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Ep1.救世主はぷるぷるごっこ
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豊平区にあんぱん道路と呼ばれる道がある。月寒から平岸を結ぶ2.6キロの道路は、明治四十四年に完成し、ある出来事からあんぱん道路と名付けられ、地元民に親しまれている。
道路名の由来はさておき。あんぱん道路は曲がり道や坂道が多い。近くの自動車学校では、技能研修の際にあえてこの道路を通って練習することがあるほどだ。比較的平坦な道や大きな通りと重なる部分もあるのだが、咲空が向かおうとしていたソラヤはあんぱん道路坂道の間である。札幌市営地下鉄東豊線月寒中央駅で降りても、しばらく歩かなければならない。
こうも歩くとなれば車を使って移動したいところだが、残念ながら免許は持っていても車がない。レンタカーを借りるにしても店を探すのが面倒で、タクシーを使うには駅から離れてしまった。歩くしかないのである。
(採用になっても通いたくないな……)
氷点下の坂道を歩くのは気を使う。ブーツに付着した氷が解けて靴下はべっとりと濡れていた。歩くたびにブーツの中で水がびちゃびちゃと跳ねて煩わしい。氷のように冷たかった水は体温混ざってぬるくなってきた。あまりの冷たさに感覚がないだけかもしれないが。
うんざりとしながらもひたすら歩き、ようやく地図アプリの目的地と現在地の表示が重なった。
そこにあるのはビルではなく、ただの家。普通の一軒家だった。あちこちに吹き付けられた雪が混ざっているがクリーム色の外壁に紅色の三角トタン屋根。少し遠くからその屋根の形を見上げた咲空は、この家はそれなりに古いのだろうと思った。
北海道のように屋根の雪が凍ってしまう地域では瓦の屋根は使われず、雪の滑り落ちやすいトタンを使っていた。しかしこのトタン屋根は雪が滑り落ちやすいがためのデメリットを持っている。まずは屋根に積もり凍った氷雪がトタン屋根を滑り落ちる落雪事故だ。屋根からの落雪に人が巻き込まれると大怪我、最悪は死ぬことさえある。落雪の勢いは、地面に落ちる氷雪の音を初めて聞いた人が雷が落ちたと驚くほど。落雪に至る前にと屋根の雪下ろし作業をする者もいるが、傾斜のきついトタン屋根である。雪下ろしのはずが屋根から落ちて大怪我という話もよくあるものだ。さらにつららである。屋根から伸びたつららは、天候や地域によっては1メートルを超える。それが落ちてくるのだ。大きなアイスピックが空から降ってくるのを想像すればいい。
ともかく。近年の北海道住宅事情は、トタン屋根でなく無落雪屋根が多い。遠くから見ると豆腐のような家である。無落雪屋根には雪止めやV字型など様々な形があるが、どれも雪下ろしの必要少ない、便利な家である。
ソラヤは古き良き三角の屋根。トタン屋根だ。近年建てられた家ではない。しかし外壁は綺麗な上、こじんまりとした庭もある。今は冬だからか雪が積み上げられているが歩道から玄関まで丁寧に雪をかいている。軒先に雪かきの道具も並んでいた。
クリーム色の外壁と赤いトタンの印象からか、女性が住んでいそうな家だと思った。可愛らしい配色。さらに『ソラヤ』と書かれた表札の隅に、ポイントとして花の絵が彫ってあった。
相手が同性であれば文句も言いやすいかもしれない。咲空は短く息を吸い込み、呼び鈴を鳴らした。
「はーい?」
しかし聞こえてきた声は、可愛らしい外観と真逆の低さ。男性の声がした。
面食らう咲空だったが、ここまで何のために歩いてきたのかと責めるようにブーツの中が水でびっしょり。引き返してなるものかと自分を奮い立たせて、口を開く。
「今日、面接予定だった鈴野原咲空です!」
「面接予定……ああー、なるほど」
今思いだしたとばかりの物言いである。意気込む咲空と逆にゆるい空気が流れていた。
そしてようやく扉が開く。
「うんうん。そういえば面接予定でした。君、よくここに着けましたねぇ」
現れた男は、白いシャツに黒のスラックス、腰に黒のギャルソンエプロンと、カフェ店員のような格好をしていた。男にしてはやや髪が長く、セミロングほどはあるだろう。それを低い位置で結っているのだが、どうやって結ったのか不思議なほど髪が乱れている。目鼻立ちくっきりとした濃い顔つきで、イケメンというよりはワイルドだとか男前とかそういった言葉が似合いそうだ。しかしどうも口調が軽いので、軟派な印象になってしまう。
「よくここに着けたって……それどういう意味で――」
「まあまあ。とりあえず中へどうぞ」
なんとも怪しい雰囲気を纏う男である。ここで逃げ出すわけにもいかず、咲空は男の後をついて店内へと入った。
豊平区にあんぱん道路と呼ばれる道がある。月寒から平岸を結ぶ2.6キロの道路は、明治四十四年に完成し、ある出来事からあんぱん道路と名付けられ、地元民に親しまれている。
道路名の由来はさておき。あんぱん道路は曲がり道や坂道が多い。近くの自動車学校では、技能研修の際にあえてこの道路を通って練習することがあるほどだ。比較的平坦な道や大きな通りと重なる部分もあるのだが、咲空が向かおうとしていたソラヤはあんぱん道路坂道の間である。札幌市営地下鉄東豊線月寒中央駅で降りても、しばらく歩かなければならない。
こうも歩くとなれば車を使って移動したいところだが、残念ながら免許は持っていても車がない。レンタカーを借りるにしても店を探すのが面倒で、タクシーを使うには駅から離れてしまった。歩くしかないのである。
(採用になっても通いたくないな……)
氷点下の坂道を歩くのは気を使う。ブーツに付着した氷が解けて靴下はべっとりと濡れていた。歩くたびにブーツの中で水がびちゃびちゃと跳ねて煩わしい。氷のように冷たかった水は体温混ざってぬるくなってきた。あまりの冷たさに感覚がないだけかもしれないが。
うんざりとしながらもひたすら歩き、ようやく地図アプリの目的地と現在地の表示が重なった。
そこにあるのはビルではなく、ただの家。普通の一軒家だった。あちこちに吹き付けられた雪が混ざっているがクリーム色の外壁に紅色の三角トタン屋根。少し遠くからその屋根の形を見上げた咲空は、この家はそれなりに古いのだろうと思った。
北海道のように屋根の雪が凍ってしまう地域では瓦の屋根は使われず、雪の滑り落ちやすいトタンを使っていた。しかしこのトタン屋根は雪が滑り落ちやすいがためのデメリットを持っている。まずは屋根に積もり凍った氷雪がトタン屋根を滑り落ちる落雪事故だ。屋根からの落雪に人が巻き込まれると大怪我、最悪は死ぬことさえある。落雪の勢いは、地面に落ちる氷雪の音を初めて聞いた人が雷が落ちたと驚くほど。落雪に至る前にと屋根の雪下ろし作業をする者もいるが、傾斜のきついトタン屋根である。雪下ろしのはずが屋根から落ちて大怪我という話もよくあるものだ。さらにつららである。屋根から伸びたつららは、天候や地域によっては1メートルを超える。それが落ちてくるのだ。大きなアイスピックが空から降ってくるのを想像すればいい。
ともかく。近年の北海道住宅事情は、トタン屋根でなく無落雪屋根が多い。遠くから見ると豆腐のような家である。無落雪屋根には雪止めやV字型など様々な形があるが、どれも雪下ろしの必要少ない、便利な家である。
ソラヤは古き良き三角の屋根。トタン屋根だ。近年建てられた家ではない。しかし外壁は綺麗な上、こじんまりとした庭もある。今は冬だからか雪が積み上げられているが歩道から玄関まで丁寧に雪をかいている。軒先に雪かきの道具も並んでいた。
クリーム色の外壁と赤いトタンの印象からか、女性が住んでいそうな家だと思った。可愛らしい配色。さらに『ソラヤ』と書かれた表札の隅に、ポイントとして花の絵が彫ってあった。
相手が同性であれば文句も言いやすいかもしれない。咲空は短く息を吸い込み、呼び鈴を鳴らした。
「はーい?」
しかし聞こえてきた声は、可愛らしい外観と真逆の低さ。男性の声がした。
面食らう咲空だったが、ここまで何のために歩いてきたのかと責めるようにブーツの中が水でびっしょり。引き返してなるものかと自分を奮い立たせて、口を開く。
「今日、面接予定だった鈴野原咲空です!」
「面接予定……ああー、なるほど」
今思いだしたとばかりの物言いである。意気込む咲空と逆にゆるい空気が流れていた。
そしてようやく扉が開く。
「うんうん。そういえば面接予定でした。君、よくここに着けましたねぇ」
現れた男は、白いシャツに黒のスラックス、腰に黒のギャルソンエプロンと、カフェ店員のような格好をしていた。男にしてはやや髪が長く、セミロングほどはあるだろう。それを低い位置で結っているのだが、どうやって結ったのか不思議なほど髪が乱れている。目鼻立ちくっきりとした濃い顔つきで、イケメンというよりはワイルドだとか男前とかそういった言葉が似合いそうだ。しかしどうも口調が軽いので、軟派な印象になってしまう。
「よくここに着けたって……それどういう意味で――」
「まあまあ。とりあえず中へどうぞ」
なんとも怪しい雰囲気を纏う男である。ここで逃げ出すわけにもいかず、咲空は男の後をついて店内へと入った。
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