意地っ張りの片想い

紅と碧湖

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幕間3

じゅんや君とまさし君

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 橋田雅史は、今日も情報提供者の部屋へ向かった。
 だいたい十日か一週間に一度くらいの頻度で通うようになって約一年。情報があると言ってくるたびに、雅史は三階の役員室へ顔を出す。
 ドアにかけてあるホワイトボードには『本日貸し切り/急用は下記へ』と携帯番号が書いてあった。部屋の主の寮専用携帯だ。役員をやることになってわざわざ購入したって聞いた。そういうことまで考えて準備しておくのって面倒だろうに、コイツは意外とマメな奴なのだ。
 ドアを開けると、良い匂いがした。
 一年がコーヒーを落としてる。
「あ、お疲れ様です。先輩の分もありますよ」
 ニコッと声かけてきた、この一年は淡島という。
「うん」
 雅史は一言だけ返して部屋の主へ視線を向けた。
 部屋がきれいだ。掃除直後なんだな、と思いつつ入っていくと、部屋の主、姉崎は椅子に座ってテキストを読んでいた。
 普段の様子だけ見ればヘラヘラ遊んでるようにしか見えないが、なにげにこいつの勉強量は多い。読み込んでるテキストが英語だったりするので最初は驚いたが、聞いたら『英語の方が楽なんだよね』と言っていた。時々集中してしまうらしく、声をかけても気づかなかったり、上の空で返る言葉が英語だったりする。
 姉崎はテキストを読みながら、上の空な声音で言った。
「淡島、それ終わったら」
「分かってます。三杯分落としてますから少し待って下さい」
 淡島の毅然とした口調を意に介する様子もなく、「了解」と呟くように言った。手元に目を落としたままだが、淡島は気にしていないようだ。というかコーヒーに真剣だ。
 淡島は雅史も通っていた喫茶店のマスターと仲良くなって、すぐに話し相手が嬉しいマスターのお気に入りになった。『古いのでも良ければあげるよ』とコーヒーミルとかドリッパーなんか、年季が入った感じのを大量にもらっていたとき雅史は見ていたが、大げさなくらい喜んでいた。
『良かったねえ、そんな嬉しいんだ』
 そして姉崎もその場にいたのだ。
『はい! マスターがいれるみたいな美味しいの、俺もできるようになりたいです』
『そうかあ、じゃあそれ好きなときに使いたいねえ。でも三人部屋じゃ無理だよね? お湯も自由に湧かせないんだもの。う~ん、それじゃあ、ねえ淡島? 僕の部屋に来て好きなだけコーヒーと戯れてみる?』
『え、良いんですか』
 ここ、役員室はキッチンがあり湯を沸かせるし、冷蔵庫だってある。しかも現時点で、寮でたった一部屋のエアコン付き。魅力的な申し出ではある。だが親切でそんなことを言う姉崎ではない。
『もちろんただでなんて言わないよ、交換条件は必要だよね。その方が君も気楽でしょう』
『そ……そうですね』
『了解。で、君は僕にどんなメリットをくれるの』
 そう問われて、淡島は部屋の掃除を提案したのだという。
 ここがゴミために近かったから、自分のために、と淡島は思って言ったのだろう、と雅史は推測している。そして姉崎はおそらく、その言葉が自然に出るよう誘導したのだ。
 そして淡島はこの部屋を定期的に掃除するようになり、コーヒー道具は全部ここに置いてある。淡島が持ち込んだ小さな食器棚に、きちんと整理されて。
 そんな風にコイツは、ひとを思い通りに動かすことを楽しむのだ、と分かって来ていた。
 雅史はいつも使うデスクへまっすぐ向かい、愛用のラップトップを設置した。今年購入したのだが、非常に使い勝手が良く、気に入っている。このほかにタブレットとラップトップが二台ある。
 三杯のコーヒーを落とし、自分の分を蓋付きのマグに入れて、器具をきちんと洗ってから「失礼します」と淡島は出ていった。
「お疲れ~、またよろしくね~」
 なんて声をかけてる姉崎と雅史のコーヒーも、それぞれのかたわらに置いてある。できた後輩だ。
 ちなみに姉崎は来年度、副会長をやることが決まっている。そして雅史も監察の副部長と執行部の副会長、どっちをやると迫られている。正直言うとどっちもやりたくない。以前より落ち着いたとはいえ、学びたいこともあるし、暇では無いのだ。
 だが、どうしてもやらなければならないなら副会長の方が良いかな、とは思っている。副会長は一人部屋だと聞いたからだ。そうなったら淡島に部屋の掃除を頼めないかなあ、と思っているのは内緒だ。姉崎に知られたら阻止されるに違いない。
「さて。どこら辺から聞きたい?」
 テキストを閉じ、コーヒーに手を伸ばしながら、姉崎がニッと笑った。
「先にいつものを。時節柄、執行部リクルートのあたりも」
 ラップトップに向かったまま、淡々とした声を出す雅史に、姉崎は「了解~」と朗らかな声を返して
「じゃあまず健朗の方からね」
 ニッと笑った。
 そう、雅史は姉崎から、寮内の情報を定期的に得ているのだ。これはお互いメリットがあると認め合った上でのギブアンドテイクである。


 恋愛心理経過観察。
 かつて同室の二人に向けて行っていた雅史の行動を、こいつは『非効率的だね』と一刀両断した。
 二年に上がる少し前のことだ。
 雅史が二人や周囲の連中を観察の目で見ていることに、姉崎は気づいていて、それを無駄の多い行動だと言ったのだ。そして当時かなり忙しい思いをしていた雅史はムッとした。
『効率の問題じゃないよ』
『でもさ、全ての場面にいられるわけ無いじゃない。空白部分を推測で埋めるには、橋田って経験不足なんじゃないかなあ。得られる情報が偏っちゃうよ』
『確かにその一面はあるね。けど僕が知りたいものには表情や声の調子も含まれる。それは自分自身で確認しないと』
『なるほどね~。けど橋田っていつも忙しいって言ってるじゃない。時間を節約したいとは思わない?』
『つまり提案があるんだね』
『そういうこと! こう見えて僕って、人を見ちゃうんだ、かなりね。特に健朗と藤枝には注目してるから、おいしい情報持ってると思うな』
 妙に自信満々な様子に、少し眉を顰めて雅史は聞いた。
『たとえば』
 姉崎はわざとらしく声を低め、囁くような声を出した。
『健朗が自覚し始めたよ』
 まさか。
 最初に思ったのはそれだったが、根拠のない噂話を叩き潰すことを日常としている姉崎は、意外に公正なのだ。自分で根拠があやふやだと思うときは、あきらかにそうだと知れる言い方をするし、嘘は嫌いだと言っていたこともあった。
 ゆえに雅史は、用心深く表情を観察しながら聞いた。
『どういう根拠でそう思うの』
『思ったんじゃないよ、知ってるんだ。だって健朗本人が僕のとこに相談に来たんだから』
『なるほど』
 確かに、自分では知り得ない情報だ。
 分かりやすい藤枝と違い、丹生田側の心理はまったく分からないままだった。まして藤枝の片想いだったんじゃないのか? という疑問も湧いてくる。
 ぜひ聞きたい。聞くべきだ。
 しかし。
 脳の片隅で危険信号が明滅している。雅史は冷静な目を向けた。
『ふうん。で、それを僕に教えてくれるのはなぜ』
『橋田のことも知りたいから』
 つまり姉崎から見て、雅史自身が興味の対象になっているというのだ。
『君が僕のなにを知りたいのか分からないけど、どういう目的なのか、聞く権利はあるよね』
『もちろん!』
 愉快そうに笑いながら、雅史を探るような目で見てる。
『まあ、橋田は余計なことベラベラ言わないだろうから教えてあげるけど』
 さっさと言え、という思いを視線に込め、雅史も言った。
『ずいぶんもったいぶるね』
 ククッと笑いながら、姉崎はきらりとメガネの奥の目をきらめかせる。
『そういうところが面白いと思うわけ』
『漠然としすぎだね。具体的にどういうところなのかな』
『つまりね、僕はとっても欲張りなんだ。面白いことが起こってるならなんでも知りたい。面白い奴のことも知りたい。まあ、一種のコレクションかな』
 言葉を切って肩をすくめる仕草は、いつもながらハリウッドかよとツッコみたくなる。
『前は金で買えるものを集めてたんだ。けど、そういうのってすぐ飽きちゃうんだよね。けど人間、特に面白い奴って予測を外してくるから、なかなか飽きない。だから橋田みたいに利用目的があるってワケじゃないの。楽しいことが好きなんだよ。毎日楽しい方が良いに決まってるし、なんだって楽しんだモン勝ちだろ? 橋田はなに考えてるか分かりにくいからさ、僕はすごく知りたいんだよ』
 ニッと笑う顔を見つめながら、雅史の目もメガネの奥でキラッと光った。
 なるほど、姉崎の行動原理はコレか、と納得したのだ。
『標も面白いよね。広瀬や伊勢、幸松や、面白い奴たくさんいるでしょ。来年は執行部に入ることになったし、先輩たちにも面白いのがいるかも知れない』
『……そこら辺の情報は、僕も聞けるのかな』
『いいよ。守秘義務に引っかからない範囲でね』
 自慢げに笑む姉崎を半目で見やり、腹の奥に(なにが守秘義務だ)と言うツッコミを押さえ込みつつ、雅史は言ったのだ。
『……うん、確かにメリットはあるようだね』
 そんなわけで、ギブアンドテイクで情報を得るようになってもう一年になる。
 言ったことに嘘は無く、姉崎は実に人を見ていた。表現力にこそ難はあるが、質問でツッコめばかなりの密度の情報が得られる。確かに効率は上がった。
 姉崎は丹生田情報を定期的に得ていて、実に興味深かった。
 あのむっすり顔でそんなことを考えていたのか、なんて思いながら、雅史はデータを集めていたのだ。

 そしてこの一年で、手がけていた執筆中小説の設定変更が一段落し、若干ではあるが時間に余裕が出来た。一時中断せざるを得なかった姉崎を経由しないデータ収集も、再開出来ている。
 それ以外にも、いくつか変化はあった。
 姉崎から、藤枝と一時期付き合っていた女子の情報を得た雅史は、同じ学部であることもあり、試しに声をかけてみた。女子側の恋愛心理を聞いてみたいと思ったからだ。
 深い話が聞けると思ったわけでは無いが、雅史が声をかけ自己紹介すると、その女子、水無月奈々はこう言った。
「橋田くん? 民俗学とか言語心理学とか興味あるって聞いたけど、そうなの? わたしも民俗学興味あるんだけど、史学も捨てがたくって、どっち行こうか迷ってるんだ」
「民俗学、興味あるんだ?」
 最初の目的を忘れ、聞いていた。志向が近いと聞いて、そちらに興味が湧いたからだ。
「わたしファンタジー小説が大好きで、色々読んだんだけどね、設定とか語源とか気になるじゃない? 神話なんかも読んだんだけど、そのうち史実をどれくらい入れてるかとか、風俗はどこから持って来てるのかとか、そこら辺気になって調べてみたらすごく面白くなっちゃって」
「へえ……」
 そこから好きな小説について語ってみると、水無月もなかなか読み込んでいて話は盛り上がった。
 自分とは興味の入り口が違っていて、会話が面白い。なので時々水無月と話すようになっている。女子とそんな関係性が成り立つなど、雅史の人生で初めてのことだ。これは大きな変化と言える。

 今回は部屋替えに伴う話が聞けた。
 来年度は二人部屋なので藤枝と同室になりたいかと丹生田に聞いたら『ぜひ頼む』と超乗り気だったこと。副会長を受ける代わりに二人の同室という要求を通し、すでに決定したこと、などなど。
 その際の次期会長、尾方の反応、卒業するのに『なにを企んでいる』とか庄山がうるさかったことも、姉崎はよどみなく語った。
 無言のまま叩き続けるキーボードの音が言葉を追い、客観的なデータを蓄積していく。語りが終わると、雅史から質問を向ける。これもいつものことだ。
 はぐらかすような言い方で返ることも多い。しかし望む答えが返らないと、雅史は手を止めて振り返り、姉崎をじっと見つめる。
「了解了解、トップシークレットだよ」
 なんて言いながら付け加えてくる。もったいぶってるんじゃない、と少し苛立ちつつ、雅史はそれも打ち込んでいく。
 今回の情報収集が終了し、雅史はようやくキーボードを叩く手を止め、コーヒーに手を伸ばす。すっかり冷めていた。
「そう言えば、君は寮祭を復活させたいって言ってるんだって?」
「そう。副会長受ける条件に入れたよ」
「役員受けるのに条件つける奴なんていないと思うけど」
「そうなの? なんでみんな言わないのかなあ。希望があるなら言えば良いのに。だって通るか通らないかなんて、言ってみなくちゃ分からないじゃない」
 姉崎は権利意識が強い。米国育ちらしいので、そのせいかもしれない。自分で履行出来る権利があるなら、余すところなく遣おうとする。そういうところは面白いな、と思い、(僕もなんか言ってみようかな)と雅史は考えていた。
「それにエアコン設置もね! 来年度はせめて二階だけでもつけちゃいたいところだけど。今まで兼任だった施設部も、来年度はそうも行かないからさあ。でもまあ、施設部の連中にはキッチリ言ってあるし、大丈夫だと思うよ。施設部と言えばさ、大田原さんは残るんだけど、内藤と武田を情報施設に取られちゃってるんだよね。あの二人使えるから、設置のときだけでも借りてこられるようにしたくてさ、色々動いてるトコ」
 上機嫌でしゃべってる姉崎に「色々って」と質問を放つ雅史の中では、監察の副部長ではなく副会長を受ける方向に目盛り一つほど傾きが変化していた。
 こいつの言いなりになりたくないなら、方法はただ一つ。
 同格になることだ。
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