意地っ張りの片想い

紅と碧湖

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2.丹生田

13.拓海の混乱

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「まあ、軽蔑されたらとか気にしてるんだろうけど、そんな心配は不要だから」
 淡々とした声の調子に瀕死のパニックから少し回復しつつ、一番怖いことを聞いてみる。
「に、丹生田は気づいてない、……かな?」
「たぶんね」
 やっぱり淡々と声が返り、それにはめちゃホッとした。
 ようやく息を吸えた気がして、酸素不足を補うべく何度も深呼吸する。
「百パーセントじゃないよ。彼、表情が読みにくいし」
 なのにまた心臓をぶっさす言葉。分かりにくいのはおまえの方だろ! と橋田に理不尽な怒りを覚えながら、「そ、そうか?」なんとか呼吸を整えつつ言った。
「丹生田って分かりやすいじゃん」
 怒ったみたいな顔になりがちだけど、照れてるとか実は嬉しいとかビビってるとか、けっこう分かりやすいんだ。だから可愛いんだけど。
「へえ?」
 すると橋田は、彼にしては珍しく目を見開いて、つまり表情を変えて「……なるほどね」と呟いた。
「そういうものか。なるほど」
 ぶつぶつ言いながら、いきなりデスクに向き直り、猛烈な勢いでキーボードを叩きはじめる。時々傍らのノートに何やら書き付けたりとせわしなくなった。
「……なにしてんの?」
「生態観察メモ」
「えっ?」
 聞き間違いかと思い「もっかい言って?」と重ねたのに目もくれず、橋田は打ち込みとメモを続けている。
「資料を漁ったって無駄なはずだ。なんだこの不条理。こんなの想像で書けるか」
(書けるか? え?)
 橋田はすぐ横で目を白黒させてる俺を、まったく関知していないかのように呟く。作業に没頭してしまっているようだ。
「なるほど些細なことでも気づくというわけだ。およそ観察眼に乏しいくせに好きだからそれだけは分かる、他は全然分からないくせになぜだ? むうう論理じゃないな。ここに論拠を求めるべきじゃないのか? だが整合性が……」
「あのー、橋田? なに言って……」
「恋愛心理経過観察、まさか男子寮で可能だなんて、ほんとラッキーだった」
 淡々と表情を変えずにペンを動かしキーボードを叩きながら、トリップでもしてんじゃないかってノリで呟き続ける橋田はなんか怖い。とりあえず彼から目を引きはがして、唐突に喉が渇いていることを思い出した。
「あの、俺ちょっと出てくるね」
 椅子を立ち、革ジャケットを掴んで言ったが橋田はこっちに目もくれない。存在全否定されたみたいな、妙な敗北感と共に部屋を出た。
 とりあえず混乱してたし、このまま橋田と二人の部屋じゃ正気を保てない気がしたし、それにマジで死にそうに喉がカラカラになっていたのだ。
 出る時にちらっと見ても、橋田は「実生活で観察してみるしかないという判断は正しかった」とかぶつぶつ言いながら夢中になって書き続けていて、コッチの行動に気づいていないようだった。
 二階の中央を端から端まで縦断してる廊下の真ん中あたりには炊事場がある。
 そこにはコンロや水場の他、大きな冷蔵庫が二つあって、寮生はそこに私物を入れておける。記名しておけば誰も手を付けない、つう約束だが、他の奴のものを飲んだり食ったりする者もいないわけじゃないらしい。それでもめてる奴も実際いたけど、いまのところ俺は被害にあってない。買い置いていた1.5リットルのペプシは無事だった。
 それを持ってよろよろと階段を降りる。混乱した頭を落ち着けたい、とにかく一人になりたくて外へ出ようとジャケットを持ってきたが、階段を降りると、玄関前には数人がたむろしてた。どうやら女の子もいるようで、やたらはしゃいだような声や笑い声が聞こえてきて、アレの中を素通りして出るのも気が進まないと、玄関前を右に曲がった。
 その先には娯楽室があり、先を右に曲がると浴室、さらに進むと食堂だ。娯楽室は小さな体育館といった感じの広い部屋で、TVやオーディオ、各種ボードゲームとソファ、なぜかピアノと卓球台まである。寮の部屋でテレビを置けるのは一人部屋だけで、執行部役員か四年生でないと一人部屋は当たらないから、湯上がりにここで寛いでいる奴だけでなく、テレビを見に来る奴も多い。
 けど風呂は二十二時半で終わるし、ドアの向こうは暗かったので、誰もいないだろうと思った。とりあえず一人になりたかったから好都合だとドアを開けると、暗い中でテレビの画面だけが光って、その前に一人いた。
 ソファに座るだらしない姿勢とボリボリ食べているチョコバーで標だと分かる。いつここに来てもいるなあとぼんやり思いつつ灯りを付けて「ばんわー」声かけたら、すると標はうっそりとこちらを見た。
「藤枝くん」
 さっき橋田にガン無視された痛手が、名前を呼ばれたことで少し復活した気がした。思わずホッと息を吐いて、標が座る隣のソファに倒れ込むように座り、ペプシをごくごく飲んだ。
「疲れてる?」
「いやべつに……。つうかあんたってテレビ好きなの?」
 何も聞かれたくなくて問いを向けると、標はあっさり興味を失ったようで、「うん」と声を返しつつ、またテレビへ視線を戻しチョコバーを囓る。相変わらず欠片をぼろぼろ零しているが、いつものように気にしていないようだ。
 一人になりたかったのに、標がいても、あまり気にならない。
「聞くまでも無いよな。そんだけ見てるんだから」
 ぼそっと言うと、標もくちをモゴモゴさせながら呟いた。
「部屋にテレビ無いなんてありえない。寝てる時以外見るでしょ」
「え、そうなの?」
 なんとなく意外で聞き返す。
「…でも総代やったって事は主席だよね、入試」
「知らない。けどそうらしい」
 らしいって……と戸惑いつつ「猛勉強したんじゃないの?」と問うと「してない。勉強って好きじゃないし」と声が返ってビックリした。
 俺は受験前、勉強しまくった。塾にも通ったし、半年くらい家では一日十二時間くらい勉強してた。まわりもみんなそんな感じだった。
「好きじゃなくても勉強しただろ? じゃなきゃ、トップ合格とか無……」
「してない」
 食い気味に素っ気ない語調で言い切られ、テレビから目を離さない横顔を見つめた。勉強してない奴に負けたわけだ、と思うと「……はは」乾いた笑いが漏れる。
 標とはあまり話した事が無かった。いつもただテレビを見ているだけだし、欠片を零したのを始末してやっても礼ひとつ言わなくても、夢中になっているのが分かるから感じ悪いと思ったことはない。なんとかと天才は紙一重、とか言ってる奴がいるのも知ってるけど、つかみ所無いだけで害は無いと思ってた。
 けど苛立ってしまった。必死になってたあの一年間、全否定されたような感じ。
(俺だけじゃない、全国何百万って受験生の恨みを知れ)
 完全な逆恨み、しかも自分が全受験生を代表してるような気分になって低い声を出す。
「……勉強好きじゃないのに、じゃなんで大学来たんだよ?」
 しかも抜群の成績で。
 言外に含めたイヤミを感じていないのかどうでもいいのか、標は目線を動かすことなくニイっと笑う。
「行けって言われたから」
「好きじゃないのに勉強して?」
「覚えればいいでしょ? それなら得意」
 ぼく走るの得意だよ、と自慢する小学生みたいな口調で、標に悪意がないのは分かった。
(けど入試トップって記憶だけでいけるものかな)
 いや違うだろ、と考えていると、お構いなしに声が続く。
「考えるのは好き。テレビって情報が氾濫してるから発想広がるし」
 そう言いながら標はチョコバーをボリボリ囓る。目はあくまでテレビから離れない。認識されてない感じが、さっきの橋田と重なって、なんかいたたまれなくなる。
「あの、じゃあゆっくりみてて」
「うん」
「うるさくしてゴメン」
「いや」
 変な会話して、とにかく娯楽室を出た。
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