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Ep1.救世主はぷるぷるごっこ
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***
アオイと共にコレクションルームを出ると、廊下に山田がいた。部屋に入る前と立ち位置は変わらない。本当に時が止まっていたのだろう。
「山田さん!」
咲空が叫ぶと、山田はぴたりと動きを止めた。
「もう少しだけ、付き合ってもらえませんか」
「何だ。我に暇はないと何度も言っているだろう」
「チャンスをください! あなたに食べてほしいものがあるんです」
最後の提案とは『食』。それを聞いて山田は不快そうに顔をしかめた。
「食とは無駄なものだと話しただろう」
「はい。でもその『食』ではありません――山田さんが教えてくれた思い出の『魚』です。ぷるぷるとした見目麗しくない魚を食べてみませんか?」
「……海神が話していた、あの魚を?」
「はい。あなたたちが守ってきた北海道の食材で、私が作ります」
珍しく、山田の顔色が変わった。そこにあるのは好奇。瞳の奥がきらりと輝いているような気がした。咲空はここぞとばかりに攻める。
「私がどんなものを作るのか、気になりますよね? 懐かしい味ですもんね?」
「い、いや……それよりも人間を滅ぼした方が……」
「でも、今しか食べられないかもしれませんよ」
「ぐぐ……だが人間の食事になど興味は……しかし……」
食べるのか、食べないのか。返答を待つ咲空だったが、山田はというと眉がくっつきそうなほど眉間の皺を深くさせ、困り顔のまま答えを出せずに葛藤しているようだった。
あれほど人間滅ぼすだの騒いでいた蝦夷神様のくせにここぞという時は決断力がない。咲空は痺れを切らして叫んだ。
「もういい! したっけ、作っちゃるから、そこで待ってれ!」
怒りのままに叫んだのだが、本日二度目の北海道弁丸出しの叫びである。咲空の後ろでやりとりを聞いていたアオイは「訛ってるなあ……」とぽつり呟いていた。
三人はソラヤの奥にあるキッチンに集まった。鍋やざるといった調理器具に食器、最低限の調味料も揃っていた。炊飯器がきれいなまま置いてあるところから、調理を試みたものの途中で諦めたアオイの姿が目に浮かんだ。
(これなら作れそうだな。あとは……食材)
アオイに頼んで食糧庫からもらってきた二匹の魚。大きいボウルに入れても尾がはみ出している。それを調理台に置くと、観客席ならぬテーブル側から山田の悲鳴があがった。
「な、なんだそれは……」
「これはホテイウオです。かわいいですよね?」
「果たしてかわいいと言えるのか。そもそも魚なのかこれは。丸くふくらんでぬるぬるとした物体にしか見えないのだが。まったく見目麗しくない」
山田は物体と語っているが、れっきとした魚である。黒い斑点がついた体はずんぐりと丸く、まんまるとした目と笑っているような口元が人によっては可愛らしく見えるのだろう。腹には大きな吸盤がついているのも特徴の一つである。
「ホテイウオは道南地方で『ごっこ』と呼ばれています。旬の時期は冬、よく雪まつり前が美味しいって言われます。時期が外れると軟骨が硬くなっていくのですが、ここにあるのは硬くなる前の美味しい頃のですね」
「へえ。サクラちゃん、紋別出身なのに道南に詳しいですね。オホーツクから道南って随分と距離がありますが」
「……まあ、それは、色々とありまして」
アオイのツッコミを流して、調理を続ける。まずはホテイウオの下準備だ。
「アオイさんにお願いして、おんたとめんたを揃えたので美味しくなりますよ」
「おんたとめんた、とは何だ?」
「おんたは雄、めんたは雌のことです。おんたは、めんたよりも小さめですが、身は締まっていておいしいです」
まずはホテイウオのおんたに包丁を入れる。刃が入った瞬間、山田が「ひいっ」と小さな悲鳴をあげた。いちいち気にしていられないので無視して作業を続ける。
腹を割いた後、肝と白子を取り出し、他の内臓は取り出して捨てる。独特のぬめりがある魚のため、ここではまだ卸さずボウルに戻した。
「お腹がぷっくり膨れているのはめんた。めんたが持っている卵を食べずして、この汁を食べたとは言わせません!」
次いではめんただ。ここも腹を裂き、肝とたまごを取り出す。ここで取り出したたまごは薄い膜がついているのでさっと洗って膜とぬめりを取る。おんたと同じく他の内臓は捨て、こちらもボウルに戻した。
「戻しちゃっていいんですか? 身を切っていませんよ」
「これが! 今日の料理の重要なところなんです! ここからの作業が不十分だと非常に生臭くて美味しくないんです! 美味しくないと思ったらこの作業を疑ってください。とにかくこれが大事です――ということでここにお湯をかけますね」
ホテイウオに熱湯をかけると、その表面に半透明の膜が浮かぶ。薄皮のようなこれがぬめりの元だ。このぬめりを丁寧に剥ぎ取り洗い流さなければ独特の生臭さが消えない。蒸気と共に魚臭さがむわっと室内に充満し、山田が呻ぎ声をあげた。
「ぐっ……」
「ぬめり取りに使うのはぐつぐつと煮えた湯でないとだめです。少しでもぬるいと臭みが残ります」
「うん……熱意はひしひしと伝わるけど、山田さんがグロッキーだねぇ……」
「あ。ここからはささっと捌いて煮て味付けするだけなので大丈夫です。一番大事なところはお伝えしたので、ンノノなんとか茶でも飲んで待っててください」
魚臭さだけで撃沈している山田はさておいて、咲空は洗い終えたホテイウオを捌く。ホテイウオは骨が柔らかく、ほとんどの部位を食べることができる無駄のない魚だ。お腹の吸盤も食べることができる。捨てるのは食べられない内臓のみ。
このホテイウオを鍋で煮る。さっと洗った肝と白子、たまごを入れ、さらに具を入れる。今回は長葱と生海苔と小さく潰した絹豆腐だ。味付けはシンプルに醤油と塩のみ。これをお椀に盛り付けて――
アオイと共にコレクションルームを出ると、廊下に山田がいた。部屋に入る前と立ち位置は変わらない。本当に時が止まっていたのだろう。
「山田さん!」
咲空が叫ぶと、山田はぴたりと動きを止めた。
「もう少しだけ、付き合ってもらえませんか」
「何だ。我に暇はないと何度も言っているだろう」
「チャンスをください! あなたに食べてほしいものがあるんです」
最後の提案とは『食』。それを聞いて山田は不快そうに顔をしかめた。
「食とは無駄なものだと話しただろう」
「はい。でもその『食』ではありません――山田さんが教えてくれた思い出の『魚』です。ぷるぷるとした見目麗しくない魚を食べてみませんか?」
「……海神が話していた、あの魚を?」
「はい。あなたたちが守ってきた北海道の食材で、私が作ります」
珍しく、山田の顔色が変わった。そこにあるのは好奇。瞳の奥がきらりと輝いているような気がした。咲空はここぞとばかりに攻める。
「私がどんなものを作るのか、気になりますよね? 懐かしい味ですもんね?」
「い、いや……それよりも人間を滅ぼした方が……」
「でも、今しか食べられないかもしれませんよ」
「ぐぐ……だが人間の食事になど興味は……しかし……」
食べるのか、食べないのか。返答を待つ咲空だったが、山田はというと眉がくっつきそうなほど眉間の皺を深くさせ、困り顔のまま答えを出せずに葛藤しているようだった。
あれほど人間滅ぼすだの騒いでいた蝦夷神様のくせにここぞという時は決断力がない。咲空は痺れを切らして叫んだ。
「もういい! したっけ、作っちゃるから、そこで待ってれ!」
怒りのままに叫んだのだが、本日二度目の北海道弁丸出しの叫びである。咲空の後ろでやりとりを聞いていたアオイは「訛ってるなあ……」とぽつり呟いていた。
三人はソラヤの奥にあるキッチンに集まった。鍋やざるといった調理器具に食器、最低限の調味料も揃っていた。炊飯器がきれいなまま置いてあるところから、調理を試みたものの途中で諦めたアオイの姿が目に浮かんだ。
(これなら作れそうだな。あとは……食材)
アオイに頼んで食糧庫からもらってきた二匹の魚。大きいボウルに入れても尾がはみ出している。それを調理台に置くと、観客席ならぬテーブル側から山田の悲鳴があがった。
「な、なんだそれは……」
「これはホテイウオです。かわいいですよね?」
「果たしてかわいいと言えるのか。そもそも魚なのかこれは。丸くふくらんでぬるぬるとした物体にしか見えないのだが。まったく見目麗しくない」
山田は物体と語っているが、れっきとした魚である。黒い斑点がついた体はずんぐりと丸く、まんまるとした目と笑っているような口元が人によっては可愛らしく見えるのだろう。腹には大きな吸盤がついているのも特徴の一つである。
「ホテイウオは道南地方で『ごっこ』と呼ばれています。旬の時期は冬、よく雪まつり前が美味しいって言われます。時期が外れると軟骨が硬くなっていくのですが、ここにあるのは硬くなる前の美味しい頃のですね」
「へえ。サクラちゃん、紋別出身なのに道南に詳しいですね。オホーツクから道南って随分と距離がありますが」
「……まあ、それは、色々とありまして」
アオイのツッコミを流して、調理を続ける。まずはホテイウオの下準備だ。
「アオイさんにお願いして、おんたとめんたを揃えたので美味しくなりますよ」
「おんたとめんた、とは何だ?」
「おんたは雄、めんたは雌のことです。おんたは、めんたよりも小さめですが、身は締まっていておいしいです」
まずはホテイウオのおんたに包丁を入れる。刃が入った瞬間、山田が「ひいっ」と小さな悲鳴をあげた。いちいち気にしていられないので無視して作業を続ける。
腹を割いた後、肝と白子を取り出し、他の内臓は取り出して捨てる。独特のぬめりがある魚のため、ここではまだ卸さずボウルに戻した。
「お腹がぷっくり膨れているのはめんた。めんたが持っている卵を食べずして、この汁を食べたとは言わせません!」
次いではめんただ。ここも腹を裂き、肝とたまごを取り出す。ここで取り出したたまごは薄い膜がついているのでさっと洗って膜とぬめりを取る。おんたと同じく他の内臓は捨て、こちらもボウルに戻した。
「戻しちゃっていいんですか? 身を切っていませんよ」
「これが! 今日の料理の重要なところなんです! ここからの作業が不十分だと非常に生臭くて美味しくないんです! 美味しくないと思ったらこの作業を疑ってください。とにかくこれが大事です――ということでここにお湯をかけますね」
ホテイウオに熱湯をかけると、その表面に半透明の膜が浮かぶ。薄皮のようなこれがぬめりの元だ。このぬめりを丁寧に剥ぎ取り洗い流さなければ独特の生臭さが消えない。蒸気と共に魚臭さがむわっと室内に充満し、山田が呻ぎ声をあげた。
「ぐっ……」
「ぬめり取りに使うのはぐつぐつと煮えた湯でないとだめです。少しでもぬるいと臭みが残ります」
「うん……熱意はひしひしと伝わるけど、山田さんがグロッキーだねぇ……」
「あ。ここからはささっと捌いて煮て味付けするだけなので大丈夫です。一番大事なところはお伝えしたので、ンノノなんとか茶でも飲んで待っててください」
魚臭さだけで撃沈している山田はさておいて、咲空は洗い終えたホテイウオを捌く。ホテイウオは骨が柔らかく、ほとんどの部位を食べることができる無駄のない魚だ。お腹の吸盤も食べることができる。捨てるのは食べられない内臓のみ。
このホテイウオを鍋で煮る。さっと洗った肝と白子、たまごを入れ、さらに具を入れる。今回は長葱と生海苔と小さく潰した絹豆腐だ。味付けはシンプルに醤油と塩のみ。これをお椀に盛り付けて――
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