意地っ張りの片想い

紅と碧湖

文字の大きさ
上 下
137 / 230
9.変化

131.お誘い

しおりを挟む
 その日、いつも通り朝練に行った丹生田健朗は、帰りにATMの近くで待ち構え、手数料を取られなくなる時間になると同時に金を下ろした。それを財布にしまい、全力疾走で寮へと向かう間、口元が緩んでいるのだが、無自覚である。
 彼は今、非常に張り切っているのだった。
 キャンプから戻って以降、健朗は叶う限り、忙しそうな藤枝のそばにいた。
 未熟で愚鈍ゆえに人の倍以上努力しなければなにごとも成し得ない自分とは違い、優秀な藤枝なら多忙とは言えおそらく大丈夫なのだろうと思いつつも、キャンプへ行く前に色々あったと聞いていたので、少し心配で……などと理由をつけてはいたが、実のところ、自覚無しに芽生えていた『そばにいたい』という本能が命じるまま行動していただけだ。
 藤枝はさまざまな声を発する。
 元気な大声、語りかける静かな声、泣き言を喚く声、半分寝ているようなぼやけた声。どれも健朗の耳に心地よく響いて、実行こそしなかったが、これは自分のものだと宣言したいような心持ちになった。
 藤枝はさまざまな表情をする。
 笑顔だけではなく、真剣な顔も、怒った顔も、苛立ちを押さえようとしている表情も、どれも見飽きない。それどころか時々医学的ではない痛みに胸を突かれたりする。心臓も異常で、突然鷲掴みにされたようになったり、異常な鼓動を示したり、どんな現象かと密かに悩んでいたりもする。
 そんな風に藤枝を見つめ続けていた健朗だが、風呂では今まで盗み見ていた藤枝の身体を見ることが出来なくなっていた。
 ことあるごとに『これは自分のものだ』と思ってしまう現状で刺激的なものなど見たら、これまでと違ってすぐにたがが外れてしまうだろうと予測出来たからであり、周囲の目がある寮の風呂場でたぎってしまうのはマズイと思ったからでもある。そうでなくとも唇や頬や、それ以外のあらゆるところに触れたくて堪らなくなっているし、頻繁に抱きしめようと伸びてしまう腕を必死に抑えているのだから、危険は避けるべきである。
 これらは全て、以前の交際では起こらなかった心理の動きであったが、そこに疑問を抱くような心理的余裕はなかった。つまり単に少しでも長く見ていたかった、というだけのことであり、キャンプで資金を使い果たしていたため、それ以外のことが出来なかった、というに過ぎない。
 つまり、まったく自覚は無いまま、健朗は浮かれていたのだ。
 しばらくして藤枝の多忙が収束すると、共に過ごす時間が増え、日々を非常な満足感と共に送りつつ、少し冷静になった健朗の思考はそれまでとは別方向に進んでいった。
 こうして順調(?)に交際がスタート(?)したのであるから、デートなどしたり、記念品などを贈ったりするべきでは無いか。寮内のあちこちで、この夏休みに彼女ができたと浮かれて話している連中を見て、そんなことを考えて始めていたのだ。
 藤枝が忙しくしているときに色々と調べてはいた。誰彼構わず情報収集もした。
 だが資金不足はいかんともしがたく、健朗はジリジリとこの日、剣道で遠征した際の費用が振り込まれる今日を待ち構えていた。
 どこへ行けば藤枝は楽しんでくれるだろうか、なにを贈れば喜んでくれるのか、考えまくって脳が焼き切れそうになりつつ、健朗にできうる限りの手を使って情報を集めた。ことの重大さにかんがみ、健朗はあの姉崎にすら頭を下げた。嬉しそうに笑う姉崎に、交換条件として若干を語ることを余儀なくされてしまい、さらに偉そうに情報を提供されたのだが。
 健朗は笑顔を黙然と睨みつつ、致し方ないと自分に言い訳をした。
 それは我ながら度しがたい欲望によるものだった。なぜならあれから二週間以上が経過し、性的欲求が限界に達しようとしていたのだ。
 奇しくもこの日、藤枝の講義は3限のみである。申し訳ないがそれは休んでもらうことになる。けれど致し方ない。我慢の限界が卑近に迫っているのだ。藤枝が怒ったなら、甘んじて受け止め謝罪するしかない。そう心に決め、予定を練り上げた。
 地図を睨み、移動経路と移動時間を算出、経費の計算も済ませている。
 資金も手にした今、脳内を去来するもろもろには沈黙を命じ、万全の準備を整えた、という自負と共に、健朗は339のドアを蹴り開ける勢いで部屋に飛び込み、ぽかんと見返す藤枝に笑いかけた。
「藤枝。出かけるぞ」


  *

 洗面を済ませ部屋に戻って、ある資料に修正を加えて見やすくする作業をしてた。
 午前中は講義のない日で、そういうとき朝メシは朝練から帰った丹生田と一緒に行くんで、それまでヒマだったんだ。
 なんで先日サークルで1年生に質問され、
「そんくらいのことは分かってねーと話になんねえよ」
 と自分で調べるよう指示したの思い出して、そんだけだとわけ分かんねえまんまになりがちなんで、後で渡してやる資料つかリストを作ってたのだ。
 マーケティング研究会は、相変わらず『もっともドSなサークル』の称号を返上しないまま活動を続けている。
 毎年1年生が入ってくると、どこから聞いて良いのか分からなくなって混乱するのが続出するのだが、それは基本的な理解がないと、やってることが意味不明だからである。
 とはいえ先輩は簡単に教えてやったりしない。そんなヒマのある奴はいないし、自助努力をしない奴はついて来れないのが『マーケティング研究会』なのだ。教えて貰おう、なんて受け身な奴はいずれ続かなくなるのが見えてるから、安易に教えたりはしないのだ。
 が、親切な先輩が皆無なわけではない。
 かつて1年生だった頃、一人の先輩がコソッと渡してくれたリスト。どこにどんな資料があるか、学内だけでなく、色んな図書館やウェブサイト等まで網羅してある一覧。それもらって、かなり助かった記憶がある。
 なんで質問してきた1年に渡してやろうと思いついて、当時貰ったファイルを探し出し
「懐かしいなあ」
 なんて目を通してたら、少し変わっている部分もあると気づいたんで、そこんトコ手を入れ、ついでに見やすくしちまおうってんで、その作業をしているのだ。
 というわけでPCに向かってたんだけど、いきなり勢いよくドアが開いて、ビクゥと目を向けたら、珍しくハアハア息を乱してる丹生田が立ってて、なんだか嬉しそうに言った。
「藤枝。出かけるぞ」
 ポカンとくち開いたまま、「……うん、いいけど」とか、なんとか返す。
「どこに行くんだよ」
「任せろ」
 なにを? と思いつつ、なぜか自信に満ちてるっぽい笑顔を見返して、まあいいか、とコクコク頷く。なんにせよ、丹生田が楽しそうだし、どうせヒマなんだしイイじゃんそれで。
「おっけ。ンじゃまず食堂行こうぜ。メシ食ってから……」
「いや」
 丹生田は目を細め、「用意をしろ」とだけ、低く言った。
「え。だってメシ……」
「大丈夫だ」
 キャンプで山歩きしてたときみたいな、自信満々風味な丹生田は、やっぱなんだか嬉しそうだった。相変わらず言葉は少ないけど、丹生田がこう言うときは大丈夫なんだ、つうのは、あのキャンプで学んだことだ。
 だから慌てて服を着替え、珍しくも待ちきれない様子で待ってた丹生田と寮を出たのだった。
「つか、どこ行くんだよ」
 黙したままずんずん進む丹生田に並んで進みつつ声をかけると、一重の鋭い目が細まり、くちを開こうとして「…………」僅かな逡巡の後それは閉じられた。
「おい」
「まずはメシだ」
 低く言った丹生田の視線が向けられ、その顔が優しい笑みを浮かべていたのでドキッとしてしまい、言葉はよどむ。
「う、うん」
 すると丹生田は笑みを深め、「大丈夫だ」と言った。
 うわーなんだろコレ。めちゃカッコイイじゃん。
 なんてポーッとしてしまいつつ聞いた。
「なんだよ、なんか考えてんのか」
「ああ」
 しっかり頷いて前を向いた横顔を見つめながら、まあいっかと思考を放棄する。
 そうだよ、ゼンゼンいいじゃん。
「そっか」
 なんつってニカッと笑う。
 だって丹生田とお出かけなんて久しぶりなんだし、部屋にいるより気まずくねえし、問題ないどころかイイ感じなんじゃね?
「なに考えてんだよ~。言えよ丹生田、珍しく企んでる顔しやがって」
 ニヤニヤしながら言ったら、丹生田はまた笑んだ目線を寄越した。
「楽しみにしていろ」
 一気に楽しい気分になり、「腹減ったぁ~」と叫んだのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜 ・不定期

料理屋「○」~異世界に飛ばされたけど美味しい物を食べる事に妥協できませんでした~

斬原和菓子
ファンタジー
ここは異世界の中都市にある料理屋。日々の疲れを癒すべく店に来るお客様は様々な問題に悩まされている 酒と食事に癒される人々をさらに幸せにするべく奮闘するマスターの異世界食事情冒険譚

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる

風見鶏ーKazamidoriー
BL
 秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。  ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。 ※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...