意地っ張りの片想い

紅と碧湖

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10.寮祭、そして

152.知りたいんだよ

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 男同士の恋愛に関して、情報は集めていた。
 もちろん藤枝と丹生田の行動を理解するためである。これが特殊な例なのか良くある例なのか、まずはそれを知ることが必要だと考えたのだ。
 もっとも大きな動機はそれだったが、ジェンダー問題に詳しいひとと知り合った際、
『男の人が男の人を好きになるって、どういうきっかけがあるの?』
 雅史が向けた素朴な疑問に
『そこから違う!』
 と暑苦しく反論された。
『人間対人間の恋愛に性別なんて関係ない!』
 のだそうだ。そしてそれ以外も色々と教え込まれ、結果的に男性同士や、その他の形態での恋愛について、基本知識は蓄えることができた。というか叩き込まれた。
 二人の状況についてほわっと話してみたところ
『寮の同室の相手を好きになるなんて、そう珍しい話では無いでしょう』
 と言われ、そういうものかと納得しつつ、感情面についての違いなども聞いてみたが
『だから!』
 激高された。
『なんでそこで違うと思うんだ!? 男女の恋愛と違わないって言ってるだろう! 人間と人間の間に産まれた愛に、どうして違いがあるなんて思うんだ!? いいか、もう一度言うけど……』
 そのままエンドレスな演説が始まった。未だ男女間の恋愛についても確かな理解に至っていないのに、そんな風に言われても困る、などと思いながら聞いてはいたが、やっぱり分からないなと再認識するに終わった。
 そして今。
 雅史はさらなる混乱の中にいた。
「どうしよお橋田ぁ~~~」
 どの本を読んでも無かった、奇妙な精神状態に陥っている藤枝の口から、不可解な心理状態が語られたからだ。
「ちょっと待って。整理して良いかな」
「せいり?」
 項垂れたまま、力ない声が聞いてきたが、混乱した雅史も冷静では無かった。
「つまり、きみと丹生田くんはセックスしたんだよね?」
 藤枝は想い人、ゴツくて無愛想な丹生田とセックスしていた。ちょっと脳内でも映像化したくないけれど、それはともかく、そこでなぜか今さらのように混乱している藤枝の言うこと、を聞いてる雅史の方が混乱してきたのだ。
 藤枝はまったく幸せそうではなく、むしろ悩みまくっているようだ。そもそもセックスしたってのは恋愛が成就したってことでは無いのか、という疑問がまず渦巻く。
「それって両想いになったということじゃないの?」
 だからそう聞いたのだが、「……んなわけねえじゃん」と項垂れる。
「どうして? なぜそう思うのかな」
 まったくわけが分からない。混乱は深まるばかりである。
「もう一度整理するよ? きみは丹生田くんが好きで、セックスしたかった。そして丹生田くんも、きみが好きだからセックスしたんだよね?」
「ちげーだろ。好きじゃ無くても勃てばエッチくらいできるだろ」
「そ……」
 珍しく衝撃を受け、雅史は口ごもる
「……そう、……なのか……」
「そーだよっ!」
 正直、未だ童貞の雅史には理解しがたい部分でもある。ゆえに、そういうものなのか、考え方を改めなければ、などと思いつつ、やはり混乱した。
 知りうるどの物語でも、セックス、つまり『結ばれる』ことがひとつの目標になっていると雅史は理解していた。むろん、それ以降の感情のもつれ、心の動きも物語になっている。だがつまり、藤枝の言うことを単純に真に受けるのは早計ではないか。
 その点に関しては後ほどあらためてリサーチすることにしよう、と考え、雅史は腰を上げて冷蔵庫から取り出したアイスコーヒーをグラスに注ぎ、テーブルに二つ置いた。
 最近、淡島はコーヒーの生豆から焙煎し、煎りたての豆と時間をおいた豆との差違、どれくらいの時間をおいて豆を挽くのがもっとも美味しいのかを検証するという試みを始めており、煎り過ぎてしまったものをアイスコーヒー用にして冷蔵庫に作り置いている。試作品だから好きに飲んで良いと言われているのだが、今それを思い出したのは、意気消沈しつつ興奮するという珍しい状態の藤枝を落ち着かせるため、そして自分も冷静になるためである。
 好きな相手とセックスしたら非常に喜ぶだろうという、今まで恋愛について考えていた解釈が間違っていたと言うことなのか。そう考えざるを得ないような気がする。
 というか藤枝の場合、そうなったなら、はた迷惑なくらい舞い上がってもおかしくないと思っていたのに、目の前でアイスコーヒーをちびちび飲む様子は今までに無いどんより加減で、寮祭の運営にも支障を来しかねない状態である。その理由を解明しようと聞いているのだが、雅史的に意味不明でまったく分からないため、混乱は深まっていく。
(いや、しかし藤枝が一般的では無い可能性もゼロでは無い。そうだ、結論を急ぐべきでは無い)
 そう考えながら甘みとミルクを入れたアイスコーヒーを飲む。向かいのソファからため息が聞こえ、そちらに目をやると、どんよりとした藤枝。それを見ていて少し落ち着いた心持ちになりつつ
(冷静になれ)
 と自分に言い聞かせ、雅史はコホンと空咳をした。
「ゴメンだけど、もう一度確認するよ? 藤枝くんは、おじいさんと丹生田くんが似てるって気がついて、それで困ってるってことでいいのかな」
 声無くコクンと頷く藤枝は、赤らんだ顔で鼻の頭に汗をかいている。
「それはどうして?」
 なぜ似ているとダメなんだ? そこがまず不明だ。
「どうしてって……あたりまえだろ」
「ごめん、ぼくは、どうしてそれで困るのかっていうことが、まったく分からないんだけど」
「だって……!」
 バッと顔を上げた藤枝の顔は赤くなっていた。
「丹生田が男なんかとエッチするって、ホントはダメだろ!? 丹生田は女の子が好きなんだからさ!」
「どうして?」
 そう問う雅史の声も顔も、ただ純粋に知りたいだけ、と思いっきり分かりやすく表している。
「だってさ。……好きでもねえのにっ」
「好きでもないって……」
 確かに雅史の目からも、丹生田に恋愛感情的な浮ついたものはまったく見えない。しかしあの丹生田が、意味も無く行動するとは思えない。なにかしらの理由があるはずなのだ。それは一体なんなのか。
 思索の海に沈み込んでいく雅史の表情にも口調にも、忌避する意志も責める様子もまったくない。
「そうだよっ! 好きでもねえのにっ!」
 それが藤枝のくちを軽くしたようだった。
「男とエッチなんてしたら、おっかしいだろ! そんなん間違ってんだろ!!」
「ちょっと待って。うーん」
 男同士のセックスが間違ってるなんて言ったら、頭から湯気を吹き出しそうな知り合いを思い浮かべ、雅史は呟く。
「……間違いって言うのは、どうなのかな」
 あの知り合いの主張を考えれば、藤枝の決めつけはずいぶん乱暴なように思う。しかしこれだけ悩んで居るということは……ますます深まりそうな混乱を振り払い、雅史は純粋に、疑問を解明したくてくちを開く。
「誰が誰とセックスするのが正解とか、そういうのがあるの?」
「……え……」
 藤枝はまっすぐにこちらを見て唇を震わせている。
「そもそもの疑問なんだけど、おじいさんと似てる丹生田くんを好きになったっていうのは、マズイことなの?」
 少し寄った眉の下、メガネの奥の目が半眼となっている。
 自分の中のなにかを確かめるような雅史の声。しかし藤枝が「なに言ってんだよ! あったりまえだろ!」と怒鳴ったので、ふっと目を上げ見返した雅史は「ああゴメン」素直に解釈の誤りを認めた。
 基本的な解釈が間違っているなら、恋愛に関して分かったようなことは一言も言えない。
 というよりも、朧気に理解したつもりになっていた、そもそもの:理(ことわり)が見えていないのではないかということに、ひどく不安な心もちになっていた。
「好きになるきっかけについては、まだ疑問が多いところなんだった。決めつけてはいけないな」
「……橋田、なに言ってんの?」
 藤枝が声を返したけれど雅史はすでに自分の世界に埋没して、思考の波を広げている。
「問題はそこじゃない、ということか……」
 こうなると、周囲の反応などどうでも良くなる雅史は、ぶつぶつ言いながら、PCを立ち上げ、なにやら調べ始める。静かな部屋に、カチャカチャとキーボードを叩く音が響く。
「あー……」
 藤枝は過去何回か、雅史のこういう状態に戸惑って、精神をすり減らされた経験がある。ゆえにまともな会話を求めても無理だと知っていた
「じゃあなんできみはそんなに落ち込んでるのかな。そこが分からない。おじいさんと似てたら、なにが問題なんだ? どこの理解が間違っているのかな。いやそもそも基本が……」
 カチャカチャと鳴るキーボードの音は、この部屋に来た彼にとっておなじみである。しばらく待てば正気に戻るので、どうしても話したいときは待つのだが、今日はじっと待つ気になれなかった。
 というかまったく気力が無かったのだ。ゆえにアイスコーヒーをひとくち飲み、ほう、と息を吐いた藤枝は、ソファから腰を上げ、声をかける。
「橋田。わりぃけど俺、帰るわ」
 すると今まで無かったことに、カチャカチャが鳴り止んだ。
「ちょっと待って」
 必死になってしまった声に藤枝は動きを止め、こちらを見る。
「これだけ聞かせて。きみは丹生田くんを好きじゃ無くなるってこと? その理解であってる?」
「…………ちげーよ」
 雅史の問いに項垂れて、藤枝はまたソファに腰を落とした。
「違った?」
「つうか好きだし」
 項垂れたまま力なく首を振り、藤枝はぼそぼそ続けた。
「かっけーしイイ奴だし丹生田は変わんねえつか、どんどんカッコ良くなってる、……とか思うし」
「ならゴメン。藤枝くん、すまないけど、詳しく教えてくれるかな」
 一度帰ると言ったのを引き留めたとき、これだけ、と言ったのに、次々湧き上がる疑問。混乱は増すばかりだ。藤枝が少し驚いたような顔で見返すのに、縋るような問いを重ねる。
「どうしてきみが悩んでるのか、そこのところを、是非詳しく。分からないんだ、そこのところがどうしても」
 まったく顔にも声にも出ていないのだが、雅史は知りたいという欲求で、はち切れそうになり、興奮していた。
「僕は知りたいんだよ、どうしても。そこが分からないと書けないんだよ」
「なに、言って」
 問いに藤枝は声を詰まらせる。
「人を好きになるって、理由があるの? ないの? きっかけがなんだろうと、好きになったらそれでいいんじゃないの? 理由なんて無い、恋愛は衝動なんじゃないかと僕は解釈していたんだ」
 淡々とした、いつも通りの顔と声。なのに雅史が、いつになく必死に見えたからだ。
「それが違うんなら、ぼくは急いでやらなければならないことがある」
 朧気に理解したと思っていたことが根底から間違っているのだとしたら、それはもうゼロから考え直さなければならない。それも今すぐに。
 以前、サブキャラの少女が兄に似ている青年を好きになるというエピソードを入れたことがあったのだ。もしそれが間違いなら、嘘になってしまうなら、謝罪広告を出して書き直して差し替えて、既に売れてしまった本も回収しなければ。
 誤りと分かったままの作品を世の中に残しておくなんてできない──────
「教えてくれ、藤枝。好きになる相手が誰かに似てたら、それはダメなのか?」
 焦燥で胃の奥がジリジリ焼けるような違和感を感じながら、雅史はひどく真剣に問いを重ねた。
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