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第五章

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 きっかけは中学生になった春、クラスが別になったことからだった。市の大きな中学校に入学した私たちはたくさんの新しいクラスメイトによって別行動を余儀なくされた。さらに“部活動において全員ひとつは必ず参加すること”という謎のルールに縛られ、より一層茉莉と過ごす時間は無くなった。

 茉莉なしで生活できるか正直不安だったが、幸いにも私のクラスには優しい人が多く皆気さくに接してくれた。恵まれた環境のおかげで相手の目を見て会話することもできるようになり、女の子らしい格好や話し方にも慣れることができた。



 あるときめぐが取り巻きとともに私の悪い噂を周りに言いふらしていたようだが、かえって自分たちの首を絞める結果に陥ったらしい。これまで、たった三十人の集まる小さなクラスをさも自分たちのもののようにふるまっていた奴らが、今ではもう隅に縮こまっていることしかできないなんてこれ以上面白いことはなかった。

 それに正直、中学校生活は思っていたより順調でそのうえ邪魔な奴らが勝手に自滅してくれたのは気分がよかった。

「ふふっ。でさ、昨日――」

「えーなにそれ。あははっ」

 友達と談笑できる幸せ。これが私にとってどんなに大きいことか誰にも計り知れないだろう。みんなで協力して乗り切った期末テスト、全力をとして競い合った体育祭、少し恥ずかしかったけど楽しかった音楽祭……どれも今までの自分では得られなかった経験だった。小学三年生の時、茉莉が来てくれなかったら今こうして笑えていなかった。そう確信できるほど大きな存在だったのを覚えている。



 そんな彼女との関係にひびが入ったのは、中学二年の時。この地域では珍しく例年より寒い夏で、その日も朝から静かに雨が降っていた。

「ねえ零、今この学校で広まってるやばいウワサ、聞いた?」

「何?やばいウワサって。」

 ありきたりな都市伝説やらでたらめの多いオカルトやらを好む友達が特ダネをつかんだらしい。いつも、口癖のようにやばいウワサ聞いた?と言ってはでっちあげの嘘話を教えてくれる面白い子だ。私はまた始まったと思いつつ一応内容を聞いてみた。

「五組のめっちゃ可愛い女子が、美人でおっかない先輩の彼氏取っちゃったんだって!やばくない?」

「そんな漫画みたいなことある?」

「これはマジなんだって!今みんなこの話題で持ちきりだよ。」

「へぇ……」

 どうやら今回ばかりは本当らしい。確かに周囲の会話を聞いてみると同じ話をしている声がちらほら聞こえた。

「……で、その子どうなったの?」

「五組の女子の方はやってないって言ってるみたいなんだけど、その子が着けてたリングが彼氏とおそろいだったらしい!」

きゃーっとわざとらしく顔を隠す友達。彼女は続けて言う。

「それが見つかっちゃってもう大騒ぎ!おっかない先輩がその女子徹底的にいじめてるらしい。」

「それは……やばいね。」

嬉々として話す彼女とは裏腹になぜか嫌な胸騒ぎがした。

「ちなみにさ、その五組の女の子って誰かわかる?」

「もちろん!入学早々男子に死ぬほどモテた、あの“一ノ瀬茉莉”だってさ!」

その名前を聞いた瞬間、絶句した。彼女はもう、私の知っている“まつり”ではなくなってしまったようだ。



 その日私は、初めて部活をさぼって放課後の図書室へとまっすぐ向かった。息を切らして中に入ると、彼女はただ静かに窓の外を眺めていた。

「ま、まつり……だよね?」

 そうであってほしいという願いを込めて問う。すると彼女はゆっくり私に顔を向けた。口の端は殴られたような傷があり、長く美しかった彼女の髪は光を失いバッサリと切られてしまっていた。瞳だけが彼女の強さを示すように煌々こうこうと輝いていた。それだけで彼女だと認識するのには十分だった。

「れい……?零なの?何でここに……?」

一方彼女は私だと分かった途端、うろたえた。しかしすぐにかぶりを振って笑顔を見せた。

「……あなたを待ってた。ずっと。」

彼女の言ったことがすぐには理解できなかった。

「私ね、茉莉に話したいことがあって――」

「私もそうだよ。ほら、隣座って?」

 重ねるように言葉を放つ茉莉。笑った顔は以前と変わらないはずなのに、どこか違和感がある気がした。久々に会えてうれしい気持ちがあるはずなのに、心がもやもやして気持ち悪い。

「あのさ、今学校で流れてるうわさについてなんだけど……」

「ああ、あれね。半分ほんとだけど、半分うそ。」

「半分?」

「私が奪ったんじゃなくて、向こうが先に誘ってきたの。最初は嫌だって言ったんだけど従わないとお前の弱みをばらまくとか言われて仕方なくオーケーしたの。」

「それってよくないんじゃ……大丈夫?」

「私は大丈夫だよ。でも彼女の方が全く信じてくれなくてさ。彼氏の方もシラ切っててろくに話通じないんだよね。」

 彼女は淡々と話すが、それが真実なのか嘘なのかこの時の私には判断できなかった。

「どうして、そんなことしたの?」

恐る恐る彼女に聞いてみた。私は信じたかったのだと思う。彼女は潔白だと。

「どうしてって……そんなの決まってるじゃん。零に見てほしかったから。」

「え?それはどういう――」

「だってさぁ、クラス別々になっちゃって一緒に帰ることもなくなったじゃん?そしたら寂しくなったの。私だけの零だったのに、いつの間にか遠くに行っちゃったみたいで……それに私たちもう付き合って二年経つんだよ?それなのにスキンシップの一つもできてないし。」

 私の問いに対する答えを滔々とうとうと述べる彼女はまるで私の知らない誰かのように思えた。段々と声は遠くなり、顔がぼやけていく。

「こうでもしないと零は私のところに来てくれないのかなって思って。」

「え、ちょ、ちょっと待って。私と茉莉が付き合ってる?言ってることが、よ、よくわかんないんだ、けど……?」

「一昨年の春にさ、しおり渡したの覚えてる?小学校の卒業式の日。あれに挟んだ花、ナズナの花言葉は“貴方に私のすべてを捧げます”なんだって。零はそれを受け取ってずっと大事にするって言ってくれたでしょ。私にとってはその言葉が告白の返事で、イエスってことだと思ったの。私にとっては零が全て。あなただけの私なの。」



 彼女の言葉が、右から左へ流れていく。彼女が言っていることを理解しようとしても頭が混乱してしまって何が何だか分からなくなってしまった。しばらく呆けていると彼女は突然、私の額に口づけをした。驚いて、額を抑えながら顔を上げた。間近に見えた彼女の顔は幼いときに見たあの黒い渦に覆われていた。

「どうしてそんな顔するの?ねえ、れい……?」

悲しそうな声で彼女が私に問いかけ、手を伸ばしてきた。この一瞬で恐怖が心を支配して体が勝手にその手を振り払う。

「あ……ごめん。」

結局何一つ分からないままだった。いや、理解したくなかった私は、逃げるようにその場を去った。



 それから彼女と学校で会うことは二度となかった。
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