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2章 いつわりの妃

4.芍薬に悔恨を(3)

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 紅妍は襦裙の裾をまくり上げると、渡り廊下の手すりを飛び越える。そのまま庭に降り立った。
 鬼霊は人を襲う。秋芳宮の宮女たちを逃がすことも考えたが、妃の鬼霊は紅の芍薬が植わる場所で膝をついている。こちらを見ようともしない。生者への関心を持っていないようだった。

(妃の鬼霊は人を襲いにきたのではなさそう。何か目的があるのかもしれない)

 紅芍薬の場所に、妃の鬼霊が想う何かがあるのだ。紅妍は急ぎその場所へ向かい、鬼霊の隣に立つ。何かあれば逃げられるようにと注意を払って忍び寄ったが、鬼霊はやはり紅妍に見向きもしなかった。
 鬼霊との距離を詰める紅妍に目を剥いたのは秀礼である。彼は手柵から身を乗り出して叫んだ。

「華妃! 近づきすぎるな」
「大丈夫。この鬼霊は襲いません」
「襲わない? なぜわかる」

 紅妍は答えなかった。秀礼に背を向け、鬼霊を見やる。

「あなたは……楊妃」

 紅妍が問う。銀歩揺を挿した妃の鬼霊は答えない。ただじいと、紅芍薬の根元を眺めていた。

「まさかこの近くに、あなたの大切なものがある?」

 これにも鬼霊は答えなかった。その代わり、ぽたりと何かが落ちる。紅の花びらだ。妃の左胸に咲いた紅芍薬は血のにおいを放ちながら、花びらをこぼしている。
 紅妍は鬼霊のそばで膝をつき、その場所を掘る。そういえば宮城にきてすぐも土を掘り返していた。人はどうも、不都合なものがあると隠したがる。人様に見つからない場所と考えれば水や土の中が好都合なのだろう。掘ってばかりだと心の中で自嘲する。
 そしてすぐに、それは出てきた。

「……折れた銀の歩揺」

 鬼霊が髪に挿しているものとよく似ていた。柄には芍薬の柄が刻まれている。紅妍が折れた歩揺を手に取ると、鬼霊の視線がこちらを向いた。ようやく紅妍のことを認識したらしい。

「あなたはこれを探していた?」

 答えはない。けれど紅の花びらがゆるやかに風に舞った。張り詰めていた気が少しだけ和らぐ。誰かが、鬼霊が、泣いているような風の音がした。

 ちょうど、その時である。新たな来訪者が庭に足を踏み入れていた。

「これはどういう状況でしょうか」

 現れたのは清益だった。庭にいる紅妍と鬼霊、渡り廊下には宮女長に藍玉が揃い、秀礼は今にも庭に飛びださんと身を乗り出しているのである。駆けつけた清益が呆然とするのも仕方のないことである。
 清益よりも早く状況を理解したのは、彼が連れてきた者だった。薄汚れた襦裙を着た彼女は庭の鬼霊を視るなり、駆け出す。

「まさか、楊妃様!」

 その顔は花詠みで見た、秋芳宮の庭を手入れしていた宮女――霹児へきじである。楊妃に仕えていた霹児は、この鬼霊が妃であるとすぐにわかったらしい。鬼霊の元へ寄ると、その場に崩れて泣き出した。

「ああ楊妃様……可哀想に……まさか鬼霊になっていただなんて……」
「あなたが、秋芳宮の庭を任されていた霹児?」

 紅妍が問うと、霹児は「ええ、ええ」と泣きながら何度も頷いた。

「わたしが悪かったのです。やはり黙っていることは罪でございました。家族がいくら大事といえど、あれほどお慕いしていた楊妃様の恩を裏切り、楊妃様は鬼霊になってしまった。これはすべて、わたしが口を閉ざしたためです」

 これは一体どういうことだろう。訝しんだ紅妍が霹児に問おうとした時、渡り廊下にいた宮女長が声を張り上げた。

「やめなさい霹児。あなたは気が触れておかしくなっているのよ」

 どうやら宮女長は霹児に語ってほしくはないらしい。これに察した秀礼が手をあげる。従えてきた武官が宮女長を抑えた。
 そして清益がこちらに寄る。彼なりに事態を把握し、この鬼霊が楊妃であり、危害を加える気はないと察したようだ。

「話を伺ったところ、この霹児は秋芳宮で起きた『事』を目撃しているようです」
「ほう。では犯人も知っているのか」

 秀礼が訊いた。これに清益は笑みを浮かべて答える。

「はい。どうやらその者から、家族の命が惜しければ口を閉ざすようにと脅されていたようです。里で怯えておりました」
「それは話が早くて助かる――なに、犯人の見当はついているがな」

 そう言って秀礼は宮女長をちらりと見る。宮女長は武官に拘束されながら、顔を白くさせていた。紅妍も犯人が誰であるのかは察していた。答え合わせをするように泣き崩れていた霹児が語る。

「帝の寵愛を受けられず、子を成すこともできなかった楊妃様は秋芳宮の宮女より厳しい扱いを受けていました。宮女長や一部の宮女は春燕しゅんえんきゅうの者と親しく、春燕宮のえい貴妃きひ様は楊妃様を疎んじていましたから、色々な話をふきこまれていたようです。ついに楊妃様と宮女長が口論になったのは冬が訪れる前のことでした」

 はたはたと涙が地に落ちる。楊妃の鬼霊はまだ芍薬のそばから動こうとしなかった。表情が動かないため、その鼓膜が霹児の話を拾えているのかはわからない。

「その日わたしは庭に出ていました。そして楊妃様の悲鳴を聞いたのです。慌てて駆けつけるも既に楊妃様は倒れていました。胸から血を流し、襦裙や床に垂れている。そこにいた宮女長は駆けつけたわたしを見るなり口止めをしたのです――故郷に残した家族が惜しければ、このことは忘れるようにと」
「……それであなたは故郷に戻ったと」
「楊妃様に申し訳ない気持ちはありながらも、家族が大事だったのです。気が触れたと吹聴されても逆らえず口を閉ざしたのはわたしの意志が弱かったがため。楊妃様が鬼霊となったのはわたしの罪でございます」
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