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Ep2.故郷のすきみはかたくてほぐせず
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二人を乗せた車はいよいよ紋別に突入していた。とはいえまだ海は見えず、広がるは広大な農地である。紋別は漁業だけでなく、酪農も盛んな町だ。海側から離れたところで左右見渡せば牧場に牛だ。時期や時間によっては、道路を牛たちが横断することもある。
「君が言うほど田舎ではないよね」
車が紋別中心部に近づき、アオイが言った。
「北海道ってたくさん市町村があるでしょ。その中でも紋別って栄えている方だと思います。なにより紋別には空港がある」
「栄えているのは中心部だけですし、小さな頃はたくさんお店があった商店街も今はシャッターだらけですよ」
「過疎はどこの町でも問題ですねぇ……」
紋別市はさほど田舎ではない。過去には金鉱山があり、ゴールドラッシュで町は栄えていた。随分と人が減ったといえ、そこはやはり『市』だ。中心部にはショッピングセンターがあり、ドラッグストアにファーストフード店もある。紋別空港もあり、今は廃線となってしまったが鉄道も通っていた。
オホーツク海に面した港町ならではの海産物、酪農。さらにここは流氷という武器もある。真冬の一時期にだけやってくる流氷を生かした観光名所は多い。
「まずはどこに行きますか」
「料理探し、食べるものとなれば紋別港でしょうか」
「おっと。鈴木さんのことすっかり忘れていました。観光のことしか頭になかった」
「……何のためにここまで来ているんですか」
ため息を吐きつつも、アオイの気持ちはわからなくもない。4時間かけての長旅は時間を短く感じるほど楽しかった。鈴木のことがなければ気楽な旅だっただろうに。
「揚げたてのかまぼこが食べられるお店があって、おすすめです。紋別は蟹の他にもホタテやスケソもありますからね。食べるものたくさんですよ」
「スケソって何ですか?」
「『スケソウダラ』のことです」
スケソウダラは鱈の一種だ。咲空はどうも『スケソウダラ』と喋ってしまうのだが正しい名前は『スケトウダラ』である。咲空だけでなく、漁師をしていた咲空の父も『スケソ』と呼んでいた。
「スケソは馴染み深い魚ですよ。例えばタラコ。あれはスケソの卵です」
「真鱈じゃなくてスケソの卵なんだ?」
「はい。卵はスケソの方が大きくて美味しいです。逆に白子は真鱈の方が美味しいですね」
「あの白子って食べれるんですね。うわぁ、人間の脳みそっぽいと思ってた」
「味噌汁に入れるとおいしいですよ。今度作ります?」
「食べたい。作って作って」
北海道のスーパーでは冬になると鱈の白子が並ぶ。白子というだけあって色は白くうねうねとした少しグロテスクな見た目だが、食べると絶品である。力を籠めれば簡単に潰れてしまいそうな柔らかな白子は、火に通すと皮がやや硬くなってぷりぷりの歯ごたえとなり、一つ噛めばクリーミーな味わいが弾けるのだ。舌に残るこってり濃厚な甘さは一度食べると忘れられない味である。
真鱈の白子に比べるとスケソウダラの白子は安く入手しやすく、手ごろな価格でスーパーに並ぶのはほとんどがスケソウダラの白子だ。これが並び始めると冬を感じる、そんな一品である。
「他にもスケソはすり身で使われますね。ちょっと大雑把なまとめ方ですが、切り身は真鱈、加工品はスケソです」
「白見魚のフライもスケソ?」
咲空は頷く。よく白見魚フライは真鱈だと思っている人がいるが、あれはスケソウダラを使うことが多い。
「鱈は足が早い魚――傷むのが早い魚なんです。刺身など生食は獲れたてじゃないと難しいですね。スケソもすり身にしたり、棒鱈やすきみに――」
そこで咲空の言葉が詰まる。
『すきみ』――それが頭の奥に響いて、爽やかな風が吹いた気がしたのだ。忘れていたものを思いだすような、探していたものを見つけたような感覚に陥る。
(すきみ……そうだ、あれはしょっぱくて、素朴で……)
お椀。ご飯。ほぐしたすきみ。
『素朴な味わい、しょっぱい、だしが濃厚、さらさらしている、満たされる汁物』という面倒すぎる注文をクリアしそうな一杯だ。
幼い頃から何度も食べてきたのだ。味は容易に思いだすことができる。絡まっていた糸がするすると解れていく、のだが。
(……どうやって作っていたんだろう。あの具は何を使っていたんだろう)
脳裏に浮かぶそのメニューのレシピがわからない。思い出しながら作れば再現はできるのだろうが、懐かしの味に辿りつける自信がないのだ。
「おーい、サクラちゃん?」
言葉を飲んで考えこんでしまった咲空に、アオイが声をかけた。それによって咲空も我に返る。
「考えごと? いいアイデア浮かびました?」
「アイデアは浮かんだんですが、ちょっと難しそうです」
「どうしてです?」
「私、それを食べたことはあるんですが、作ったことはありません」
答えを見つけたと喜んだのもつかの間、暗礁に乗り上げる。鈴木の願いを叶えることはできるだろうその料理のレシピがわからないのだ。
レシピを聞くという選択肢は――ない。一瞬頭に浮かんだその人物を追い払って、咲空は言う。
「もう一度考え直します。この料理はだめです」
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二人を乗せた車はいよいよ紋別に突入していた。とはいえまだ海は見えず、広がるは広大な農地である。紋別は漁業だけでなく、酪農も盛んな町だ。海側から離れたところで左右見渡せば牧場に牛だ。時期や時間によっては、道路を牛たちが横断することもある。
「君が言うほど田舎ではないよね」
車が紋別中心部に近づき、アオイが言った。
「北海道ってたくさん市町村があるでしょ。その中でも紋別って栄えている方だと思います。なにより紋別には空港がある」
「栄えているのは中心部だけですし、小さな頃はたくさんお店があった商店街も今はシャッターだらけですよ」
「過疎はどこの町でも問題ですねぇ……」
紋別市はさほど田舎ではない。過去には金鉱山があり、ゴールドラッシュで町は栄えていた。随分と人が減ったといえ、そこはやはり『市』だ。中心部にはショッピングセンターがあり、ドラッグストアにファーストフード店もある。紋別空港もあり、今は廃線となってしまったが鉄道も通っていた。
オホーツク海に面した港町ならではの海産物、酪農。さらにここは流氷という武器もある。真冬の一時期にだけやってくる流氷を生かした観光名所は多い。
「まずはどこに行きますか」
「料理探し、食べるものとなれば紋別港でしょうか」
「おっと。鈴木さんのことすっかり忘れていました。観光のことしか頭になかった」
「……何のためにここまで来ているんですか」
ため息を吐きつつも、アオイの気持ちはわからなくもない。4時間かけての長旅は時間を短く感じるほど楽しかった。鈴木のことがなければ気楽な旅だっただろうに。
「揚げたてのかまぼこが食べられるお店があって、おすすめです。紋別は蟹の他にもホタテやスケソもありますからね。食べるものたくさんですよ」
「スケソって何ですか?」
「『スケソウダラ』のことです」
スケソウダラは鱈の一種だ。咲空はどうも『スケソウダラ』と喋ってしまうのだが正しい名前は『スケトウダラ』である。咲空だけでなく、漁師をしていた咲空の父も『スケソ』と呼んでいた。
「スケソは馴染み深い魚ですよ。例えばタラコ。あれはスケソの卵です」
「真鱈じゃなくてスケソの卵なんだ?」
「はい。卵はスケソの方が大きくて美味しいです。逆に白子は真鱈の方が美味しいですね」
「あの白子って食べれるんですね。うわぁ、人間の脳みそっぽいと思ってた」
「味噌汁に入れるとおいしいですよ。今度作ります?」
「食べたい。作って作って」
北海道のスーパーでは冬になると鱈の白子が並ぶ。白子というだけあって色は白くうねうねとした少しグロテスクな見た目だが、食べると絶品である。力を籠めれば簡単に潰れてしまいそうな柔らかな白子は、火に通すと皮がやや硬くなってぷりぷりの歯ごたえとなり、一つ噛めばクリーミーな味わいが弾けるのだ。舌に残るこってり濃厚な甘さは一度食べると忘れられない味である。
真鱈の白子に比べるとスケソウダラの白子は安く入手しやすく、手ごろな価格でスーパーに並ぶのはほとんどがスケソウダラの白子だ。これが並び始めると冬を感じる、そんな一品である。
「他にもスケソはすり身で使われますね。ちょっと大雑把なまとめ方ですが、切り身は真鱈、加工品はスケソです」
「白見魚のフライもスケソ?」
咲空は頷く。よく白見魚フライは真鱈だと思っている人がいるが、あれはスケソウダラを使うことが多い。
「鱈は足が早い魚――傷むのが早い魚なんです。刺身など生食は獲れたてじゃないと難しいですね。スケソもすり身にしたり、棒鱈やすきみに――」
そこで咲空の言葉が詰まる。
『すきみ』――それが頭の奥に響いて、爽やかな風が吹いた気がしたのだ。忘れていたものを思いだすような、探していたものを見つけたような感覚に陥る。
(すきみ……そうだ、あれはしょっぱくて、素朴で……)
お椀。ご飯。ほぐしたすきみ。
『素朴な味わい、しょっぱい、だしが濃厚、さらさらしている、満たされる汁物』という面倒すぎる注文をクリアしそうな一杯だ。
幼い頃から何度も食べてきたのだ。味は容易に思いだすことができる。絡まっていた糸がするすると解れていく、のだが。
(……どうやって作っていたんだろう。あの具は何を使っていたんだろう)
脳裏に浮かぶそのメニューのレシピがわからない。思い出しながら作れば再現はできるのだろうが、懐かしの味に辿りつける自信がないのだ。
「おーい、サクラちゃん?」
言葉を飲んで考えこんでしまった咲空に、アオイが声をかけた。それによって咲空も我に返る。
「考えごと? いいアイデア浮かびました?」
「アイデアは浮かんだんですが、ちょっと難しそうです」
「どうしてです?」
「私、それを食べたことはあるんですが、作ったことはありません」
答えを見つけたと喜んだのもつかの間、暗礁に乗り上げる。鈴木の願いを叶えることはできるだろうその料理のレシピがわからないのだ。
レシピを聞くという選択肢は――ない。一瞬頭に浮かんだその人物を追い払って、咲空は言う。
「もう一度考え直します。この料理はだめです」
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