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13.二人暮らし
178.虚仮の一念
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黙々と弁当を食っている藤枝の向かい、床であぐらをかいてワシワシ食いつつ、健朗の頭の中は同じ言葉が渦巻いていた。
誰が来た。
自分では無い誰かが慰めたのか。
それでどう思った。
そんなことを言えるわけも無く、健朗はそっと藤枝を窺い見た。
目を伏せてもそもそ弁当を食っている、その姿は、やはり健朗の胸を痛ませる。
今までも『なにがあった』などと聞いている、しかし藤枝は『なんでもない』と力なく笑うだけで、それ以上聞くことは出来ないままだ。
だが…………気になる。気になってしょうがない。
なので弁当に目を落としつつ、なるべくさりげない声を装って聞いてみた。
「……今日は誰が来ていた」
「ん? あ~。小松がさ、会社から、ここまで一緒に来て」
藤枝は弁当から目を上げずに言った。チラッと目だけを向ける。小松は藤枝と同じ会社で、部署も同じ。しかし……
「……小松はタバコを吸わないだろう」
ビールとタバコがあった。小松はともかく、藤枝は酒が強くない。タバコも吸わない。
酒が強くてタバコを吸う危険な男を、健朗はひとり知っているのだ。
「うん、そんで伊勢とか幸松とか、あと浦山も来たな。山家も」
「そうか」
聞いたメンバーに僅かな安堵を覚えながら、唐揚げとメシをくちに押し込んで聞いた。
「しかし山家は3年で寮を出ただろう」
「あ~、でも、なにげにあいつら仲良いンだよ」
声は明るいが、やはり今ひとつ元気が無い。現金なもので、杞憂が去れば、心配が立ち上がってきた。
「そうか。……デカイのばっかりだな」
「……はは、そだな。小松が騒いでた」
おそらく、その連中も気になって来たのだろう。藤枝に元気が無いと、……小松が広めたか。
そうだ、藤枝を好いているのは自分だけでは無い。むろん誰より強い気持ちを持っている自信はあるが、藤枝が誰を選ぶか、何も確定していない。この同居も、姉崎の悪知恵を借りて騙したようなものなのだ。
考えれば当然のことだ。誰にでも好かれる藤枝を、自分ごときが独占するなど、おこがましいというものだ。分かっている。
しかし自分の欲望だけではないのだ、と健朗は声を大にして言いたかった。
いつか藤枝がしてくれたように、自分もなにか、藤枝を助けることが出来れば。いや、そうしなければならない。そういう気持ちだって強く持っている。それも偽りの無い真実の自分だ。なのに
どうして元気が無い。なにがあった。なぜ何も言わない──────
何度も何度も言おうとして、くちにして良いものか判断出来ずに、言葉を飲み込んでしまう。
なぜ言えないか。
それは恐れがあるからだ。聞くことでなにか決定的なことが起こるような、そんな恐れが。
なぜなら今まで、自分が望んで動いたことは、ろくな結果をもたらさなかった、からである。
長野の私立中学に通いたいと言ったのは自分だ。それでは母は壊れた。
剣道が強くなりたいと願った末、そのまま学内で進学せずに外部の高校へ進学した。剣道に夢中になるフリをして家に帰る時間を少なくした……結果、保美は日本を離れた。
奥歯を噛みしめる。
どうしても湧き上がってしまう怯みを、しかし今日は抑えねばならない。
今日のように来た誰かが、藤枝をいつも通りに笑わせたなら、……おそらくその笑顔を見た自分は安堵を覚え、そして……敗北感をも、感じてしまうだろう。
それは嫌だった。それを許したくは無い。自分以外が藤枝を慰めるのは、やはり嫌だ。
――――つまり、もう限界だ。
今の健朗のモチベーションの根源は藤枝だ。
その為の仕事であり、剣道であり、それゆえにこの部屋を借りた。姉崎に頭を下げ、父に援助を乞い――――全てその為だ。所詮自分はその程度、目的が『勝つこと』から『藤枝』に変化したというだけのエゴイストでしかない。大学の四年間で健朗は、自分がいかに欲深いか嫌と言うほど自覚したのだ。
そして目標を多数立てても達成は出来ない、そんな器用なことはできない愚鈍さも、痛いほど分かっている。
だが、それでも。
集中すれば、叶うはずのなかった大望に手が届くことがある。
――――安藤に勝利できたように。
グッとこぶしを握りしめた。
虚仮の一念岩をも通すというではないか。ならば岩を突き通してやる。言えないなどと言っている場合か。藤枝を他の誰かに委ねて良いのか。
「藤枝」
「ん?」
意を決して声をかけると藤枝の顔が上がり、ニカッと笑う。
「俺は、…………」
絞り出した声は途切れた。臆する気持ちがせり上がるのを、必死に押し潰す。
「……頼りないか」
ハッと目が見開かれた。
「いや、そん……」
「分かっている」
そうだ。分かっている。
「俺など……頼りないのは分かっている。だが」
そうだ。自分など、たいした人間では無い。
だが、健朗が自覚も無く背負っていたものを、軽くしてくれたのは誰だ。
そうして今、家族や友人と笑えるようになったのは、いったい誰のおかげだ。
藤枝のようなことが自分にできるなどと、思い上がってはいない。それでも欲しいものを手に入れるための努力を放棄してどうする。愚鈍なら愚鈍なりに、できることがあると思え。逃げるな。
「だが、藤枝。頼りないだろうが、俺などでも……前に藤枝が、……いや。……俺は」
うまく回らないくちが口惜しい。だがもう限界なのだ。藤枝を癒やす誰かに怯えている場合では無い。
「俺は気になる。藤枝が……笑っていないと」
また誰かが来る前に、自分がなんとかしなければ。
「…………俺、笑ってねえ、か?」
「元気が無い」
また、言葉が途切れた自分に、だから腹を決めろ! と言い聞かせる。
「俺に……っ」
顔を上げ、睨むようにまっすぐ藤枝を見た。
「俺にっ、……話しても、なにも変わらんかも、しれん。いや、変わらんだろう。だが…………」
そうだ、虚仮の一念、だ。念じるのだ。藤枝の事だけを。今は余計なことを考えるな。
「頼りなくとも、話は聞ける。なにも出来なくとも……いや、なんとかしてやる。……などと言っても説得力が無いのは分かっている、分かってはいるんだが……」
「あ~~~、ゴメン!」
藤枝は両手をあげ、拝むようにしながら、バッと頭を下げた。
「ンな情けねえ顔すんな。ちげーんだよ、てかンな心配かけてたんだ? マジごめん!」
そしてバッと顔を上げる。なぜか藤枝の方が心配そうな顔になっていた。
「てかおまえが頼りないとかねえよ!」
「………………」
無自覚にまばたきして見返す。
「俺がただ、ダメダメだってだけなんだから、おまえはゼンッゼン大丈夫だよ? だってメシ作ってくれるし、今日だって弁当買ってくれたじゃん? ペプシも」
「……抹茶アイスもある」
「マジか!」
「ああ。風呂上がりに欲しいだろうと」
「いるいる! めっちゃいる!」
なぜだか急に元気になっている。
「やった~、超楽しみだ! あ、風呂の用意してくるな!」
弁当を途中で放り出し、藤枝は浴室へ向かった。その背中を呆然と見送って、ハッとした健朗は(しまった)とこぶしを握りしめる。
(やられた。誤魔化された)
さすがは藤枝だ。
しかし……なんとかしなければ。
誰が来た。
自分では無い誰かが慰めたのか。
それでどう思った。
そんなことを言えるわけも無く、健朗はそっと藤枝を窺い見た。
目を伏せてもそもそ弁当を食っている、その姿は、やはり健朗の胸を痛ませる。
今までも『なにがあった』などと聞いている、しかし藤枝は『なんでもない』と力なく笑うだけで、それ以上聞くことは出来ないままだ。
だが…………気になる。気になってしょうがない。
なので弁当に目を落としつつ、なるべくさりげない声を装って聞いてみた。
「……今日は誰が来ていた」
「ん? あ~。小松がさ、会社から、ここまで一緒に来て」
藤枝は弁当から目を上げずに言った。チラッと目だけを向ける。小松は藤枝と同じ会社で、部署も同じ。しかし……
「……小松はタバコを吸わないだろう」
ビールとタバコがあった。小松はともかく、藤枝は酒が強くない。タバコも吸わない。
酒が強くてタバコを吸う危険な男を、健朗はひとり知っているのだ。
「うん、そんで伊勢とか幸松とか、あと浦山も来たな。山家も」
「そうか」
聞いたメンバーに僅かな安堵を覚えながら、唐揚げとメシをくちに押し込んで聞いた。
「しかし山家は3年で寮を出ただろう」
「あ~、でも、なにげにあいつら仲良いンだよ」
声は明るいが、やはり今ひとつ元気が無い。現金なもので、杞憂が去れば、心配が立ち上がってきた。
「そうか。……デカイのばっかりだな」
「……はは、そだな。小松が騒いでた」
おそらく、その連中も気になって来たのだろう。藤枝に元気が無いと、……小松が広めたか。
そうだ、藤枝を好いているのは自分だけでは無い。むろん誰より強い気持ちを持っている自信はあるが、藤枝が誰を選ぶか、何も確定していない。この同居も、姉崎の悪知恵を借りて騙したようなものなのだ。
考えれば当然のことだ。誰にでも好かれる藤枝を、自分ごときが独占するなど、おこがましいというものだ。分かっている。
しかし自分の欲望だけではないのだ、と健朗は声を大にして言いたかった。
いつか藤枝がしてくれたように、自分もなにか、藤枝を助けることが出来れば。いや、そうしなければならない。そういう気持ちだって強く持っている。それも偽りの無い真実の自分だ。なのに
どうして元気が無い。なにがあった。なぜ何も言わない──────
何度も何度も言おうとして、くちにして良いものか判断出来ずに、言葉を飲み込んでしまう。
なぜ言えないか。
それは恐れがあるからだ。聞くことでなにか決定的なことが起こるような、そんな恐れが。
なぜなら今まで、自分が望んで動いたことは、ろくな結果をもたらさなかった、からである。
長野の私立中学に通いたいと言ったのは自分だ。それでは母は壊れた。
剣道が強くなりたいと願った末、そのまま学内で進学せずに外部の高校へ進学した。剣道に夢中になるフリをして家に帰る時間を少なくした……結果、保美は日本を離れた。
奥歯を噛みしめる。
どうしても湧き上がってしまう怯みを、しかし今日は抑えねばならない。
今日のように来た誰かが、藤枝をいつも通りに笑わせたなら、……おそらくその笑顔を見た自分は安堵を覚え、そして……敗北感をも、感じてしまうだろう。
それは嫌だった。それを許したくは無い。自分以外が藤枝を慰めるのは、やはり嫌だ。
――――つまり、もう限界だ。
今の健朗のモチベーションの根源は藤枝だ。
その為の仕事であり、剣道であり、それゆえにこの部屋を借りた。姉崎に頭を下げ、父に援助を乞い――――全てその為だ。所詮自分はその程度、目的が『勝つこと』から『藤枝』に変化したというだけのエゴイストでしかない。大学の四年間で健朗は、自分がいかに欲深いか嫌と言うほど自覚したのだ。
そして目標を多数立てても達成は出来ない、そんな器用なことはできない愚鈍さも、痛いほど分かっている。
だが、それでも。
集中すれば、叶うはずのなかった大望に手が届くことがある。
――――安藤に勝利できたように。
グッとこぶしを握りしめた。
虚仮の一念岩をも通すというではないか。ならば岩を突き通してやる。言えないなどと言っている場合か。藤枝を他の誰かに委ねて良いのか。
「藤枝」
「ん?」
意を決して声をかけると藤枝の顔が上がり、ニカッと笑う。
「俺は、…………」
絞り出した声は途切れた。臆する気持ちがせり上がるのを、必死に押し潰す。
「……頼りないか」
ハッと目が見開かれた。
「いや、そん……」
「分かっている」
そうだ。分かっている。
「俺など……頼りないのは分かっている。だが」
そうだ。自分など、たいした人間では無い。
だが、健朗が自覚も無く背負っていたものを、軽くしてくれたのは誰だ。
そうして今、家族や友人と笑えるようになったのは、いったい誰のおかげだ。
藤枝のようなことが自分にできるなどと、思い上がってはいない。それでも欲しいものを手に入れるための努力を放棄してどうする。愚鈍なら愚鈍なりに、できることがあると思え。逃げるな。
「だが、藤枝。頼りないだろうが、俺などでも……前に藤枝が、……いや。……俺は」
うまく回らないくちが口惜しい。だがもう限界なのだ。藤枝を癒やす誰かに怯えている場合では無い。
「俺は気になる。藤枝が……笑っていないと」
また誰かが来る前に、自分がなんとかしなければ。
「…………俺、笑ってねえ、か?」
「元気が無い」
また、言葉が途切れた自分に、だから腹を決めろ! と言い聞かせる。
「俺に……っ」
顔を上げ、睨むようにまっすぐ藤枝を見た。
「俺にっ、……話しても、なにも変わらんかも、しれん。いや、変わらんだろう。だが…………」
そうだ、虚仮の一念、だ。念じるのだ。藤枝の事だけを。今は余計なことを考えるな。
「頼りなくとも、話は聞ける。なにも出来なくとも……いや、なんとかしてやる。……などと言っても説得力が無いのは分かっている、分かってはいるんだが……」
「あ~~~、ゴメン!」
藤枝は両手をあげ、拝むようにしながら、バッと頭を下げた。
「ンな情けねえ顔すんな。ちげーんだよ、てかンな心配かけてたんだ? マジごめん!」
そしてバッと顔を上げる。なぜか藤枝の方が心配そうな顔になっていた。
「てかおまえが頼りないとかねえよ!」
「………………」
無自覚にまばたきして見返す。
「俺がただ、ダメダメだってだけなんだから、おまえはゼンッゼン大丈夫だよ? だってメシ作ってくれるし、今日だって弁当買ってくれたじゃん? ペプシも」
「……抹茶アイスもある」
「マジか!」
「ああ。風呂上がりに欲しいだろうと」
「いるいる! めっちゃいる!」
なぜだか急に元気になっている。
「やった~、超楽しみだ! あ、風呂の用意してくるな!」
弁当を途中で放り出し、藤枝は浴室へ向かった。その背中を呆然と見送って、ハッとした健朗は(しまった)とこぶしを握りしめる。
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