13 / 17
エピローグ
しおりを挟む
エピローグの前に、11話を同時投稿しています。
※※※※※※※※
結局、公一の両親の間では、後日正式な離婚が成立した。
何度か当人同士が直接会って話し合いをする場が設けられ、調停役まで置くかという話になっていた。そのため、これは長引く揉め事になるかもしれないと公一も、公一の妹も予測していた。
しかしその予測を完全に裏切り、数回の面談で父親はあっさりと母親からの離婚要求に応じた。
家を飛び出して栗原の家になし崩しに転がり込んでから、公一はたまに父のいる自宅に帰り部屋の片付けやたまった洗濯物の洗濯、炊事の手伝いをしていた。
現金なものだと公一自身も思うが、一緒に住んでいるときはあれほど嫌だったのに、一旦離れて距離を置いてみれば今まで家族のために身を粉にして働いてくれていた父親のありがたみも、注いでもらった愛情の深さも素直に身に染みたのだ。
傲慢な父だったかもしれない。でも公一たちが大きな苦労を知らずにここまで生活してこれたのは、間違いなく父がそれを支えてくれたお陰だった。
一度それに気が付けば、生活能力のない父親の手助けをしたいという気持ちが公一の中に自然に湧いてきた。
そんな心の変化をきっかけにして、擦り減るほどに互いにギスギスしていた親子の関係も、ゆっくりとだが穏やかに変わっていった。
そして、離婚をきっかけに父親の方も大きく変わった。
本格的にひとりで暮らして行かなくてはならなくなって、必要に迫られたせいもあるだろう。なにもしなかった父親も少しづつ家事らしいことをするようになった。
家族に必要だったのは、距離と時間だったのかもしれない。
公一にそれが必要だったように、父にも母にもリセットするためのそれが、どこかで必要だった。
同じ家で暮らしているという、そのことだけが家族の関係を形作るわけじゃない。近すぎれば、当たり前すぎて気づかないことも、大事にしなければならないことも、人はうっかり忘れてしまうこともある。
公一の両親は離婚したが、最近では離婚前よりも頻繁にふたりで一緒に出かけているようだ。
エンジニア上がりで元々凝り性の父親は、独り暮らしの必要性から料理を始めて、どうやら今ではそれが必要性の域を越えてしまったらしい。
近所の料理教室に通い、変わった料理があると聞けば遠出してまで食べ歩くのが趣味になったそうだ。元々母も料理好きな人だった。ふたりで出かけては、出先でああでもないこうでもないと料理のレシピを研究するのも今は楽しいという。
照れくさそうにそれをぽつぽつと話す父と、出先からはしゃいだ写真を何枚も公一の携帯に送ってくる母。
昔、忙しさに流されてできなかったことを今になってやっと取り戻そうとするように、ふたりが楽しげに寄り添っているのを見るのは、むしろホッとした。
婚姻届けの紙切れ一つが家族を定義するわけじゃない。公一は、両親を見ながらそう考えるようになった。
「公一さん、今日のお弁当なんですか?」
「豚の生姜焼きと、切り干し大根、ニラの卵焼きと枝豆のごはん。ここのところ、昼も夜も魚続きだったからな。お前若いんだからもっと肉食え、肉」
古くて狭い台所で二つのランチボックスを包みながら、公一はスーツの背中に懐いてくる暑苦しい大きな後輩をいなした。
「仕事から帰るのは何時になりそうです?」
離せと言ってもなかなか離れない後輩は、後ろから公一の耳の裏と首筋に鼻先をうずめてスンスンと匂いを嗅いできた。前から思ってはいたが、本当に犬のようだ。
「今日は午前様になるな。待ってないで先に寝てろよ」
背中の大型犬を引きずったまま、公一はブリッジを押してズレた眼鏡の位置を直し、ビジネスバッグに自分用の弁当を収めた。
栗原は完全なふくれっ面になって、不満をあらわにしていた。
「公一さん、昨日もその前も残業だったでしょう。ちょっと仕事しすぎじゃないですか?」
その声には、あからさまにいい加減にしてくださいよ、という空気がにじんでいる。公一は思わず噴き出した。
「悪いな、ほったらかしで。来週は約束通り絶対に休みをとるから、一緒にいちゃいちゃしよう」
自分より高い位置にある頭を撫でて、その頬にキスを贈った。
再び社畜になるつもりもないが、やはり仕事は好きだ。
ヘッドハンティングされて先に会社を去った先輩が、公一の退職を耳にするが否や、すぐに連絡をくれた。それは、元の会社に戻る気がないなら自分の今いる会社に来ないかという内容だった。
担当だった取引先の社長や、以前プロジェクトで世話になった建材メーカーの取締役からもウチに来いという同じような転職の誘いがきた。
仕事は仕事として、自分のこれまでにやってきたことは間違ってはいなかったのだろう。公一は今まで築いてきた人間関係の中で、自分の居場所をその能力と仕事ぶりで、きちんと作ることができていた。
一時は全てに見放された気持ちにすらなっていた。しかし今にして思えば、むしろあのままの自分で居た方が、その先でもっと大きな痛い目に遭っていた気もする。
自分が一番どうしようもなかった時に一番最初に寄り添って、自分を救い上げてくれたのは今背中でぐずぐずと駄々をこねている犬みたいな年下の男だった。
「ごめんな、栗原。やっぱり俺は仕事が好きでたまらないみたいだ」
以前と違うのは仕事一色だった公一の日常に、これまでは顧みることすらなかった新たなルーチンが加わったことだ。
朝、早起きしてふたり分の弁当を作る。作るのは先に起きた方。余裕がある方。作りたい気分の方。どちらも作れなければ外で食べればいい。堅苦しく決めない細々とした家事の役割は、今のところふたりの間でそれなりに上手く回っている。
栗原の方が土鍋でご飯を炊くのが上手い。揚げ物は公一の方がサクサクに仕上げることができる。
ふたりともに互いの顔も見られないほど仕事が忙しいときは、先に帰った方の布団に潜り込んで抱き合って寝た。
「……公一さんが仕事好きなんて、とうに知ってますよ。仕事してる公一さんがかっこよすぎて、僕はあなたを好きになったんですから」
栗原は、頑固そうな太い眉の眉尻を八の字にして笑った。
行ってきますのキスは、味見で食べた卵焼きの味がした。
おわり
※※※※※※※※
一旦完結です。
11月中に栗原サイドからの続きのお話を書ければいいなーと思ってます。
お気に入りにしていただけると、大変うれしいです。
※※※※※※※※
結局、公一の両親の間では、後日正式な離婚が成立した。
何度か当人同士が直接会って話し合いをする場が設けられ、調停役まで置くかという話になっていた。そのため、これは長引く揉め事になるかもしれないと公一も、公一の妹も予測していた。
しかしその予測を完全に裏切り、数回の面談で父親はあっさりと母親からの離婚要求に応じた。
家を飛び出して栗原の家になし崩しに転がり込んでから、公一はたまに父のいる自宅に帰り部屋の片付けやたまった洗濯物の洗濯、炊事の手伝いをしていた。
現金なものだと公一自身も思うが、一緒に住んでいるときはあれほど嫌だったのに、一旦離れて距離を置いてみれば今まで家族のために身を粉にして働いてくれていた父親のありがたみも、注いでもらった愛情の深さも素直に身に染みたのだ。
傲慢な父だったかもしれない。でも公一たちが大きな苦労を知らずにここまで生活してこれたのは、間違いなく父がそれを支えてくれたお陰だった。
一度それに気が付けば、生活能力のない父親の手助けをしたいという気持ちが公一の中に自然に湧いてきた。
そんな心の変化をきっかけにして、擦り減るほどに互いにギスギスしていた親子の関係も、ゆっくりとだが穏やかに変わっていった。
そして、離婚をきっかけに父親の方も大きく変わった。
本格的にひとりで暮らして行かなくてはならなくなって、必要に迫られたせいもあるだろう。なにもしなかった父親も少しづつ家事らしいことをするようになった。
家族に必要だったのは、距離と時間だったのかもしれない。
公一にそれが必要だったように、父にも母にもリセットするためのそれが、どこかで必要だった。
同じ家で暮らしているという、そのことだけが家族の関係を形作るわけじゃない。近すぎれば、当たり前すぎて気づかないことも、大事にしなければならないことも、人はうっかり忘れてしまうこともある。
公一の両親は離婚したが、最近では離婚前よりも頻繁にふたりで一緒に出かけているようだ。
エンジニア上がりで元々凝り性の父親は、独り暮らしの必要性から料理を始めて、どうやら今ではそれが必要性の域を越えてしまったらしい。
近所の料理教室に通い、変わった料理があると聞けば遠出してまで食べ歩くのが趣味になったそうだ。元々母も料理好きな人だった。ふたりで出かけては、出先でああでもないこうでもないと料理のレシピを研究するのも今は楽しいという。
照れくさそうにそれをぽつぽつと話す父と、出先からはしゃいだ写真を何枚も公一の携帯に送ってくる母。
昔、忙しさに流されてできなかったことを今になってやっと取り戻そうとするように、ふたりが楽しげに寄り添っているのを見るのは、むしろホッとした。
婚姻届けの紙切れ一つが家族を定義するわけじゃない。公一は、両親を見ながらそう考えるようになった。
「公一さん、今日のお弁当なんですか?」
「豚の生姜焼きと、切り干し大根、ニラの卵焼きと枝豆のごはん。ここのところ、昼も夜も魚続きだったからな。お前若いんだからもっと肉食え、肉」
古くて狭い台所で二つのランチボックスを包みながら、公一はスーツの背中に懐いてくる暑苦しい大きな後輩をいなした。
「仕事から帰るのは何時になりそうです?」
離せと言ってもなかなか離れない後輩は、後ろから公一の耳の裏と首筋に鼻先をうずめてスンスンと匂いを嗅いできた。前から思ってはいたが、本当に犬のようだ。
「今日は午前様になるな。待ってないで先に寝てろよ」
背中の大型犬を引きずったまま、公一はブリッジを押してズレた眼鏡の位置を直し、ビジネスバッグに自分用の弁当を収めた。
栗原は完全なふくれっ面になって、不満をあらわにしていた。
「公一さん、昨日もその前も残業だったでしょう。ちょっと仕事しすぎじゃないですか?」
その声には、あからさまにいい加減にしてくださいよ、という空気がにじんでいる。公一は思わず噴き出した。
「悪いな、ほったらかしで。来週は約束通り絶対に休みをとるから、一緒にいちゃいちゃしよう」
自分より高い位置にある頭を撫でて、その頬にキスを贈った。
再び社畜になるつもりもないが、やはり仕事は好きだ。
ヘッドハンティングされて先に会社を去った先輩が、公一の退職を耳にするが否や、すぐに連絡をくれた。それは、元の会社に戻る気がないなら自分の今いる会社に来ないかという内容だった。
担当だった取引先の社長や、以前プロジェクトで世話になった建材メーカーの取締役からもウチに来いという同じような転職の誘いがきた。
仕事は仕事として、自分のこれまでにやってきたことは間違ってはいなかったのだろう。公一は今まで築いてきた人間関係の中で、自分の居場所をその能力と仕事ぶりで、きちんと作ることができていた。
一時は全てに見放された気持ちにすらなっていた。しかし今にして思えば、むしろあのままの自分で居た方が、その先でもっと大きな痛い目に遭っていた気もする。
自分が一番どうしようもなかった時に一番最初に寄り添って、自分を救い上げてくれたのは今背中でぐずぐずと駄々をこねている犬みたいな年下の男だった。
「ごめんな、栗原。やっぱり俺は仕事が好きでたまらないみたいだ」
以前と違うのは仕事一色だった公一の日常に、これまでは顧みることすらなかった新たなルーチンが加わったことだ。
朝、早起きしてふたり分の弁当を作る。作るのは先に起きた方。余裕がある方。作りたい気分の方。どちらも作れなければ外で食べればいい。堅苦しく決めない細々とした家事の役割は、今のところふたりの間でそれなりに上手く回っている。
栗原の方が土鍋でご飯を炊くのが上手い。揚げ物は公一の方がサクサクに仕上げることができる。
ふたりともに互いの顔も見られないほど仕事が忙しいときは、先に帰った方の布団に潜り込んで抱き合って寝た。
「……公一さんが仕事好きなんて、とうに知ってますよ。仕事してる公一さんがかっこよすぎて、僕はあなたを好きになったんですから」
栗原は、頑固そうな太い眉の眉尻を八の字にして笑った。
行ってきますのキスは、味見で食べた卵焼きの味がした。
おわり
※※※※※※※※
一旦完結です。
11月中に栗原サイドからの続きのお話を書ければいいなーと思ってます。
お気に入りにしていただけると、大変うれしいです。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
年上の恋人は優しい上司
木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。
仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。
基本は受け視点(一人称)です。
一日一花BL企画 参加作品も含まれています。
表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!!
完結済みにいたしました。
6月13日、同人誌を発売しました。
初夜の翌朝失踪する受けの話
春野ひより
BL
家の事情で8歳年上の男と結婚することになった直巳。婚約者の恵はカッコいいうえに優しくて直巳は彼に恋をしている。けれど彼には別に好きな人がいて…?
タイトル通り初夜の翌朝攻めの前から姿を消して、案の定攻めに連れ戻される話。
歳上穏やか執着攻め×頑固な健気受け
【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集
あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。
こちらの短編集は
絶対支配な攻めが、
快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす
1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。
不定期更新ですが、
1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる