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4.いつまででも、居ていいですよ
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――公一が、新人の頃だ。
上司に、女性総合職として初めて採用され、目覚ましい昇進を果たしていたバリバリのキャリアウーマンがいた。
総合建設業という業種もあり、取引先だけでなく企画も営業も男だらけの会社だ。そんな中にあって、彼女は結婚もしないで男も顔負けの仕事量をこなしていた。
当然、女の総合職というだけでいらない軋轢も生まれやすい。上司は、それに負けることもめげることもなく、いつも朗らかな人だった。
それは元々の人柄もある。だが、仕事だけでなく周りへの気遣いも細やかに、彼女が同じ肩書の男性の何倍も努力していたのを公一は知っている。それだけじゃない、部署のみんなが知っていた。
彼女が同じ課に配属された部下のさらにその部下にも気を遣うような、誰もが尊敬できる上司だったからだ。
「篠崎はもっと笑いなさい。周りとギスギスしたっていいことなんにもないでしょ。営業成績は思う存分競えばいいけど、社内に敵は作るもんじゃないわ。ほら笑え! スマイル0円!」
背中をバシンと叩いて、思わずむせるほど景気のいい発破をかけてくる。そんな豪快な上司が、公一は好きだった。
その上司がある日、親の介護を理由に退職届を出した。
シングルの彼女には、自分で介護をする以外に他に頼れる当てがない。それが退職理由だった。
女性とはいえ、家庭の事情でいなくなるには惜しい優秀な人材だ。営業部長は当然ひきとめた。そのために当時社内ではまだ誰も取得実績のない介護休暇の取得を勧め、業務の楽な課への転属を促したのだ。
何より、篠崎の上司は周りから好かれていた。なんとか退職をしなくてもやっていけないかと、部のみんなが彼女の会社への残留を願う程度には。
栗原が退職の相談をしてきたとき、公一は彼女を思い出した。
彼女がいる部署なら、きっと栗原をなんとかしてもらえると思った。
そうして、出世コースからは外れながらも、栗原は会社に残ることができた。
片や自分はどうだ。ふたりとは事情が違う、そう思いながらも公一は気持ちが沈んでいくのをどうにもできなかった。ひどい泥沼にいたものだ、と仕事から離れて初めて公一は冷静に自分を分析できた。
自分は不器用だったのだろう。運もなかった。今思えば、溜息しか出ない。
公一は、学閥の力がモノを言う社内で、専務と常務の派閥争いの煽りを食った。
同窓ということで、常務派の上役にかわいがられていたのは確かだ。昇進が早かったのも常務の力が強かったせいもある。
だから、常務が取締役会で失脚した、と聞いたとき、この先仕事がやり辛くなるだろうということ位は、公一も予測できた。
しかし同じ学閥とはいえ、公一自身はたかが課長補佐だ。下の人間には上部のいがみ合いなんてあんまり関係ないよ、と周りに言われていたせいもあり、当初はそこまで深刻には捉えていなかった。だが、その見通しは甘かった。
それを感じたのは、大学でサークルも一緒だった二つ上の先輩が、別の会社に引き抜かれた、と聞いたときだ。
気づけば、自分より立場が上の常務派の人間は会社から次々といなくなっていた。居づらいのもあるが、このままこの会社に居ても先がない、という彼らなりの意識もあったのかもしれない。
結局、自分はそうした社内の出世争いの中で、身の振り方を間違えた。
ネチネチと嫌がらせをしてくる課長は、ここ数か月ミスの多い公一の仕事に、ひたすら難癖をつけてきた。
仕事では負けない自信があった。だが、気づけば部内では孤立していたし、専務に気を遣う上司からの風当たりはどんどん強くなっていた。
こなしきれない量の雑務と、土地の確保が見込めず頓挫しかけている企画の折衝を押し付けられ、公一はみるみる疲弊した。先行投資の回収も全く見込めないその企画は、公一が担当した時点で、あらかじめ赤字を出して失敗することが明らかなものだった。
「あ、そこ座ってください」
促されるまま、使い込んだ座布団の上に胡坐をかく。
キッチンの狭い古い住宅に、リビングやダイニングなんてものはない。
畳敷きの居間の座卓には、炊き立ての白いご飯と豆腐とネギの味噌汁、カマスの焼き魚に酢の物、漬物。目に鮮やかどころか、どちらかといえば簡素な食事が並ぶ。
栗原と並んで「いただきます」と手を合わせると、公一は湯気がほかほかと立つご飯をもそもそと頬張った。
二日酔いと、ぶつりと途切れた仕事の緊張感が、どろりと体にたまる疲れを思い出させ、今はとても食欲などわかないと思っていた。しかし、おかゆと水分しかとってない腹には、栗原の作る食事は十分にご馳走だったらしい。
「……美味いな」
思わず、素直な感想が口をついて出た。
「ありがとうございます」
栗原は、公一の一言に、驚いたような顔で笑った。
考えてみれば、ここ半年、公一にとって食事と言えばコンビニの弁当や菓子パンばかりだったのだ。目についた好きなものしか買わないので、野菜は常に不足しがちだった。きゅうりとわかめの酢の物なんて、食べたのは数年ぶりのような気がする。
疲れきっていようが、どん底までメンタルが落ち込んでいようが、生きていれば腹は減るし、腹が減れば何を食べても美味い。そんな些細な感動に、公一は無性に笑いたくなった。
自分は無力で、なにもかもがままならない状況でも、こんなことでなんとなく今日はいい一日だったような気持ちになれる。ああ、自分はなんて単純な人間だろう。
炊きたてのご飯を噛みしめた。
「なんか、変な感じですね。先輩とウチでごはん食べてるなんて。篠崎先輩、眼鏡かけてないからですかね? そんな風においしそうに食べてくれると、作る方は作り甲斐がありますよ」
顔を綻ばせて栗原が言う。
そんな風にいわれると、まるで自分が手料理に飢えて、ガツついていたようで、どうにも気恥ずかしい.
「……ここのとこ、誰かの作ってくれたメシとか食べてなかったからなー」
今、うちの家、両親が離婚の危機なんだ。努めて深刻に聞こえないように、公一は苦く笑って言った。
会社の話題や仕事の話は、互いに意識的に避けていた。そのせいで、上る話題が限られたせいもある。愚痴は思わずこぼれ出た。
会社の同僚はもちろん、誰にも言えなかった弱音。
それを思わず後輩にこぼしたのは、本当は公一の中で、どこかで家のストレスを少しだけ誰かに話したいという気持ちがあったせいだろう。
家に帰るのが憂鬱だった。父と顔を合わせたくなかった。家にいる父親が煩わしかった。
思わずそんなことまで言いかけて、公一は口をつぐんだ。
「悪い。……なんか、お前に言うことじゃなかったな」
栗原は家族を亡くしていたのだ。唯一の肉親を見送り、ひとりになったばかりの栗原に軽口でも言うべき愚痴ではなかった。ばつの悪さに思わず後輩の方を窺う。
「ああ、大丈夫です。僕も……こうして家で誰かと食べる夕食は、久しぶりだなーって思ってたところだったんで」
後輩に気遣われ、思わず赤面する。何をやっているんだ、自分は。子供のように自分のことしか考えていなかった己に気づかされ、公一は頭を抱えたくなった。
「そっか、最後におじいちゃんとここで食事をしたのは、もう一年も前か……」
いたたまれない公一の気持ちを慮ったのか、栗原がぽつりとつぶやく。そしてどこか懐かしそうな顔をして、ふたり分の皿が並んだ食卓を見た。
並んだ皿の形は全部がまちまちで、使い込んだ食器の中には、小さく欠けているものもいくつかある。一つひとつに、大事に使ってきた跡が見えた。
「あっ、家にいる間は、できるだけ一緒にご飯食べてたんですけど、最後はもうずっと病院だったんで。それからはひとりで食事をとるのが当たり前になってて――なんか今でもじいちゃんは病院にいるような気がしてくることがあるんですよね」
ははは、と笑って栗原は「どうぞ、もっと召し上がってください」と先を促してくる。
座卓にふたりして胡坐をかいて、再びもそもそと箸を動かし始める。
思い出したようにぽつぽつと交わす会話は、決して弾むというほどではなかったが、終始穏やかなやりとりだった。
食べ物の好みや、休日の過ごし方、当たり障りのない内容を注意深く選びながら――仕事のことだけでなく、互いに避ける話題が増えてしまったことに公一は苦笑するしかなかった。
それでも、誰かと囲む食卓は悪くない。時間に追われることがないせいか、公一は久しぶりに心から寛いだ気分で食事を楽しむことができた。
思えば、仕事、仕事と忙しかった公一は、一年どころかそれ以前から家族と食卓を囲む習慣がなくなっていた。
一緒に食事をとらなくなったのが一体いつからなのか、それすらも覚えていない。
どんなに遅くても、家に帰れば食事が用意されていて、それが当たり前だと思っていた。
そこまで思い出して、改めて気が付く。父親と二人の空間が気まずいのは、母がいなくなったからだけではない。
三人で暮らしながら、みんなで顔を合わせて食事をする時間すらこれまでほとんど作ってこなかったせいだ。
食後に淹れてくれたお茶を啜り、公一はほっと息を吐いた。
中身が半分になった湯呑を弄びながら、なんとなく言葉に詰まる。
ここまで世話になって、もはや先輩としての威厳もへったくれもない。自分らしくもない。どれだけ自分がいっぱいいっぱいになっていたとしても、後輩に弱りきった姿を見せたくなかった――本当に今更だが。
さあ、この状況を何といって言い繕うべきかと公一が考え始めていたとき、栗原が何か言いたげな目で自分をじっと見つめていることに気が付いた。
「……あの、篠崎先輩がよければ、ですけど」
「ん?」
「好きなだけここにいてもらっていいですから。僕は、祖父を亡くしたばっかりですし……むしろ先輩がいてくれると、寂しくなくて嬉しいです」
栗原は真剣な目で公一をまっすぐに見てくる。唐突な、しかも自分に都合のいい提案。今の心境としてはあまりに渡りに船というヤツで、公一はとっさにどう返事をすればいいのかわからなかった。
「ええと……それは、助かる、けど」
――言っとくが俺は、洗濯機の使い方も知らない男だぞ? 小首をかしげて公一は言った。
栗原はブハ、と吹き出して、教えてあげますから一から勉強してください、と涙がにじむほどに笑って答えた。
上司に、女性総合職として初めて採用され、目覚ましい昇進を果たしていたバリバリのキャリアウーマンがいた。
総合建設業という業種もあり、取引先だけでなく企画も営業も男だらけの会社だ。そんな中にあって、彼女は結婚もしないで男も顔負けの仕事量をこなしていた。
当然、女の総合職というだけでいらない軋轢も生まれやすい。上司は、それに負けることもめげることもなく、いつも朗らかな人だった。
それは元々の人柄もある。だが、仕事だけでなく周りへの気遣いも細やかに、彼女が同じ肩書の男性の何倍も努力していたのを公一は知っている。それだけじゃない、部署のみんなが知っていた。
彼女が同じ課に配属された部下のさらにその部下にも気を遣うような、誰もが尊敬できる上司だったからだ。
「篠崎はもっと笑いなさい。周りとギスギスしたっていいことなんにもないでしょ。営業成績は思う存分競えばいいけど、社内に敵は作るもんじゃないわ。ほら笑え! スマイル0円!」
背中をバシンと叩いて、思わずむせるほど景気のいい発破をかけてくる。そんな豪快な上司が、公一は好きだった。
その上司がある日、親の介護を理由に退職届を出した。
シングルの彼女には、自分で介護をする以外に他に頼れる当てがない。それが退職理由だった。
女性とはいえ、家庭の事情でいなくなるには惜しい優秀な人材だ。営業部長は当然ひきとめた。そのために当時社内ではまだ誰も取得実績のない介護休暇の取得を勧め、業務の楽な課への転属を促したのだ。
何より、篠崎の上司は周りから好かれていた。なんとか退職をしなくてもやっていけないかと、部のみんなが彼女の会社への残留を願う程度には。
栗原が退職の相談をしてきたとき、公一は彼女を思い出した。
彼女がいる部署なら、きっと栗原をなんとかしてもらえると思った。
そうして、出世コースからは外れながらも、栗原は会社に残ることができた。
片や自分はどうだ。ふたりとは事情が違う、そう思いながらも公一は気持ちが沈んでいくのをどうにもできなかった。ひどい泥沼にいたものだ、と仕事から離れて初めて公一は冷静に自分を分析できた。
自分は不器用だったのだろう。運もなかった。今思えば、溜息しか出ない。
公一は、学閥の力がモノを言う社内で、専務と常務の派閥争いの煽りを食った。
同窓ということで、常務派の上役にかわいがられていたのは確かだ。昇進が早かったのも常務の力が強かったせいもある。
だから、常務が取締役会で失脚した、と聞いたとき、この先仕事がやり辛くなるだろうということ位は、公一も予測できた。
しかし同じ学閥とはいえ、公一自身はたかが課長補佐だ。下の人間には上部のいがみ合いなんてあんまり関係ないよ、と周りに言われていたせいもあり、当初はそこまで深刻には捉えていなかった。だが、その見通しは甘かった。
それを感じたのは、大学でサークルも一緒だった二つ上の先輩が、別の会社に引き抜かれた、と聞いたときだ。
気づけば、自分より立場が上の常務派の人間は会社から次々といなくなっていた。居づらいのもあるが、このままこの会社に居ても先がない、という彼らなりの意識もあったのかもしれない。
結局、自分はそうした社内の出世争いの中で、身の振り方を間違えた。
ネチネチと嫌がらせをしてくる課長は、ここ数か月ミスの多い公一の仕事に、ひたすら難癖をつけてきた。
仕事では負けない自信があった。だが、気づけば部内では孤立していたし、専務に気を遣う上司からの風当たりはどんどん強くなっていた。
こなしきれない量の雑務と、土地の確保が見込めず頓挫しかけている企画の折衝を押し付けられ、公一はみるみる疲弊した。先行投資の回収も全く見込めないその企画は、公一が担当した時点で、あらかじめ赤字を出して失敗することが明らかなものだった。
「あ、そこ座ってください」
促されるまま、使い込んだ座布団の上に胡坐をかく。
キッチンの狭い古い住宅に、リビングやダイニングなんてものはない。
畳敷きの居間の座卓には、炊き立ての白いご飯と豆腐とネギの味噌汁、カマスの焼き魚に酢の物、漬物。目に鮮やかどころか、どちらかといえば簡素な食事が並ぶ。
栗原と並んで「いただきます」と手を合わせると、公一は湯気がほかほかと立つご飯をもそもそと頬張った。
二日酔いと、ぶつりと途切れた仕事の緊張感が、どろりと体にたまる疲れを思い出させ、今はとても食欲などわかないと思っていた。しかし、おかゆと水分しかとってない腹には、栗原の作る食事は十分にご馳走だったらしい。
「……美味いな」
思わず、素直な感想が口をついて出た。
「ありがとうございます」
栗原は、公一の一言に、驚いたような顔で笑った。
考えてみれば、ここ半年、公一にとって食事と言えばコンビニの弁当や菓子パンばかりだったのだ。目についた好きなものしか買わないので、野菜は常に不足しがちだった。きゅうりとわかめの酢の物なんて、食べたのは数年ぶりのような気がする。
疲れきっていようが、どん底までメンタルが落ち込んでいようが、生きていれば腹は減るし、腹が減れば何を食べても美味い。そんな些細な感動に、公一は無性に笑いたくなった。
自分は無力で、なにもかもがままならない状況でも、こんなことでなんとなく今日はいい一日だったような気持ちになれる。ああ、自分はなんて単純な人間だろう。
炊きたてのご飯を噛みしめた。
「なんか、変な感じですね。先輩とウチでごはん食べてるなんて。篠崎先輩、眼鏡かけてないからですかね? そんな風においしそうに食べてくれると、作る方は作り甲斐がありますよ」
顔を綻ばせて栗原が言う。
そんな風にいわれると、まるで自分が手料理に飢えて、ガツついていたようで、どうにも気恥ずかしい.
「……ここのとこ、誰かの作ってくれたメシとか食べてなかったからなー」
今、うちの家、両親が離婚の危機なんだ。努めて深刻に聞こえないように、公一は苦く笑って言った。
会社の話題や仕事の話は、互いに意識的に避けていた。そのせいで、上る話題が限られたせいもある。愚痴は思わずこぼれ出た。
会社の同僚はもちろん、誰にも言えなかった弱音。
それを思わず後輩にこぼしたのは、本当は公一の中で、どこかで家のストレスを少しだけ誰かに話したいという気持ちがあったせいだろう。
家に帰るのが憂鬱だった。父と顔を合わせたくなかった。家にいる父親が煩わしかった。
思わずそんなことまで言いかけて、公一は口をつぐんだ。
「悪い。……なんか、お前に言うことじゃなかったな」
栗原は家族を亡くしていたのだ。唯一の肉親を見送り、ひとりになったばかりの栗原に軽口でも言うべき愚痴ではなかった。ばつの悪さに思わず後輩の方を窺う。
「ああ、大丈夫です。僕も……こうして家で誰かと食べる夕食は、久しぶりだなーって思ってたところだったんで」
後輩に気遣われ、思わず赤面する。何をやっているんだ、自分は。子供のように自分のことしか考えていなかった己に気づかされ、公一は頭を抱えたくなった。
「そっか、最後におじいちゃんとここで食事をしたのは、もう一年も前か……」
いたたまれない公一の気持ちを慮ったのか、栗原がぽつりとつぶやく。そしてどこか懐かしそうな顔をして、ふたり分の皿が並んだ食卓を見た。
並んだ皿の形は全部がまちまちで、使い込んだ食器の中には、小さく欠けているものもいくつかある。一つひとつに、大事に使ってきた跡が見えた。
「あっ、家にいる間は、できるだけ一緒にご飯食べてたんですけど、最後はもうずっと病院だったんで。それからはひとりで食事をとるのが当たり前になってて――なんか今でもじいちゃんは病院にいるような気がしてくることがあるんですよね」
ははは、と笑って栗原は「どうぞ、もっと召し上がってください」と先を促してくる。
座卓にふたりして胡坐をかいて、再びもそもそと箸を動かし始める。
思い出したようにぽつぽつと交わす会話は、決して弾むというほどではなかったが、終始穏やかなやりとりだった。
食べ物の好みや、休日の過ごし方、当たり障りのない内容を注意深く選びながら――仕事のことだけでなく、互いに避ける話題が増えてしまったことに公一は苦笑するしかなかった。
それでも、誰かと囲む食卓は悪くない。時間に追われることがないせいか、公一は久しぶりに心から寛いだ気分で食事を楽しむことができた。
思えば、仕事、仕事と忙しかった公一は、一年どころかそれ以前から家族と食卓を囲む習慣がなくなっていた。
一緒に食事をとらなくなったのが一体いつからなのか、それすらも覚えていない。
どんなに遅くても、家に帰れば食事が用意されていて、それが当たり前だと思っていた。
そこまで思い出して、改めて気が付く。父親と二人の空間が気まずいのは、母がいなくなったからだけではない。
三人で暮らしながら、みんなで顔を合わせて食事をする時間すらこれまでほとんど作ってこなかったせいだ。
食後に淹れてくれたお茶を啜り、公一はほっと息を吐いた。
中身が半分になった湯呑を弄びながら、なんとなく言葉に詰まる。
ここまで世話になって、もはや先輩としての威厳もへったくれもない。自分らしくもない。どれだけ自分がいっぱいいっぱいになっていたとしても、後輩に弱りきった姿を見せたくなかった――本当に今更だが。
さあ、この状況を何といって言い繕うべきかと公一が考え始めていたとき、栗原が何か言いたげな目で自分をじっと見つめていることに気が付いた。
「……あの、篠崎先輩がよければ、ですけど」
「ん?」
「好きなだけここにいてもらっていいですから。僕は、祖父を亡くしたばっかりですし……むしろ先輩がいてくれると、寂しくなくて嬉しいです」
栗原は真剣な目で公一をまっすぐに見てくる。唐突な、しかも自分に都合のいい提案。今の心境としてはあまりに渡りに船というヤツで、公一はとっさにどう返事をすればいいのかわからなかった。
「ええと……それは、助かる、けど」
――言っとくが俺は、洗濯機の使い方も知らない男だぞ? 小首をかしげて公一は言った。
栗原はブハ、と吹き出して、教えてあげますから一から勉強してください、と涙がにじむほどに笑って答えた。
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