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Ep1.救世主はぷるぷるごっこ

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 カフェ店員のような姿から、ソラヤとは喫茶店かもしれない。そう思っていた咲空だったが、いざ中へ入ればカフェと言い難い狭さである。中には木製のカウンターがあり、席は三席ほど。見渡しても他にテーブルや椅子はなく、木製の棚とそこに小瓶や果物が並んでいる。棚と棚の隙間を埋めるように観葉植物が置いてあり、カフェというには席が少なく、雑貨店というには商品が少ないのである。

(一体、何のお店だろう……)

 いくら店内を眺めても答えは出なかった。しかし、木製で統一されたダークブラウンの家具とそれに合わせたフローリング、あちこちに置いてある観葉植物の緑色が差し色となった空間は居心地がいい。

 さて男はというと。咲空をカウンター席に案内するなり「お茶を淹れてくるよ」と呑気なことを言って、こちらに背を向けてしまった。カウンター内のテーブルにはポットや茶葉が並び、小さな冷蔵庫のようなものもある。やはり喫茶店なのか。
 カウンターの奥には廊下があり、もしかするとここは自宅兼喫茶店かもしれない。廊下は電気が消えていたのでどうなっているのか見えなかった。

 興味津々に廊下を覗き込んでいた咲空を知らず、男はお茶の用意をしながら口を開く。

「ここに辿り着けたのは君が初めてです。みんな、偽の住所を信じてしまうので」
「偽の住所……ってことは、大通の住所はやっぱり嘘ですか!?」
「はい。あれは特殊な技術を使った偽物の住所。それを見抜くのが面接試験ですよ」

 男は笑う。風に流されて舞う粉雪のように軽い。軽すぎるのだ。
 居心地の良い店内に流されていた咲空もその態度は見過ごせない。大通で探し回ってからここまでの苦労が一気に爆発した。

「ずーっと……探し回っていたのに……」
「え?」
「見抜くのが面接試験って、わかるわけないでしょ!? 何回も読んだ、見た、探し回った! 何回見ても大通って書いてましたよ!?」

 男はなぜ咲空が怒っているのかわからないと、すっとぼけた顔をしていた。それでもかまわず咲空は眉間にぐっと皺を寄せて男を睨みつけ、叫ぶ。

「偽の住所を載せて騙すなんて最低です!」

 ようやく咲空が怒る意味がわかったのか、男はじっと咲空を見た後に数度頷いた。しかし紡がれる言葉はやはり軽い。

「なるほど、偽の住所を信じてしまったんですね。でもここに着けたのならオッケーですよ――はい。これでも食べて落ち着いて」

 咲空の怒りなどお構いなしに男はお茶とお菓子を置く。お茶というよりは深いこげ茶色をしていてコーヒーのようだが、香りは違う。あの香ばしさはない。お茶菓子として添えられているのは古き良き、昔を思わせるパッケージをしていた。

「疲労時は糖分補給って言いますから。イライラした時にも効くかもしれません」

 このイライラは男のせいだ。文句を飲みこんで、お茶菓子に手を伸ばす。
 ビニールの包みに入っているのはどら焼きのようなまんじゅうのようなもの。その平べったい形は潰れた温泉まんじゅうを思わせる。しかしパッケージには『月寒つきさむあんぱん』と書いてあるのだ。咲空が知っているあんぱんとは違う。あれはもっとふっくらとしていて、もっと大きい。
 月寒あんぱんの名前を聞いたことはある。札幌のお土産としてもらったことはあったかもしれないが、どんな味かはさっぱり覚えていなかった。

「ほらほら、食べてください。まずは胃袋を満たして」
「……いただきます」

 ぺりぺりとビニール袋をやぶいてあんぱんを取り出せば、見た目よりもずっしりと重たい。皮はそこまで厚くないが、その分こしあんが詰まっている。
 食べてみれば、こんがり焼き上げた皮の香ばしさが口いっぱいに広がり、そこに餡子の濃密な甘さがどっしりと圧し掛かる。和風のどこか懐かしい、素朴な味だ。

「どう、美味しい?」
「……おいしいです」

 一口食べるとやめられない。餡子が多いから甘ったるくなるのではないかと思ったが、そんなことはない。薄皮の香ばしさや触感によって丁度いい塩梅になるのだ。ここまで迷いながら歩いてきた疲れが、甘味によって溶けていく。

 しかし――思っていたよりもこれは腹持ちがいい。咲空が想像していたあんぱんよりも小さいといえ、中身はぎっしり詰まっている。

「僕も食べようかねぇ。お腹が減ってきちゃったので」

 男はカウンターの端に積んである山に手を伸ばす。山と思っていたそれはよく見れば、月寒あんぱんのタワーだ。積まれたその数、十個以上。その頂点をひょいと取ると、慣れた手つきで封を開けた。

「こんなに月寒あんぱんがあるなんて、ここで作っているんですか?」

 咲空が訊くと、男は「まさか!」と笑った。

「これは趣味です。月寒あんぱんは人間の英知が詰まった極上の食べ物ですから! ずっしりと重い餡子に薄皮。この袋には甘味の暴力が詰まっている。なんて素晴らしい食べ物でしょう」
「趣味ってことは、これを全部食べ……る?」

 見た目に反しずっしりヘビー級の月寒あんぱんは攻略が難しく、さほど甘味好きでない咲空は一個食べるのがやっとだ。まさかと疑いながら聞いたのだが、男は当たり前のように「そうですよ」と頷く。
 見れば男は一個目のあんぱんを食べ終えようとしていた。恐ろしい速さである。

 胸やけしてしまいそうな男の食べっぷりを横目に、出されたお茶に手をつけた咲空だったが。

「ぶっ! な、なにこの飲み物……まっず」
「あれ? お口に合いませんでした?」
「何ですかこの、苦くて酸っぱくて舌にビリビリ残る油っこい飲み物!?」

 色からして濃いめの麦茶だろう。なんて想像したのが間違いだった。一体何のお茶なのかわからない。とにかく不味い。

「ンノノスモ茶です」
「ンノ……? な、何のお茶です、これ?」

 咲空が生きてきた二十年間で、これほどに不味い飲み物があっただろうか。コメディ番組の罰ゲームとして出てくる不味いお茶を飲んだことがあったが、それを遥かに上回る。不味い単語を一通り並べても足りないほど、とにかく不味い。
 それを男は平然と飲む。吹きだすどころか、ごくごくと喉を鳴らしていた。

「おかしいですねぇ。このお茶、うちのお客様に外れたことはないんですが」
「……水ください」
「はいはい。仕方ないなあ」

 月寒あんぱんが美味しいというのはわかる。男ほど数は食べられないだろうが。
 しかしこのンノノスモ茶に関してはわかりあえない。こんなお茶がこの世に存在していたことにショックを受けてしまう。
 奥の部屋へと引っ込んだ男は、水の入ったコップを手に戻ってきた。それも不味いのかと一瞬ほど疑ったが、口にすればちゃんと水だった。安心して口中に張りついた謎茶の不味さを流しこむ。
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