郷土料理女子は蝦夷神様をつなぎたい

松藤かるり

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Ep2.故郷のすきみはかたくてほぐせず

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***

 二人は再び紋別中心部へ。住宅街の一角に、古くからあるこじんまりとした一軒家がある。それが咲空の実家だ。久しぶりに帰ってきた実家周辺は、どれもリフォームして今時の綺麗な家になっているというのに、ここだけが時間に置いていかれたように古い。

「とりあえず、実家に行きますけど」

 車を降りる前に念押しする。当然、アオイにだ。

「余計なこと言わないでくださいね」
「はいはい。それ三回も聞きました」
「さっさと用事を済ませて家を出るだけです。余計なことは! 絶対に!」
「言わない! これでいいんですよね?」

 わかってるよ、とうんざりした顔で呟くアオイだが、どうにも咲空は信用できずにいる。面白くなるならとひっかきまわして、父娘の関係がより凍りつく未来が視えているのだ。
 このまま札幌に引き返したいと考えながら、家に入る。二重扉の玄関を抜けると、居間に繋がる狭い廊下がある。春の夜はまだ冷えているからか、居間の扉はきっちりと閉まっていて曇りガラスにぼんやりと父の影が映っていた。

「さっさと挨拶して、仏壇で手を合わせて、帰る。それだけです」

 それはアオイに対してでもあり、自分に言い聞かせるようでもあった。深呼吸して、それから扉を引く。
 まだストーブの点っている居間から温かな空気が流れ込んでくる。端切れ布を当ててだましだまし使っていたボロのソファに咲空の父が腰かけ、扉の方を見つめていた。咲空が居間に入るなり、その口がゆるゆると動く。

「母さんに挨拶してこい」

 低い声だ。酒を好むからか、咲空が物心ついた時にはもう、低く枯れた声になっていた。

(『おかえり』とか言えばいいのに)

 咲空だってまずは仏壇に手を合わせようと考えていた。それを先回りして命令口調で言われたことに腹が立つ。
 母の仏壇が置いてあるのは居間の隣に父の寝室だ。廊下からは入れないのでここを通るしかない。苛立ちと気まずさを抱えながら、父の前を通りすぎる。咲空は何も言わず、目も合わさなかった。
 その後ろをアオイもついて行く。「お邪魔します」とは言っていたが、咲空に念押しされたからかそれ以上のことは言わなかった。

 居間の隣には父の寝室がある。部屋に入ると父が着る服の、年齢と海の香りと部屋の黴が混じったような匂いがした。それなりに掃除はしているのか床に埃は見当たらないものの、天井の角には埃の糸が垂れ下がり、ふすまには黒いかびがうっすらと滲んでいる。

「……母さんが生きていたら、こんなの許さないだろうな」

 部屋を見渡しながら呟く。天井の埃の糸なんて、母ならすぐに掃除をしていただろう。それは出来ないと言わんばかりに、天井にある母の遺影が飾られている。

「この人が、サクラちゃんのお母さんなんだ」

 しみじみとアオイが言った。

 咲空が紋別を出た時、写真を持ってきていなかった。ここへ戻らぬ間、母の姿を確かめる術は記憶しかなく、こうして穏やかに微笑む遺影の母を見れば、封じてきたものがこみあげる。

「道南出身だった母は紋別へ嫁いできて、苦労したそうです。風習も違いますし、何より母は道南訛りがひどかったので言葉も大変だったとか」

 咲空にとっての母は『努力の人』だった。言葉や食べ物、気温など、同じ北海道でも地域によって異なる。その中で紋別に居場所を作っていったのは努力の賜物だ。

「今は、ビニールハウスで年中育てた野菜が手に入り、魚も塩干しやぬか漬けにしなくたって簡単に買える、薬も薬局に行けばすぐに買える時代です。でも母は昔ながらの知恵を重んじていたので『こうすれば冬でも食べられる』といって、厳しい冬を乗り越えるための術や薬になる野草の話をしてくれました」
「素晴らしいね。ソラヤにスカウトしたかったなぁ」

 記憶の中の母はいつも仕事をしていた。咲空の父は漁師で、収入が安定しているとは言い難く、さらに流氷が来てしまえば漁に出ることができなくなる。そんな家計を支えるべく、母は加工場で仕事をしていた。家に帰れば一通りの家事をこなし、父や娘が眠りにつけば、針仕事をはじめるのだ。
 居間のソファに穴が空くたび補修していたのも母だった。買い直せばいいものを、まだ使えるからといって端切れを持ってくる。黄ばんだソファがカラフルになっていく様は、幼い咲空にとっての楽しみだった。今度はどんな色の布がつくのだろうかと想像に胸を膨らませていたものだ。

 仏壇に手を合わせて、祈る。

 しばらく帰ってこれなかったことを詫び、母を想う。札幌で一人暮らしをするようになってから家事がどれほど大変かと身をもって学んだ。母の手があかぎれだらけだった理由は、大人になってようやくわかったのだ。

(母さんが死ぬ前に戻れたら、話したいことや聞きたいことがたくさんあるのに)

 後悔はあの頃のまま消えず残っているのに、線香の煙が目に沁みることはもう、なかった。
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