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3.エリートだったはずなのに、ポンコツ
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「仕方ないだろ。パンツ、無かったんだから」
「だからって! そんな格好でうろうろしないでくださいよ」
夕方、家に帰って来たばかりの栗原は、公一の姿を見て目を点にしていた。
風呂上りに栗原のTシャツを拝借したが、下着まで借りるのは流石に躊躇いがあった。だから、体格の違いで大きすぎるTシャツが尻の下まで隠してくれるのをいいことに、公一はシャワーを借りてからはシャツ一枚でその日一日を過ごした。
二日履きっぱなしだった自分のパンツにもう一度足を通すのは、絶対に嫌だった。
「うちの洗濯機、ドラム式だから乾燥機使ってもらってもよかったんですよ? 先輩のシャツとパンツ位なら一時間もあれば乾きますよ」
食材の入ったエコバッグを台所に置き、自分は仕事帰りのスーツ姿のままで、買い置きの新品の下着があったはずだと、栗原は慌てたように箪笥をごそごそと漁っている。その後ろで、手持無沙汰な公一はTシャツ一枚のノーパン姿でうろうろとした。
「だって、使い方わかんねえもん」
「……は?」
「洗濯機の使い方わかんねえ。ずっと実家暮らしだったし、洗濯とかしたことない」
今度こそ明らかに後輩からの呆れた目が公一に向けられた。
身長差の関係とはいえ、高い位置から見下ろされているというこの位置関係もよくないと思う。情けないことを言っているという自覚から、思わず公一は栗原の顔から目線を外してもじもじとした。
「……教えてくれよ。そしたら、ちゃんと自分でできる」
日中、一人でいるときは気にもならなかったのに、股のあたりが急にすうすうする気がした。
「篠崎先輩って」
なんだよ! と公一が顔を上げてみれば、案の定、吹き出す寸前で、何かをいろいろと堪えた顔をしている後輩がいた。
仕事では十分にエリートと呼ばれる能力のある会社員だった。なのに、こうなってみるとまるで自分はポンコツだと公一はつくづく思う。
後輩は帰宅してすぐに手際よく洗濯ものを取り込み、風呂を手早く洗い、食事に準備にとりかかった。手持無沙汰の公一ができることは、その後輩の後ろを何をするでもなくカルガモのヒヨコよろしくついてまわることだけだった。
「座っていていいですよ」と言われるも、他人の家でただ座っているのもなんだか居心地が悪い。
流しに置きっぱなしになっているおかゆの土鍋を見て、「全部食べてくれたんですね」と栗原が嬉しそうに笑った。
朝食用にと用意してもらったのに、食べたのがお昼になったとはなぜか言いづらく、空の食器を洗っておくこと位はすればよかったと、その時改めて気が付いた。
「おいしかった」とぶっきらぼうに感想を述べれば、「いえいえ、おそまつさまでした」とこちらがいたたまれなくなるような笑顔が返ってきた。
新品の下着と、ハーフパンツを借りてようやくまともな一般人の姿になれたが、ジャージ生地のハーフパンツは、案の定ウエストの紐を引き絞ってなお、ダブついていた。
「パンツだけはピッタリなんだな」
疑問を口にすれば、栗原は苦笑いして「祖父のために買っておいたものですから」とぽつりと洩らした。
「去年、亡くなったんです。介護のことで悩んでいたとき、篠崎先輩に転属の相談に乗ってもらって、本当に助かりました」
ごはん食べましょうか、とお盆に皿を並べながら、栗原は切れ長の目と太い眉を、くしゃりと八の字に歪めて微笑んだ。
栗原の祖父に病気が見つかり、要介護認定をもらうことになるから仕事を辞めようかと思っている、と相談されたとき、栗原に総務二課への転属希望を出すよう薦めたのは公一だった。
「北村二課長が、先輩のことを心配されてましたよ」
「篠崎のバカが、とか言ってただろ。あの人、俺の顔見るとすぐほっぺたつねってくるんだ」
苦笑まじりで茶化して答えれば、後輩は凛々しい眉を顰めて声のトーンを落とした。
「……いえ、本当に心配されてました」
元上司が、今でも自分のことを本気で気にかけてくれていると知り、公一は複雑な気持ちになる。
総務二課は閑職だ。社内の備品の管理や労務管理が主な仕事で、現場に関わることに携わらないので、繁忙期は限られている。仕事は楽だが、実績の積みようがないので、その先の昇進などまるで望めない部署だった。
「北村二課長、今ならまだ戻ってこれるって言ってました。十分不当解雇で労働組合に訴えられる案件だから、先輩の気持ち次第で……」
その話は今はしたくない。恐る恐るといった風にこちらを伺ってくる栗原から、公一は目線を外して、無言で話を断ち切った。
「だからって! そんな格好でうろうろしないでくださいよ」
夕方、家に帰って来たばかりの栗原は、公一の姿を見て目を点にしていた。
風呂上りに栗原のTシャツを拝借したが、下着まで借りるのは流石に躊躇いがあった。だから、体格の違いで大きすぎるTシャツが尻の下まで隠してくれるのをいいことに、公一はシャワーを借りてからはシャツ一枚でその日一日を過ごした。
二日履きっぱなしだった自分のパンツにもう一度足を通すのは、絶対に嫌だった。
「うちの洗濯機、ドラム式だから乾燥機使ってもらってもよかったんですよ? 先輩のシャツとパンツ位なら一時間もあれば乾きますよ」
食材の入ったエコバッグを台所に置き、自分は仕事帰りのスーツ姿のままで、買い置きの新品の下着があったはずだと、栗原は慌てたように箪笥をごそごそと漁っている。その後ろで、手持無沙汰な公一はTシャツ一枚のノーパン姿でうろうろとした。
「だって、使い方わかんねえもん」
「……は?」
「洗濯機の使い方わかんねえ。ずっと実家暮らしだったし、洗濯とかしたことない」
今度こそ明らかに後輩からの呆れた目が公一に向けられた。
身長差の関係とはいえ、高い位置から見下ろされているというこの位置関係もよくないと思う。情けないことを言っているという自覚から、思わず公一は栗原の顔から目線を外してもじもじとした。
「……教えてくれよ。そしたら、ちゃんと自分でできる」
日中、一人でいるときは気にもならなかったのに、股のあたりが急にすうすうする気がした。
「篠崎先輩って」
なんだよ! と公一が顔を上げてみれば、案の定、吹き出す寸前で、何かをいろいろと堪えた顔をしている後輩がいた。
仕事では十分にエリートと呼ばれる能力のある会社員だった。なのに、こうなってみるとまるで自分はポンコツだと公一はつくづく思う。
後輩は帰宅してすぐに手際よく洗濯ものを取り込み、風呂を手早く洗い、食事に準備にとりかかった。手持無沙汰の公一ができることは、その後輩の後ろを何をするでもなくカルガモのヒヨコよろしくついてまわることだけだった。
「座っていていいですよ」と言われるも、他人の家でただ座っているのもなんだか居心地が悪い。
流しに置きっぱなしになっているおかゆの土鍋を見て、「全部食べてくれたんですね」と栗原が嬉しそうに笑った。
朝食用にと用意してもらったのに、食べたのがお昼になったとはなぜか言いづらく、空の食器を洗っておくこと位はすればよかったと、その時改めて気が付いた。
「おいしかった」とぶっきらぼうに感想を述べれば、「いえいえ、おそまつさまでした」とこちらがいたたまれなくなるような笑顔が返ってきた。
新品の下着と、ハーフパンツを借りてようやくまともな一般人の姿になれたが、ジャージ生地のハーフパンツは、案の定ウエストの紐を引き絞ってなお、ダブついていた。
「パンツだけはピッタリなんだな」
疑問を口にすれば、栗原は苦笑いして「祖父のために買っておいたものですから」とぽつりと洩らした。
「去年、亡くなったんです。介護のことで悩んでいたとき、篠崎先輩に転属の相談に乗ってもらって、本当に助かりました」
ごはん食べましょうか、とお盆に皿を並べながら、栗原は切れ長の目と太い眉を、くしゃりと八の字に歪めて微笑んだ。
栗原の祖父に病気が見つかり、要介護認定をもらうことになるから仕事を辞めようかと思っている、と相談されたとき、栗原に総務二課への転属希望を出すよう薦めたのは公一だった。
「北村二課長が、先輩のことを心配されてましたよ」
「篠崎のバカが、とか言ってただろ。あの人、俺の顔見るとすぐほっぺたつねってくるんだ」
苦笑まじりで茶化して答えれば、後輩は凛々しい眉を顰めて声のトーンを落とした。
「……いえ、本当に心配されてました」
元上司が、今でも自分のことを本気で気にかけてくれていると知り、公一は複雑な気持ちになる。
総務二課は閑職だ。社内の備品の管理や労務管理が主な仕事で、現場に関わることに携わらないので、繁忙期は限られている。仕事は楽だが、実績の積みようがないので、その先の昇進などまるで望めない部署だった。
「北村二課長、今ならまだ戻ってこれるって言ってました。十分不当解雇で労働組合に訴えられる案件だから、先輩の気持ち次第で……」
その話は今はしたくない。恐る恐るといった風にこちらを伺ってくる栗原から、公一は目線を外して、無言で話を断ち切った。
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