫く。痙攣しても執拗に繰り返す、何度も。何度も。
 枕を抱える手に、震えるほどの力がこもっても、酸欠に身体中を薄い桃色に染めても、蒼太がようやく射精を迎えるその時まで、篠崎公一は頑なに喘ぎ声を外に漏らそうとしなかった。



「……お前、ヤリすぎ」

 はぁ~、という深いため息とともに、ベッドに腰掛けた篠崎から呆れたような視線を向けられる。畳に正座した蒼太は、それを真摯に受け止めて、「ゴメンナサイ」と素直に頭を下げて謝った。
 たしかに……ちょっと、調子に乗りすぎた。

「まあ、いいけど……あーあ、枕がよだれまみれ。カバーの替えあったかな……」

 蒼太の先輩は、どうやら声を殺すのに枕を嚙みしめていたらしい。腰を振るのに夢中になって、そんなに我慢をさせていたことにもまるで気が付かなかった。
 暴走した罪悪感がさらにいたたまれなさを増す。

「古い家だから、音が外まで漏れますもんね……いっぱい我慢させて、なんかすみません……」
「いや、そこ謝られてもな……」

 苦笑を浮かべる公一は、年上らしく蒼太の頭をポンポンと撫でた。蒼太の陰茎で胎を突かれ、いやらしく身もだえていた余韻など、もはや微塵も残っていない。

 「とりあえず、風呂入ってくるわ」と、篠崎は素っ裸のまま立ち上がり、さっさと階段を下りていった。その際、いろいろなもので汚れないように、とベッドに敷いていたバスタオルを手早く剥ぎ取っていくことも忘れない。

 シーツみたいな大物は洗うのも干すのも大変だから、という理由で、セックスの前にそんな準備するようになった。
 ムードがどうの、という以前にふたりの間では暗黙のルールのように、まずは合理性が優先される。仕事でも効率を最優先する篠崎が、家事も担うようになった結果だ。蒼太としても、そこに不満はない。

 不満などない、そのはずだった。
 低い鴨居をヒョイとくぐって軽快に階段を下りていく篠崎を見送りながら、蒼太は少しだけ寂しさを覚えていた。

(仕方ないよな、公一さんはもともと器用だし、プライドも高いし――)

 あの一見クールな人が、生活能力が皆無でポンコツだったなど、もはや誰も信じないだろう。
 蒼太に頼らなくても、日常生活で篠崎にできないことなど、おそらくもう何もない。たぶん。
 だが、それがなぜか無性に寂しい。

 ここ二か月の生活を想う。
 あの篠崎先輩と同居している、しかもセックスまでする恋人同士として。
 蒼太にとっては、そんな現実に今でも夢を見ているようだと思う。
 彼をここに連れてきた経緯からして、まるで冗談か何かのようだった。

 二か月前の篠崎は、まさしく何もできないポンコツだった。
 そもそも泥酔していたし、目覚めてみれば記憶は飛んでいた。そして、仕事を離れれば、掃除も洗濯もろくにできないようなダメ人間だった。
 合理的でドライで、仕事が誰よりもできる憧れの人は、どこに行った。

 だが、生まれたてのひよこのように蒼太の後をくっついていた時期は瞬く間に終わり、新人指導の担当だったあの日のように、頼もしい先輩の姿はあっという間に戻ってきてしまった。

 使用済みのスキンをティッシュで包み、ゴミ箱に捨てる。
 ゴミ箱の底には、恋人の精を受け止めたものが捨てられていた。
 必要以上に身体が汚れるのを篠崎は嫌う。自分とのセックスの最中に手早く避妊具を装着する手際の良さが、その冷静さが蒼太はなんとなく面白くない。

 受け入れられるわけがないと最初から諦めていた想いを、思いのほか難なく受け入れられたせいで、自分はすっかり欲深くなってしまった。

 二か月前に垣間見た思わぬだらしのない姿も、抱きたいと言った蒼太に「なら口説け」と柔らかな笑いを浮かべ応えてくれた姿も、会社では見たことのない顔だった。

 もっと他の顔が見たい。
 自分に夢中になってほしい。ドロドロに煮えるように、溺れるように。自分が与える快感に飲み込まれてほしい。思う存分喘いでほしい、喘がせたい。
 その澄ました顔を崩したい、枕で頑なに隠していた顔を、見たい。

 欲求はどんどん膨らんでいく。際限なく。
 前みたいに甘えてもらいたいという気持ちもある。すぐになんでもできるようになってしまう篠崎に、また寄りかかってほしいという薄暗い気持ちが消えない。
 自分がいないとダメになってしまうくらいに溺れてくれないだろうか。でないと、自分の気持ちだけが重すぎて、とてもこの先つりあうとは思えない。

「はは。ダメになってほしいなんて、ほんと気持ち悪いよな……」

 ベッドに腰かけ身体を後ろに投げ出す。思わず苦笑いが込み上げる。
 蒼太にとって、篠崎は眩しすぎた。
 惚れた欲目か、憧れて、渇望していた人と、こんな関係になってしまったから今度は別の欲が生まれた――

「うわあああっ!?」

 階下で上がった悲鳴に、飛び起きた。

「先輩……?」

 慌てたような足音が階段を駆け上がり、蒼太のところへ飛び込んでくる。

「寒っ! 冷たいっ! なんでだよ、風呂が沸いてないっ!」

 裸にタオルを巻いただけの格好で鳥肌をたてて、いつもクールでドライなはずの男が涙目で蒼太にそう訴えた。
 築年数40年以上のこの家でも、なかなかの骨董品だった風呂のボイラー。
 それが、よりにもよってこんなタイミングで、ついにダメになったらしい。

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