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3章 宝剣の重み
4.選ばれる者と選ばれぬ者(4)
しおりを挟む西外れのその家に着いて、紅妍は自らが呼ばれた理由を察した。その家には誰もいない。人の気配がないのである。
「この家に仕えていた人も見当たりませんね……人の気配がまったくない」
「ここに勤めていた者は疫病に罹って静養しているらしい。周家の息子は武官として宮城に勤め、家に帰ることは年に数度だと聞いている」
「……なんだか寂しい場所です」
委細を得ようにも人がいないのである。これは調査も暗礁に乗り上げるだろうと理解した。
家は静寂に包まれて寂しく、それは庭までも包む。雑草が茂っている。雨の日もあったからか家人のいない隙にと伸び伸びしていた。
庭は奥、家塀の近くに杜鵑花が咲いていた。白色に桃色がほんのりと混ざった花が咲いている。寂しい中でもひっそり咲いていたのだろう。杜鵑花の前で紅妍は身を屈める。
人がいなくとも、花は語る。花は見てきたものを詠みあげる。それを聞き取るのが華仙術だ。
「……花詠みします」
一輪、摘み取る。この花は泣いている。悲しげに咲いている。記憶を詠みあげたくて仕方ないと泣いているのだ。手中に花をのせて、紅妍は瞳を閉じる。
(あなたが視てきたものを、教えてほしい)
意識を傾ける。杜鵑花の中に、溶けていく。そうして花の声を聞く。花が詠みあげる記憶を拾う。
『小鈴からの連絡がない、ですって』
深衣を着た女中から話を聞いたらしい、老婆が顔を真っ青にしていた。庭の端には雪が残り、それは溶けかけていた。冬が終わり、春が訪れる前のことだろう。
『おかしいわ。あの子はこまめに文を寄越す子だったもの、何かがあったに違いない』
『では奥様、どうしましょう』
『誰か、人を向かわせましょう』
『ですがこの時期の丁鶴山はみな行きたがりません。春になれば良いかもしれませんが……』
『では……わたしが行きましょう』
その言葉に女中が叫ぶ。
『行けません。丁鶴山には穴持たずの大熊や大虎がいると聞きます。もしも小鈴様が……』
熊は冬になると栄養を蓄え、洞穴などにこもって春が訪れるのを待つ。だが、冬こもりによい場所を見つけられなかった熊や餌不足の熊は冬眠ができず、冬山を徘徊するそうだ。これを穴持たずと呼ぶ。
他にも丁鶴山には虎などの獣が多数確認されている。女中はそれを恐れたのだろう。
だが老婆は決意固く、廊下から庭を見やる。その視線は雪積もる杜鵑花の枝に向けられている。花は咲いていないというのに眺めていたということは、老婆にとって想いが詰まっていたのかもしれない。
『わたしは小鈴を丁鶴山になど行かせたくなかった』
『これは永貴妃様が小鈴様のためにと与えてくれた仕事ですもの。奥様の責任ではありません』
『それはわかっています。永貴妃様は小鈴のことを思ってくれたのでしょう。けれど、けれど』
おそらく周寧明だろう老婆は、がくりとその場に崩れ落ちる。瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
『永貴妃様の罪滅ぼしが、こんなことになってしまうなんて』
そうしてしばし泣いた後、寧明は女中に告げる。涙混じりの声だった。
『息子たちには報せないでちょうだい。永貴妃様にまだ悟られてはなりません』
『……わかりました』
『小鈴が無事だったら……ここに連れてきて、杜鵑花が咲くのを待ちましょう。あの子はこの花が好きだったから』
持っていた記憶を詠み、それを紅妍に託した後、杜鵑花は枯れていった。ゆるゆると力を失っていく姿は涙を流すようでもあった。
意識が少しずつ戻っていく。春の風、杜鵑花の香り。瞳を開くと秀礼が不安そうに紅妍を覗きこんでいた。
「……紅妍、大丈夫か」
花詠みの後は流れ込んできた記憶と現実の区別がつかず、頭が痛くなる。紅妍は額を押さえながらゆっくりと立ち上がる。
(ここに誰もいないということは)
周寧明はおそらく丁鶴山に向かった。そして――戻ってこなかったのだろう。だから杜鵑花は悲しそうに咲いていた。咲き誇る姿を誰も見てくれやしないのだから。
となれば事は急いだ方がいい。そして記憶に出てきた『小鈴』が紅妍の考える通りならば、最禮宮の鬼霊に会うべきである。
「宮城に戻りましょう。あの鬼霊は、祓ってほしくて現れています」
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