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2章 いつわりの妃
3.花は語り手を待つ(1)
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藍玉を供にして秋芳宮に向かったのは数日後のことである。最初は訪問の遣いを送ったのだが待てども返事はなく、こうなれば直接伺うしかないと動いたのである。
ことわりなく伺うことは失礼にあたるのではないかと考えた華紅妍だったが、本来は楊妃から冬花宮へ挨拶に来るのが髙の後宮での礼儀である。楊妃に事情があるのならば文なりを出してくるのが筋だろう。それについては秀礼や甄妃にも相談の上だ。今回、紅妍が覗うことで問題は起きないよう立ち回っている。
(冬花宮から一番近い宮が秋芳宮だけど)
冬花門を出て歩きながら考える。内廷の中心には光乾殿があり、華妃である紅妍が住む冬花宮は北に位置している。秋芳宮は北西だ。冬花宮から最も近い宮が秋芳宮である。
宮を出ると塀に挟まれた通路を歩く。ここは塀と塀に囲まれているので日当たり少なく鬱屈とした印象がある。通路の中央部には石が敷かれているが端は敷かれていない。季を終えた連翹といった低木が植えられ、その根元には誰が植えたわけでもなく自然に育った蒲公英などの草花が咲いている。塀の影になるからか、蒲公英は山で見るものより小さく、大人しい咲き方をしていた。
紅妍が向かう方角は、いつぞや妃の鬼霊が向かった場所でもある。あの時は冬花門から覗き見るだけだったので、どこへ消えたのかまで終えなかった。だが間違いなく、この方向に向かっていた。鬼霊が近くで出れば嫌でもわかるものだが、今日は気配がしない。
(山でも何度か鬼霊を見たけれど、宮城の鬼霊とは違うな)
鬼霊は生きていた頃の姿をして彷徨う。華仙の隠れ里にいた頃、山を散策している途中で鬼霊を何度も見た。髙が安定する前、国同士の争いに巻き込まれて麓の村が相当な被害を受けたらしい。山中で無念の死を遂げた兵や逃げ惑った民が鬼霊として山中を彷徨っていたのである。彼らは生への妄執に駆られてひどい姿だった。それに比べ、宮城で見る鬼霊たちは死してなおも凜としているようだった。
鬼霊として彷徨うのは苦しみを伴う。死の契機となった傷に咲く紅花は、鬼霊に痛みを与えるのだそうだ。山中で会った民兵の鬼霊がそれを教えてくれた。鬼霊となってすぐは自我が残っているのだという。だが紅花による痛みや生死の狭間に存在する葛藤で己を忘れ、人を襲う鬼霊となるのだそうだ。その鬼霊は故郷に残した家族への心残りがあり、死する前にしたためた文を守るという強い想いで自我を保っていた。洞穴に潜みながら文を託せる者を待っていたのである。
(妃の鬼霊も苦しんでいるはず。できることなら祓ってあげたい。鬼霊は悲しい存在だから)
鬼霊を苦しめる紅花の痛みがどれほどであるのか、生者である紅妍には知る術がない。だが理解はできずとも、歩み寄りたいと思う。
秋芳宮は閑散としていた。冬花宮も他宮に比べれば宮女が少ない。これは紅妍の希望であり、他者が多いと煩わしいからと秀礼らに伝えている。秋芳宮はその冬花宮よりも活気がなく、ひどく冷えた場所のように感じた。
秋芳門をくぐると紅妍らの来訪に気づいた宮女が慌てて駆けてきた。幼い顔をし、深衣を着ていることから下級宮女だろう。
「何用でしょうか」
下級宮女の問いに答えるため、藍玉が紅妍の前に立つ。
「冬花宮から参りました。楊妃にお会いしたいと遣いを出したのですが返答がなかったので伺いましたの」
「冬花宮……華妃様……」
ぼそぼそと下級宮女が呟く。どうやらこの宮女は、冬花宮に新しい妃が入ったことを知らなかったらしい。思案の後、「少々お待ちください」と告げて秋芳宮に戻っていった。
少し待つと、下級宮女と共に宮女長がやってきた。
「冬花宮の華妃様ですね」
秋芳宮の宮女長が揖する。その表情は冷えていて、それをぴくりとも動かさずに告げた。
「楊妃様は体調を崩しておられます。本日はお会いになられません」
「まあ。体調を崩しているの? 随分と長く臥せっておられるのですね。最近楊妃様のお姿を見かけないものだから気にしていましたの」
ある程度は知っているだろうに、藍玉が知らぬふりをして問う。ちらりと見やれば清益に似た微笑みを浮かべていた。それから用意してきた果物を出す。早摘みの枇杷だ。
だが宮女長はそれを受け取ろうとしなかった。秋芳宮に紅妍をあげる気はないらしい。枇杷の入った籠を睨み、そこから一歩も動こうとしない。
「楊妃様は誰ともお会いになられません」
頑なに繰り返す。どうやら宮女長を説得するのは厳しいようだ。
紅妍は一歩ほど前に出る。それに気づいた藍玉がさっと後ずさった。
「では日を改めましょう。こちらの枇杷と共に、快癒を願っておりますと楊妃に伝えてください」
「はい」
だがこれで折れるつもりはない。紅妍はまだ動こうとしなかった。
「庭を拝見してもいいでしょうか。帰る前にあの綺麗な花を見ていきたいのです」
ことわりなく伺うことは失礼にあたるのではないかと考えた華紅妍だったが、本来は楊妃から冬花宮へ挨拶に来るのが髙の後宮での礼儀である。楊妃に事情があるのならば文なりを出してくるのが筋だろう。それについては秀礼や甄妃にも相談の上だ。今回、紅妍が覗うことで問題は起きないよう立ち回っている。
(冬花宮から一番近い宮が秋芳宮だけど)
冬花門を出て歩きながら考える。内廷の中心には光乾殿があり、華妃である紅妍が住む冬花宮は北に位置している。秋芳宮は北西だ。冬花宮から最も近い宮が秋芳宮である。
宮を出ると塀に挟まれた通路を歩く。ここは塀と塀に囲まれているので日当たり少なく鬱屈とした印象がある。通路の中央部には石が敷かれているが端は敷かれていない。季を終えた連翹といった低木が植えられ、その根元には誰が植えたわけでもなく自然に育った蒲公英などの草花が咲いている。塀の影になるからか、蒲公英は山で見るものより小さく、大人しい咲き方をしていた。
紅妍が向かう方角は、いつぞや妃の鬼霊が向かった場所でもある。あの時は冬花門から覗き見るだけだったので、どこへ消えたのかまで終えなかった。だが間違いなく、この方向に向かっていた。鬼霊が近くで出れば嫌でもわかるものだが、今日は気配がしない。
(山でも何度か鬼霊を見たけれど、宮城の鬼霊とは違うな)
鬼霊は生きていた頃の姿をして彷徨う。華仙の隠れ里にいた頃、山を散策している途中で鬼霊を何度も見た。髙が安定する前、国同士の争いに巻き込まれて麓の村が相当な被害を受けたらしい。山中で無念の死を遂げた兵や逃げ惑った民が鬼霊として山中を彷徨っていたのである。彼らは生への妄執に駆られてひどい姿だった。それに比べ、宮城で見る鬼霊たちは死してなおも凜としているようだった。
鬼霊として彷徨うのは苦しみを伴う。死の契機となった傷に咲く紅花は、鬼霊に痛みを与えるのだそうだ。山中で会った民兵の鬼霊がそれを教えてくれた。鬼霊となってすぐは自我が残っているのだという。だが紅花による痛みや生死の狭間に存在する葛藤で己を忘れ、人を襲う鬼霊となるのだそうだ。その鬼霊は故郷に残した家族への心残りがあり、死する前にしたためた文を守るという強い想いで自我を保っていた。洞穴に潜みながら文を託せる者を待っていたのである。
(妃の鬼霊も苦しんでいるはず。できることなら祓ってあげたい。鬼霊は悲しい存在だから)
鬼霊を苦しめる紅花の痛みがどれほどであるのか、生者である紅妍には知る術がない。だが理解はできずとも、歩み寄りたいと思う。
秋芳宮は閑散としていた。冬花宮も他宮に比べれば宮女が少ない。これは紅妍の希望であり、他者が多いと煩わしいからと秀礼らに伝えている。秋芳宮はその冬花宮よりも活気がなく、ひどく冷えた場所のように感じた。
秋芳門をくぐると紅妍らの来訪に気づいた宮女が慌てて駆けてきた。幼い顔をし、深衣を着ていることから下級宮女だろう。
「何用でしょうか」
下級宮女の問いに答えるため、藍玉が紅妍の前に立つ。
「冬花宮から参りました。楊妃にお会いしたいと遣いを出したのですが返答がなかったので伺いましたの」
「冬花宮……華妃様……」
ぼそぼそと下級宮女が呟く。どうやらこの宮女は、冬花宮に新しい妃が入ったことを知らなかったらしい。思案の後、「少々お待ちください」と告げて秋芳宮に戻っていった。
少し待つと、下級宮女と共に宮女長がやってきた。
「冬花宮の華妃様ですね」
秋芳宮の宮女長が揖する。その表情は冷えていて、それをぴくりとも動かさずに告げた。
「楊妃様は体調を崩しておられます。本日はお会いになられません」
「まあ。体調を崩しているの? 随分と長く臥せっておられるのですね。最近楊妃様のお姿を見かけないものだから気にしていましたの」
ある程度は知っているだろうに、藍玉が知らぬふりをして問う。ちらりと見やれば清益に似た微笑みを浮かべていた。それから用意してきた果物を出す。早摘みの枇杷だ。
だが宮女長はそれを受け取ろうとしなかった。秋芳宮に紅妍をあげる気はないらしい。枇杷の入った籠を睨み、そこから一歩も動こうとしない。
「楊妃様は誰ともお会いになられません」
頑なに繰り返す。どうやら宮女長を説得するのは厳しいようだ。
紅妍は一歩ほど前に出る。それに気づいた藍玉がさっと後ずさった。
「では日を改めましょう。こちらの枇杷と共に、快癒を願っておりますと楊妃に伝えてください」
「はい」
だがこれで折れるつもりはない。紅妍はまだ動こうとしなかった。
「庭を拝見してもいいでしょうか。帰る前にあの綺麗な花を見ていきたいのです」
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