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2章 いつわりの妃
4.芍薬に悔恨を(2)
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通されたのは確かに暗い部屋だった。その部屋の奥に人がいる。その人物は襦裙を着て、薄い衫を羽織っているようだ。手燭の灯りは頼りなく、細部までわからない。
「……冬花宮の華妃ですね」
彼女はそう口火を切った。柔らかな声である。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。病に伏せっていたものですから」
「病とは大変でしたね。体調はどうです?」
「無理はしないようにと宮医に言われております。光も風もあたらぬ部屋がよいと……」
ここで動いたのは秀礼である。彼は素知らぬふりをして、首を傾げた。
「それは初めて聞きますね。冬の頃から光も風も当たらぬ部屋に籠もるような病に罹ったんでしょうか」
「……え、ええ」
「それはぜひ詳細をお聞かせ願いたい。楊妃ならばご存知だと思いますが、いまの光乾殿はこういった話にうるさい。万が一、この病を帝が患えば大変ですからね」
楊妃はそこで黙りこんだ。言葉を探しているのだろう。代わりに答えたのは部屋の隅に控えていた宮女長だ。
「申し訳ありません。楊妃様はこの病についてあまり知らないものですから」
「なるほど。ではいまは聞かない方がよさそうだ」
宮女長に遮られたことで秀礼は引く。だが楊妃への疑念は晴れていない。今度は、紅妍が動く。
「秋芳宮の庭に花が咲いておりました」
「……咲いているのは芍薬でしょうね」
「ええ。楊妃も花が好きだと聞いたので、今日は冬花宮の庭に咲く花を持ってきました」
そうして用意してきた花を渡す。大きく開いた白の花だ。楊妃に手渡す。宮女長に手燭で照らしてもらいながら花をとくと眺めていた。
「ありがとうございます。とても美しい芍薬ですね」
その返答に紅妍の顔が凍りついた。
「楊妃は芍薬を好んでいて、牡丹と芍薬の違いがわかるのだとお聞きしました」
「……その通りです。わたし、芍薬が好きなので」
楊妃は花を愛でている。けれど、紅妍は確信を持っていた。立ち上がり、楊妃に告げる。
「ですが――あなたは楊妃じゃない。偽物の妃です」
この発言に場の空気がぴりと張り詰める。楊妃は驚いたような反応をしていたが、それよりも早く動いたのは宮女長だった。
「無礼ですよ! 楊妃様になんてことを言うのです」
「偽物をたてる方が無礼でしょう」
「何を根拠にそのような――」
紅妍は笑った。それはその花が示してくれる。
「残念ながら冬花宮に芍薬はありません。植えられているのは牡丹――わたしが渡したのは、白牡丹です。芍薬を好む楊妃がこれを見抜けないとは驚きでした」
牡丹と芍薬はよく似た花である。開いた花の状態で見分けるのは、花が好きな人でなければ難しいだろう。散り方や葉で見分ける者が多く、紅妍も葉の形を見て見分けるようにしている。
楊妃に渡したのは牡丹だ。見分けられるようあえて葉も残している。
「あなたが偽物の楊妃なら、思い当たる人物がいます。わたしが『花が咲いていた』と話しただけで、あなたは『芍薬』と答えた。ここの庭には他にも花が咲いているけれど、あなたはすぐに芍薬だとわかったのでしょう。だってわたしに庭を案内したのはあなただから」
庭の案内をしてくれた下級宮女は幼い顔をしていたが、背や髪は楊妃に似ている。顔つきや声は似ていないが、華妃と楊妃は初対面であるため部屋を暗くすれば誤魔化せると考えたのだろう。だが紅妍には花詠みがある。そこで楊妃の顔や声を聞いていた。花詠みで聞いた楊妃と、偽物の楊妃の声は異なっている。
「薄暗い中でも歩揺を挿していればわかります。あなたから歩揺が鳴る音は聞こえない。楊妃が好んで挿していたという銀歩揺はどうしたのでしょう」
ここに異を唱えたのが宮女長である。怒気をはらんだ声で叫んだ。
「楊妃様に何てことを仰います。楊妃様は眼病を患っていますから花の見分けがつかないのは当然のこと。歩揺も決めつけでしょう。華妃様は楊妃様のことをご存知ないはずです」
咄嗟の言い訳にしてはよく出来ている。眼病だと言われてしまえば言い返すのも難しい。
どうしたら暴けるだろうかと紅妍が唇を噛んだ時である。
空気が震えた。ずしりとのし掛かるように身が重たい。遠くの方から血のにおいがしている。
(間違いない。鬼霊が出た)
血のにおいはそこまで濃くない。この部屋にはいないのだ。となれば、紅妍は顔をあげる。
「華妃!」
この気配に気づいたのだろう秀礼が叫ぶ。紅妍も気づいていたのですぐに頷いた。宮女長や楊妃は素知らぬ顔をしていることから気づいていないのだろう。疎い者はどれだけ気が重たかろうがわからないのである。
紅妍は慌てて扉を開いた。外の光が一気に差し込んできたことで目が眩む。宮女長が何かを言っていたが構わず外を見やる。血のにおいを辿り、探した。
(おそらく、庭――紅芍薬の近くだ)
廊下は渡り廊下となっている。扉の横では藍玉が待っていた。血相を変えて突然部屋を出てきた紅妍に驚いている。
「藍玉、庭から離れて。鬼霊がいる」
「き、鬼霊!?」
この会話は室内にいた宮女長らも聞いていたらしい。楊妃は部屋に残っていたが、秀礼と宮女長は部屋を飛び出す。そして庭を覗きこんだ。
「いた。妃の鬼霊だ」
「……っ、あ、あれは」
宮女長の声が震えている。鬼霊を見たことよりも別のものに畏れているようだった。
「……冬花宮の華妃ですね」
彼女はそう口火を切った。柔らかな声である。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。病に伏せっていたものですから」
「病とは大変でしたね。体調はどうです?」
「無理はしないようにと宮医に言われております。光も風もあたらぬ部屋がよいと……」
ここで動いたのは秀礼である。彼は素知らぬふりをして、首を傾げた。
「それは初めて聞きますね。冬の頃から光も風も当たらぬ部屋に籠もるような病に罹ったんでしょうか」
「……え、ええ」
「それはぜひ詳細をお聞かせ願いたい。楊妃ならばご存知だと思いますが、いまの光乾殿はこういった話にうるさい。万が一、この病を帝が患えば大変ですからね」
楊妃はそこで黙りこんだ。言葉を探しているのだろう。代わりに答えたのは部屋の隅に控えていた宮女長だ。
「申し訳ありません。楊妃様はこの病についてあまり知らないものですから」
「なるほど。ではいまは聞かない方がよさそうだ」
宮女長に遮られたことで秀礼は引く。だが楊妃への疑念は晴れていない。今度は、紅妍が動く。
「秋芳宮の庭に花が咲いておりました」
「……咲いているのは芍薬でしょうね」
「ええ。楊妃も花が好きだと聞いたので、今日は冬花宮の庭に咲く花を持ってきました」
そうして用意してきた花を渡す。大きく開いた白の花だ。楊妃に手渡す。宮女長に手燭で照らしてもらいながら花をとくと眺めていた。
「ありがとうございます。とても美しい芍薬ですね」
その返答に紅妍の顔が凍りついた。
「楊妃は芍薬を好んでいて、牡丹と芍薬の違いがわかるのだとお聞きしました」
「……その通りです。わたし、芍薬が好きなので」
楊妃は花を愛でている。けれど、紅妍は確信を持っていた。立ち上がり、楊妃に告げる。
「ですが――あなたは楊妃じゃない。偽物の妃です」
この発言に場の空気がぴりと張り詰める。楊妃は驚いたような反応をしていたが、それよりも早く動いたのは宮女長だった。
「無礼ですよ! 楊妃様になんてことを言うのです」
「偽物をたてる方が無礼でしょう」
「何を根拠にそのような――」
紅妍は笑った。それはその花が示してくれる。
「残念ながら冬花宮に芍薬はありません。植えられているのは牡丹――わたしが渡したのは、白牡丹です。芍薬を好む楊妃がこれを見抜けないとは驚きでした」
牡丹と芍薬はよく似た花である。開いた花の状態で見分けるのは、花が好きな人でなければ難しいだろう。散り方や葉で見分ける者が多く、紅妍も葉の形を見て見分けるようにしている。
楊妃に渡したのは牡丹だ。見分けられるようあえて葉も残している。
「あなたが偽物の楊妃なら、思い当たる人物がいます。わたしが『花が咲いていた』と話しただけで、あなたは『芍薬』と答えた。ここの庭には他にも花が咲いているけれど、あなたはすぐに芍薬だとわかったのでしょう。だってわたしに庭を案内したのはあなただから」
庭の案内をしてくれた下級宮女は幼い顔をしていたが、背や髪は楊妃に似ている。顔つきや声は似ていないが、華妃と楊妃は初対面であるため部屋を暗くすれば誤魔化せると考えたのだろう。だが紅妍には花詠みがある。そこで楊妃の顔や声を聞いていた。花詠みで聞いた楊妃と、偽物の楊妃の声は異なっている。
「薄暗い中でも歩揺を挿していればわかります。あなたから歩揺が鳴る音は聞こえない。楊妃が好んで挿していたという銀歩揺はどうしたのでしょう」
ここに異を唱えたのが宮女長である。怒気をはらんだ声で叫んだ。
「楊妃様に何てことを仰います。楊妃様は眼病を患っていますから花の見分けがつかないのは当然のこと。歩揺も決めつけでしょう。華妃様は楊妃様のことをご存知ないはずです」
咄嗟の言い訳にしてはよく出来ている。眼病だと言われてしまえば言い返すのも難しい。
どうしたら暴けるだろうかと紅妍が唇を噛んだ時である。
空気が震えた。ずしりとのし掛かるように身が重たい。遠くの方から血のにおいがしている。
(間違いない。鬼霊が出た)
血のにおいはそこまで濃くない。この部屋にはいないのだ。となれば、紅妍は顔をあげる。
「華妃!」
この気配に気づいたのだろう秀礼が叫ぶ。紅妍も気づいていたのですぐに頷いた。宮女長や楊妃は素知らぬ顔をしていることから気づいていないのだろう。疎い者はどれだけ気が重たかろうがわからないのである。
紅妍は慌てて扉を開いた。外の光が一気に差し込んできたことで目が眩む。宮女長が何かを言っていたが構わず外を見やる。血のにおいを辿り、探した。
(おそらく、庭――紅芍薬の近くだ)
廊下は渡り廊下となっている。扉の横では藍玉が待っていた。血相を変えて突然部屋を出てきた紅妍に驚いている。
「藍玉、庭から離れて。鬼霊がいる」
「き、鬼霊!?」
この会話は室内にいた宮女長らも聞いていたらしい。楊妃は部屋に残っていたが、秀礼と宮女長は部屋を飛び出す。そして庭を覗きこんだ。
「いた。妃の鬼霊だ」
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宮女長の声が震えている。鬼霊を見たことよりも別のものに畏れているようだった。
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