35 / 85
Ep2.故郷のすきみはかたくてほぐせず
2-15
しおりを挟む
居間に戻れば、テレビも点けずに父が待っていた。眉間に皺を寄せて腕を組んでいる姿から、あまり機嫌はよくないのだろう。察した咲空は素通りをして家を出ようとしたが――
「待て」
黙って出て行くことはお見通しとばかりに引き止められ、渋々座る。居間には父が使っているボロのソファしかなく、咲空とアオイはストーブを挟んで向かい側の床に腰をおろした。
目を合わせることさえ気まずく、居間はぴりぴりと張り詰めた空気に包まれていて、ストーブの熱気も届いてこない。
「札幌で仕事してんのか?」
沈黙を破ったのは咲空の父だった。
(やっぱり『おかえり』は言わないんだな)
落胆と苛立ちと。複雑な気持ちを抱えながら咲空が冷たく言い放つ。
「働いてるよ」
「どこで働いてんだ?」
「そんなの関係な――」
関係ない、と続けるつもりがそれを遮ったのは隣に座るアオイだ。この緊迫した空気を読めていない男は、この場で一人だけニコニコ上機嫌である。
「僕の家で働いてますよ!」
「ちょっと、アオイさん!」
「だって本当のことだし。いつも僕に美味しい特製手料理作ってくれてるでしょ? 僕は朝昼晩とサクラちゃんのご飯を食べないと生きていけないよ!」
「ややこしい表現しないでください。ていうか『家』ってより『店』です」
確かにアオイはソラヤに住んでいるが、ここで『家』と喋ってしまえば誤解を生むだろう。おそるおそる父の様子を窺えば、案の定な反応で、眉間の皺がぐっと深くなったような気がする。
「なして、その男さ連れてきた?」
「アオイさんは仕事の――」
「そりゃサクラちゃんのパートナーですから!」
「ちがーう! 仕事の!」
父との関係が冷え込んでいるのもあって、札幌での状況を話すつもりはなかった。働いていることもどこでどんな仕事をしているのかも明かす気はない。それがこの結果である。アオイの発言を具現化するのならば爆弾が相応しいだろう。あれほど余計なことを言うなと注意したのに、アオイの行動は咲空の想像を超えていた。
「でも、毎日通ってるじゃん? あれ、この喩えだと通い妻?」
「変な言い方やめてください!」
ぎゃあぎゃあと二人のやりとりは続く。この時だけは緊張感も消えていた。
それを止めたのはアオイでも咲空でもなく、父だった。咳払い一つで場はしんと静かになり、その静寂を枯れた声が破る。
「……咲空」
ストーブ越しに、父が睨む。
「紋別に戻ってこい」
「……は?」
「札幌は遠すぎる。ろくな仕事もしてねえなら、さっさと紋別さ帰れ」
ぴしり、と氷が背中に刺さったように。体がじわじわと冷えていって咲空は動けなくなる。父の言葉は咲空にとって予想も、望んでもいないものだった。
咲空を抑えつけるような鋭い眼光。気圧されて生じた喉の渇きに、幼い頃父に叱られた時もこんな居心地の悪さを抱いていたと思いだした。それでも咲空の父は言葉を紡ぐ。
「ここなら住むとこもある。お前の部屋だってそのままだ」
「……」
「札幌じゃ、母さんの墓参りだってゆるくねえ」
父が語るものは紋別に残してきたものだ。長く住んだ家も、咲空の思い出が詰まった部屋も、母が眠るお墓も紋別にしかない。父が語る通り、札幌と紋別は気楽に墓参りできる距離ではない。
けれど札幌にも、咲空の大切なものがある。心置ける友人の玖琉に、変なお客様ばかりの変わったアルバイト。さらに変わり者すぎて紋別弾丸旅行までしてしまう店主のアオイ。札幌にだって積み上げてきたものはたくさんあるのだ。それが咲空の思考をぐるぐると駆け巡った。
「それにお前、体を壊したら――」
その思考が、弾けた。
反射的に咲空は叫ぶ。
「誰が体壊したって、父さん来ないっしょや!」
体は気持ち悪いほど冷えているのに、抱えてきた感情が爆発して止められない。立ちあがれば、ソファに腰かけた父が小さくみえる。頭に浮かぶ言葉はそのまま喉を通り過ぎて、怒声となる。普段ならば抑えている北海道弁も開放状態だ。
「紋別に帰れ帰れって、私のことなんも考えてない!」
「……っ」
「今日だって、『おかえり』も言ってくれない!」
思いつくままに言い放ち、気づけば父とアオイが咲空を見つめていた。それは感情を爆発させた咲空を哀れんでいるような気がしてしまって居た堪れない。
皆から逃げるように、咲空は家を飛び出した。
「待て」
黙って出て行くことはお見通しとばかりに引き止められ、渋々座る。居間には父が使っているボロのソファしかなく、咲空とアオイはストーブを挟んで向かい側の床に腰をおろした。
目を合わせることさえ気まずく、居間はぴりぴりと張り詰めた空気に包まれていて、ストーブの熱気も届いてこない。
「札幌で仕事してんのか?」
沈黙を破ったのは咲空の父だった。
(やっぱり『おかえり』は言わないんだな)
落胆と苛立ちと。複雑な気持ちを抱えながら咲空が冷たく言い放つ。
「働いてるよ」
「どこで働いてんだ?」
「そんなの関係な――」
関係ない、と続けるつもりがそれを遮ったのは隣に座るアオイだ。この緊迫した空気を読めていない男は、この場で一人だけニコニコ上機嫌である。
「僕の家で働いてますよ!」
「ちょっと、アオイさん!」
「だって本当のことだし。いつも僕に美味しい特製手料理作ってくれてるでしょ? 僕は朝昼晩とサクラちゃんのご飯を食べないと生きていけないよ!」
「ややこしい表現しないでください。ていうか『家』ってより『店』です」
確かにアオイはソラヤに住んでいるが、ここで『家』と喋ってしまえば誤解を生むだろう。おそるおそる父の様子を窺えば、案の定な反応で、眉間の皺がぐっと深くなったような気がする。
「なして、その男さ連れてきた?」
「アオイさんは仕事の――」
「そりゃサクラちゃんのパートナーですから!」
「ちがーう! 仕事の!」
父との関係が冷え込んでいるのもあって、札幌での状況を話すつもりはなかった。働いていることもどこでどんな仕事をしているのかも明かす気はない。それがこの結果である。アオイの発言を具現化するのならば爆弾が相応しいだろう。あれほど余計なことを言うなと注意したのに、アオイの行動は咲空の想像を超えていた。
「でも、毎日通ってるじゃん? あれ、この喩えだと通い妻?」
「変な言い方やめてください!」
ぎゃあぎゃあと二人のやりとりは続く。この時だけは緊張感も消えていた。
それを止めたのはアオイでも咲空でもなく、父だった。咳払い一つで場はしんと静かになり、その静寂を枯れた声が破る。
「……咲空」
ストーブ越しに、父が睨む。
「紋別に戻ってこい」
「……は?」
「札幌は遠すぎる。ろくな仕事もしてねえなら、さっさと紋別さ帰れ」
ぴしり、と氷が背中に刺さったように。体がじわじわと冷えていって咲空は動けなくなる。父の言葉は咲空にとって予想も、望んでもいないものだった。
咲空を抑えつけるような鋭い眼光。気圧されて生じた喉の渇きに、幼い頃父に叱られた時もこんな居心地の悪さを抱いていたと思いだした。それでも咲空の父は言葉を紡ぐ。
「ここなら住むとこもある。お前の部屋だってそのままだ」
「……」
「札幌じゃ、母さんの墓参りだってゆるくねえ」
父が語るものは紋別に残してきたものだ。長く住んだ家も、咲空の思い出が詰まった部屋も、母が眠るお墓も紋別にしかない。父が語る通り、札幌と紋別は気楽に墓参りできる距離ではない。
けれど札幌にも、咲空の大切なものがある。心置ける友人の玖琉に、変なお客様ばかりの変わったアルバイト。さらに変わり者すぎて紋別弾丸旅行までしてしまう店主のアオイ。札幌にだって積み上げてきたものはたくさんあるのだ。それが咲空の思考をぐるぐると駆け巡った。
「それにお前、体を壊したら――」
その思考が、弾けた。
反射的に咲空は叫ぶ。
「誰が体壊したって、父さん来ないっしょや!」
体は気持ち悪いほど冷えているのに、抱えてきた感情が爆発して止められない。立ちあがれば、ソファに腰かけた父が小さくみえる。頭に浮かぶ言葉はそのまま喉を通り過ぎて、怒声となる。普段ならば抑えている北海道弁も開放状態だ。
「紋別に帰れ帰れって、私のことなんも考えてない!」
「……っ」
「今日だって、『おかえり』も言ってくれない!」
思いつくままに言い放ち、気づけば父とアオイが咲空を見つめていた。それは感情を爆発させた咲空を哀れんでいるような気がしてしまって居た堪れない。
皆から逃げるように、咲空は家を飛び出した。
0
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
金沢ひがし茶屋街 雨天様のお茶屋敷
河野美姫
キャラ文芸
古都・金沢、加賀百万石の城下町のお茶屋街で巡り会う、不思議なご縁。
雨の神様がもてなす甘味処。
祖母を亡くしたばかりの大学生のひかりは、ひとりで金沢にある祖母の家を訪れ、祖母と何度も足を運んだひがし茶屋街で銀髪の青年と出会う。
彼は、このひがし茶屋街に棲む神様で、自身が守る屋敷にやって来た者たちの傷ついた心を癒やしているのだと言う。
心の拠り所を失くしたばかりのひかりは、意図せずにその屋敷で過ごすことになってしまいーー?
神様と双子の狐の神使、そしてひとりの女子大生が紡ぐ、ひと夏の優しい物語。
アルファポリス 2021/12/22~2022/1/21
※こちらの作品はノベマ!様・エブリスタ様でも公開中(完結済)です。
(2019年に書いた作品をブラッシュアップしています)
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

【完結】元妃は多くを望まない
つくも茄子
恋愛
シャーロット・カールストン侯爵令嬢は、元上級妃。
このたび、めでたく(?)国王陛下の信頼厚い側近に下賜された。
花嫁は下賜された翌日に一人の侍女を伴って郵便局に赴いたのだ。理由はお世話になった人達にある書類を郵送するために。
その足で実家に出戻ったシャーロット。
実はこの下賜、王命でのものだった。
それもシャーロットを公の場で断罪したうえでの下賜。
断罪理由は「寵妃の悪質な嫌がらせ」だった。
シャーロットには全く覚えのないモノ。当然、これは冤罪。
私は、あなたたちに「誠意」を求めます。
誠意ある対応。
彼女が求めるのは微々たるもの。
果たしてその結果は如何に!?
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
お昼寝カフェ【BAKU】へようこそ!~夢喰いバクと社畜は美少女アイドルの悪夢を見る~
保月ミヒル
キャラ文芸
人生諦め気味のアラサー営業マン・遠原昭博は、ある日不思議なお昼寝カフェに迷い混む。
迎えてくれたのは、眼鏡をかけた独特の雰囲気の青年――カフェの店長・夢見獏だった。
ゆるふわおっとりなその青年の正体は、なんと悪夢を食べる妖怪のバクだった。
昭博はひょんなことから夢見とダッグを組むことになり、客として来店した人気アイドルの悪夢の中に入ることに……!?
夢という誰にも見せない空間の中で、人々は悩み、試練に立ち向かい、成長する。
ハートフルサイコダイブコメディです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる