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Ep3.親子熊の涙もぬかぼっけも塩辛い

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 玖琉が浜で休むと言い出し、咲空は一人で沖の方へと泳いでいた。海は嫌いではない。一人だろうがまったく苦にならない。潜って魚や海底の様子を延々と眺めているのが楽しいのだ。

(小さな頃は母さんときて……その頃はまだ足が着かないところなんて泳げなかったから、浮き輪で引っ張ってもらってたな)

 まるで今日の玖琉のようだが、咲空が母と来た時はもっと岩場の、足なんて到底つかない深さのところだった。水中眼鏡で覗けば足よりもずっと下を泳ぐ魚が見える。海底には岩が沈んでいて、水ももっと透明に近かった気がしていた。思い出にフィルターがかかって美化されているのかもしれない。

(海水に浸かって、体の水分とか塩分が全部抜け出て、綺麗な景色の一部になっていくようだった)

 今は大人になってしまって、あの時のような感動はない。しかし泳いでいる時の肌に触れる波は昔と変わらず、やはり水分や塩分といったものが抜け出ていく気がする。
 まるで、変身だ。

(あれ、そういえば井上ちゃんが言っていた海神様のご飯って)

 そこで咲空は顔をあげた。

(塩抜き……しょっぱい魚を水に漬けて戻す、みたいな。水に漬けることを溺れると思ったのかもしれない?)

 変身して、塩辛くて、溺れて、お風呂に入る。それを言っていたのは井上たちだった。『溺れる』や『塩辛い』は塩抜きは近いかもしれない。
 塩抜きを要するとなれば加工した魚だろう。だが紋別で食べたすきみのように、魚を加工して長期保管させるのはよくある話。塩漬けやぬか漬け、干した魚か。

(魚の絞り込みはまだ難しいな……変身する魚、味だけでなく見た目が変わる? だとしたら……)

 ぼんやりとは見えてきたが、もう少しヒントを得なければ難しそうだ。



 陽が沈んでいく頃。水温も冷えてきたので海に入らず、のんびりと浜で過ごしていた。

「楽しかったね」

 咲空が言うと、玖琉は頷いた。

「来てよかったよ。念願だった海水浴も達成できたし、いつか来てみたかった道南にも来られた」
「本当はじっくり案内したかったのに、ごめんね」
「仕方ないよ。ちょっとの時間でも咲空と一緒にいられてよかった」

 なぜか、ちらりと窺った玖琉の横顔が大人びて見える。赤くなっていく太陽に照らされているからか、それとも咲空の気のせいか。

「……咲空に、言いたいことがあるんだ」

 すっ、と小さく息を吸い込んでから言ったそれは、今にも消えてしまいそうな震えた声で、咲空の心をざわつかせる。いつもと違う、男友達ではない何か別の玖琉が隣にいるような気がして。
 鼓動が、急く。

(アオイさんがデートとかいうから変に意識しちゃうなあ……落ち着かなきゃ)

 この話が夕暮れでよかったと思うほど、咲空の頬が熱い。玖琉の顔も見れなくなって、いよいよ咲空は抱えた膝に顔を埋めた。

 そして。ついに玖琉が言った。

「もし、俺がいなくなっても――許して」

 消え入りそうな呟きと波の音が鼓膜を揺らす。想像とは違う、切ないものを感じさせるそれに、咲空は顔をあげた。
 玖琉は『もしも』と悪い冗談を口にする男ではない。深刻そうな顔をして、重大な話がありそうな切り出し方をしておいて、そしてこの宣言である。本気としか思えなかった。

「……いなくなる、つもりなの?」

 声が震えた。浮ついていた頭もぴたりと静まって、玖琉が告げた言葉の意味を理解できない。そんな咲空の頭に、あたたかな手のひらが落ちた。宥めるように優しく微笑んで咲空の頭を撫でている。

「咲空が上京をしたいのと同じで、俺にもやらなきゃいけないことがあるんだ」

 同じバイトをしていて仲良くなったこと。隣の部屋に住んで何度も行き来したこと。思い出が蘇って泣きそうになる。離れないでくれと言いたいのに、上京したい気持ちと同じだと言われてしまえば、咲空は口を閉ざすしかない。

「……もっと一緒にいられたらよかったのにな。ごめん」

 いま玖琉の手を掴まなければ、永遠に離れて、会えなくなってしまうのかもしれない。離れていく恐怖が這い上がってきて、咲空の不安を呷る。

(離れてしまったら絶対寂しくなる。そんなのいやだ)

 その手を取る勇気はでず、咲空は泣きそうな顔をして玖琉を見つめるだけだった。

***
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