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Ep4.最後の晩餐、キンキの晩餐、シメの雑炊
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「ニイチャンたち、面白いな――よし、待ってれ」
父は立ち上がり台所へと向かった。戻ってきたその手には、たっぷりの白飯が入った器と刻んだ小ねぎがある。その組み合わせで気づいたらしい玖琉が、咲空に訊く。
「雑炊でも作るのか?」
「そうだよ。キンキのいい出汁が出てるからね、残った汁で雑炊を作るんだ」
鍋からキンキを引き上げ、キンキのエキスがたっぷり抽出された煮汁にご飯を入れる。こちらも味付けはシンプルで、醤油を入れるのみ。出汁に昆布が入っているが物足りなければ市販の粉末和風だしを少し足しても良い。米が出汁を吸ってふくふくとしてきたら、火を止め、ねぎを散らして完成だ。
引き上げたキンキの身をつまみながら、雑炊を食べる。これのなんと贅沢なことか。
雑炊まで気に入ったらしいアオイが神妙な面持ちで言った。
「もっと食べたかった……」
「ちょっと季節が早いので小さいのばかりなんです。貯蔵庫には大きいキンキがいたんですが……」
それを聞いたアオイの目が光る。
「じゃあこうしましょう。札幌に戻ったらまたサクラちゃんに作ってもらう――ということで、玖琉はそれ以上食べるのをやめて、残りを僕に回してください」
「どうしてそうなるんだ。お前こそ遠慮しろ」
「じゃあ僕、玖琉の過去失敗談とか恥ずかしい話を披露しますね。聞いてくださいよサクラちゃん、玖琉ってば昔――」
「やめろ! 変な脅しをかけるな! 咲空を巻き込むな!」
一つのテーブルで美味しいご飯を囲む。それだけで、少しずつだがみんなの表情が解れてきた気がする。アオイと玖琉はぎこちなさはありつつ、展望台で見せた険悪な空気は消えていた。
二人の様子にほっと安堵したところで、咲空は父に声をかける。
「父さん。食べながら聞いてほしいんだけど」
今度は自分の番だと咲空は前を向く。父もまた咲空を見ていた。
「私、父さんのことがよくわからなくなってた。母さんが死んだ時だって来なかったし、私が専門学校に行きたいって言っても紋別にいろなんて言うし」
「……」
「でも聞いたんだ。父さんが来なかった理由、札幌行きを反対した理由も――私は、父さんの口からそれを聞きたかったけど」
「……そうか」
「だって話してくれないと何を考えているのかもわからない。どうしてだめなのかも教えてほしい。たまにでいいから、ご飯食べてる時に話をしようよ。困ったことがあったら相談だってしてほしい。私も父さんに相談するから」
その間ずっと、目を逸らすことなく父は咲空を見つめていた。表情に変化はないものの、まなざしが穏やかになっていく気がする。そして咲空は、頭をさげた。
「嫌いなんて言ってごめんなさい」
詰まっていたものを吐き出すように、言い終えれば喉がすっと楽になる。変な意地を張って突っかかっていたのがばかみたいに、気分が軽かった。
ゆるゆると視線を戻せば、父は瞳を細めてキンキが入っていた鍋を見つめていた。
そして、ゆっくりと。凝り固まっていたものが消えていく。父の唇が紡いだ。
「ここには母さんの墓もあるから紋別を出られねぇ。子供を守るのが親の役目だと思って札幌に行かねでほしかった――んでも、それは間違いだったな」
父が箸を置く。そして、静かに、消え入りそうな声で呟いた。
「湯煮、うまかった」
「……うん」
「母さんが作る味に似てた。お前も大人になっていたんだな」
父が、かすかに笑っていた。もう何年も見ていない、父の穏やかな表情。
心に足りていなかったものが埋まる音、生じるのは安堵。この数年間冷えていたものが溶けていくような、そんな温かさを感じた。
「船の計器の支払い残っているんだって? そういうのもちゃんと話して、相談してよ。家族なんだから」
父がひっそり続けている貯金のことは知らないふりをした。咲空は用意しておいた封筒をかばんから取り出し、父に渡す。
「……お前、これは」
「札幌で働いて貯めたお金。計器の残金がどれくらいあるかわからないけど、これも足してよ」
咲空用の貯金を崩せと言うことはできなかった。このまま知らないふりをしていたいと考え、咲空が選んだのは上京用の貯金を崩すことだった。ソラヤで稼いだので貯金はそこそこ貯まっている。計器の残金をすべて埋めることは難しいだろうが、いくらか足しにはなるだろう。
「それは上京用の貯金でしたよね? サクラちゃんの上京が遠のくんじゃ……」
「いいんです。ソラヤで働く方が楽しくって、まだ札幌にいたいので。それに上京したい理由なんて父さんから離れたいだけだったので、もういいかなって」
しかし咲空の父はそれを受取ろうとしなかった。
「いらん。引っ込めろ」
「私はもう大人だよ、少しぐらい頼ってほしい。父さんがいらないって言っても置いていくからね」
封筒と咲空を交互に見つめ――諦めたように息を吐く。おそらく娘に敵わないと悟ったのだろう。それほどに咲空の瞳は力強さを映していた。
父は立ち上がり、咲空に背を向けた。よくみればその肩がかすかに震えていて、父は泣いているのかもしれない。その姿を見せまいとしているのだろう。気づいてしまったけれど知らないふりをしたのは、咲空の瞳の奥も熱くなっていたからだ。
「咲空、お前も飲むだろ。そこのニーチャンたちも飲むか?」
父の問いがアオイと玖琉に届く。返答は待たず台所に消えていったことから、飲ませるつもりでいるらしい。
玖琉はいいとして問題は――せたなで泊まった時を思い出すと同時にアオイが歓喜の声をあげた。
父は立ち上がり台所へと向かった。戻ってきたその手には、たっぷりの白飯が入った器と刻んだ小ねぎがある。その組み合わせで気づいたらしい玖琉が、咲空に訊く。
「雑炊でも作るのか?」
「そうだよ。キンキのいい出汁が出てるからね、残った汁で雑炊を作るんだ」
鍋からキンキを引き上げ、キンキのエキスがたっぷり抽出された煮汁にご飯を入れる。こちらも味付けはシンプルで、醤油を入れるのみ。出汁に昆布が入っているが物足りなければ市販の粉末和風だしを少し足しても良い。米が出汁を吸ってふくふくとしてきたら、火を止め、ねぎを散らして完成だ。
引き上げたキンキの身をつまみながら、雑炊を食べる。これのなんと贅沢なことか。
雑炊まで気に入ったらしいアオイが神妙な面持ちで言った。
「もっと食べたかった……」
「ちょっと季節が早いので小さいのばかりなんです。貯蔵庫には大きいキンキがいたんですが……」
それを聞いたアオイの目が光る。
「じゃあこうしましょう。札幌に戻ったらまたサクラちゃんに作ってもらう――ということで、玖琉はそれ以上食べるのをやめて、残りを僕に回してください」
「どうしてそうなるんだ。お前こそ遠慮しろ」
「じゃあ僕、玖琉の過去失敗談とか恥ずかしい話を披露しますね。聞いてくださいよサクラちゃん、玖琉ってば昔――」
「やめろ! 変な脅しをかけるな! 咲空を巻き込むな!」
一つのテーブルで美味しいご飯を囲む。それだけで、少しずつだがみんなの表情が解れてきた気がする。アオイと玖琉はぎこちなさはありつつ、展望台で見せた険悪な空気は消えていた。
二人の様子にほっと安堵したところで、咲空は父に声をかける。
「父さん。食べながら聞いてほしいんだけど」
今度は自分の番だと咲空は前を向く。父もまた咲空を見ていた。
「私、父さんのことがよくわからなくなってた。母さんが死んだ時だって来なかったし、私が専門学校に行きたいって言っても紋別にいろなんて言うし」
「……」
「でも聞いたんだ。父さんが来なかった理由、札幌行きを反対した理由も――私は、父さんの口からそれを聞きたかったけど」
「……そうか」
「だって話してくれないと何を考えているのかもわからない。どうしてだめなのかも教えてほしい。たまにでいいから、ご飯食べてる時に話をしようよ。困ったことがあったら相談だってしてほしい。私も父さんに相談するから」
その間ずっと、目を逸らすことなく父は咲空を見つめていた。表情に変化はないものの、まなざしが穏やかになっていく気がする。そして咲空は、頭をさげた。
「嫌いなんて言ってごめんなさい」
詰まっていたものを吐き出すように、言い終えれば喉がすっと楽になる。変な意地を張って突っかかっていたのがばかみたいに、気分が軽かった。
ゆるゆると視線を戻せば、父は瞳を細めてキンキが入っていた鍋を見つめていた。
そして、ゆっくりと。凝り固まっていたものが消えていく。父の唇が紡いだ。
「ここには母さんの墓もあるから紋別を出られねぇ。子供を守るのが親の役目だと思って札幌に行かねでほしかった――んでも、それは間違いだったな」
父が箸を置く。そして、静かに、消え入りそうな声で呟いた。
「湯煮、うまかった」
「……うん」
「母さんが作る味に似てた。お前も大人になっていたんだな」
父が、かすかに笑っていた。もう何年も見ていない、父の穏やかな表情。
心に足りていなかったものが埋まる音、生じるのは安堵。この数年間冷えていたものが溶けていくような、そんな温かさを感じた。
「船の計器の支払い残っているんだって? そういうのもちゃんと話して、相談してよ。家族なんだから」
父がひっそり続けている貯金のことは知らないふりをした。咲空は用意しておいた封筒をかばんから取り出し、父に渡す。
「……お前、これは」
「札幌で働いて貯めたお金。計器の残金がどれくらいあるかわからないけど、これも足してよ」
咲空用の貯金を崩せと言うことはできなかった。このまま知らないふりをしていたいと考え、咲空が選んだのは上京用の貯金を崩すことだった。ソラヤで稼いだので貯金はそこそこ貯まっている。計器の残金をすべて埋めることは難しいだろうが、いくらか足しにはなるだろう。
「それは上京用の貯金でしたよね? サクラちゃんの上京が遠のくんじゃ……」
「いいんです。ソラヤで働く方が楽しくって、まだ札幌にいたいので。それに上京したい理由なんて父さんから離れたいだけだったので、もういいかなって」
しかし咲空の父はそれを受取ろうとしなかった。
「いらん。引っ込めろ」
「私はもう大人だよ、少しぐらい頼ってほしい。父さんがいらないって言っても置いていくからね」
封筒と咲空を交互に見つめ――諦めたように息を吐く。おそらく娘に敵わないと悟ったのだろう。それほどに咲空の瞳は力強さを映していた。
父は立ち上がり、咲空に背を向けた。よくみればその肩がかすかに震えていて、父は泣いているのかもしれない。その姿を見せまいとしているのだろう。気づいてしまったけれど知らないふりをしたのは、咲空の瞳の奥も熱くなっていたからだ。
「咲空、お前も飲むだろ。そこのニーチャンたちも飲むか?」
父の問いがアオイと玖琉に届く。返答は待たず台所に消えていったことから、飲ませるつもりでいるらしい。
玖琉はいいとして問題は――せたなで泊まった時を思い出すと同時にアオイが歓喜の声をあげた。
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