意地っ張りの片想い

紅と碧湖

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3.橋田

36.足りないもの

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 話は高校生デビューした頃に遡る。
 香川さんと出会って読者を意識するようになった雅史は、それまであまり考えていなかった周囲の感情にも目を向けるよう、心がけるようになっていた。
 いままであまり人と交わらずにいたことで生まれていた弊害に遅まきながら気づいて雅史は愕然とし、改善を図ったのである。
 それまでも周りみなが色々考えているようだということを、うっすら理解してはいた。しかし興味が無くて放置していたことだった。
 そうして改めて大好きな本を読み返すと、物語の中のキャラクターたちも複雑な感情の動きを見せていたのだった。
 色々考えるのみの人々の中で、自分にできないことを明快に行動する主人公だから、みな好きになるのだ。つまりその他大勢に見えていた人々は、なにも考えていないのではない。さまざま考えている、それが読者なのだ。そういうことに、ようやく雅史は気づいたのだった。
 そしてその気づきは雅史に知らしめた。自分は、読者が共感するような感情の動きを書くことができていないのだと。ゆえになに考えてるか分からないなどと言われてしまうのだと。
 何故こうなっているのか、と考え、もっとも大きな問題は今までそこに興味を持っていなかったことなのではないかと結論づけた。というか、そう考えるしかないのだが、考え方がちょっと変わったくらいで一朝一夕で理解出来ものではなかった。
 自分の中の感情の動きを探ってみたが、あまり参考にはならないと放棄した。今まで書いていた中で自分のなかにあるものは書いていたはずなのに共感を呼ばなかったのだ。つまり自分は一般的では無い。
 周りを見てみても、家族は陽気すぎて、やはり一般的ではない。学校で見渡してみても、考え方が分かるほど話すような相手はいなかった。とはいえ分からないと投げ出すなどできない。
 ではどうするか。
 感情が理解出来ないならば、客観的に見えるものを観察し取材していくしかないのではないか。現象を観察し描写することは出来る。当面それを突き詰めていこう。
 などと考えを進めていた雅史に、気づいた者がいた。
 名前も分からないその女子は、中学の同級生。良く図書館で一緒になったから顔は覚えてた。
 学校帰り、バスを降りて家へ向かう途中、声をかけてきた。
「これ、あなたでしょう?」
「……まあ」
 見せられたのは雅史の受賞作が載った雑誌で、いつものように顔には出さなかったけれど、内心ちょっと汗をかいた。まさか賞なんて取ると思ってなかったから、普通に本名で応募してしまっていたのだ。
 雅史はずっと、目立つのが嫌いだった。ひっそりと好きなことだけしている方がメリットあるし楽だと思っていたからだ。逆にその言動が目を惹いて遠巻きにされてたなんて、自覚が無かっただけなのだが。
 ともかく、男子校に通う身で、バス停近くでで女子と話すなど、非常に目立つ行動だということは分かる。このあたりにも同じ学校の奴はけっこういるのだ。
 傍観者でいなければ自然な状態の観察なんてできない。周囲を観察してみようと考えていた矢先に変な注目を浴びるのは避けるべきだった。
「あ~……できればこのことは」
「内緒にした方が良いの?」
「そうだね、その方が助かるね」
「わかった、絶対誰にも言わないよ。けど私はいいよね?」
 ニッコリそう言ったその女子に頷いた。いいもなにも、既に知っているのだから忘れろと言えるわけもない。
 それから彼女は良く声をかけてきた。せっかくだから好きな物語の話もした。良く図書館で見た顔だし、あの雑誌を読んでるなんてかなり好きだと思ったし。けれどそこまで話は盛り上がらない。しかしここで挫けるわけにはいかないと奮起した。今までは面倒だと思った時点で考えることを放棄していたのだ。今後は変えていこうと思っていた矢先である。雅史はなんとか話題を考え、少しは話が続くようになる。
 やがて彼女は校門近くで待ち伏せするようになった。男子校の校門に女子が待ってるなんて、すぐ噂になる。同級生が囃してくるし、面倒だなと思ったが、そういえばキャラクターの情報を集めると決めたのだと思い直し、囃してくる連中に取材がてら色々聞いてたら、逆に逃げられた。
 その後も彼女から話しかけられれば答えたし、邪険にしたつもりはない。誘われて一緒にカフェに入ったこともある。むしろ今までしていない経験をするチャンスだと考え、誘われればたいていのことに付き合った。今すぐ書きたい状態になるときなど、話半分にガリガリとメモしたりしたことはあった。そんなときは声をかけられても聞こえないなんて事もあったけれど。
 その女子はいつの間にかいなくなった。
 しばらく見かけないなと思っていたある日、バス停で見かけて、この子だったよなと見ていたら、あからさまに目を逸らされた。
 つまりいきなり親しげにしてきた相手に、唐突に嫌われたようなのだ。なにが起こってそうなったのか、まったく分からない。
 女子は謎だと思い、それ以降は本名を出さないようにしようと決心した雅史はペンネームを決めることにして、本名から最も遠い名前にしようと頭を捻った。


 そして今、なに考えてんだか不明な丹生田の目の前でやたらはしゃぐ藤枝、それを茶化す姉崎がいる213で、雅史はひとり頷く。
 おそらく今、彼女のことを思い出したのは、無自覚だったけれど、実は雅史の中でわだかまっていたものを自覚し、妙にスッキリしたからだ。
 先日、藤枝の発言から得た衝撃から、そして今の回想が勝手に脳内に展開したことから、かなり確かと思える推論が立ったことによる。
 およそ観察眼に乏しいはずの藤枝が、分かりにくい丹生田を『分かりやすいじゃん』と言う。つまりここで、好きな相手に対する時、本来持っている能力以上のなにかが発動するのだという仮定が成り立つ。先日はそんな理不尽があってたまるかという思いが邪魔をして、冷静ではなかったが、これを認めるとすると。
 雅史自身、丹生田のことを言えない。『考えていることが分からない』とよく言われるのだ。
 にもかかわらず、あの女子に考えていることを読まれたのだとしたら。そこに先ほどの推論を適用すると、彼女は雅史のことを好きだと思っていた可能性がある。
 あの時期、彼女が雅史に向けて、あの不可解としか言いようのない力を発動していたならば、雅史の考えが読み取られたかも知れない。
 であれば、いつの間にか嫌われていたのも当然だと雅史は納得した。
 なぜならその時思っていたのは、
『ああ面倒くさいなあ、ちょっと黙っててくれないかなあ』
 そんなことだったのだ。
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