一途に好きなら死ぬって言うな

松藤かるり

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12.積み上げて繋いだ<9月18日>

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 その日の放課後。私たちはハナ先生と共に兎ヶ丘会館に向かった。
 町内会会議の内容は、二十日から三日間行われる月鳴神社例大祭について。
 会館には町内会役員の他、月鳴神社の関係者や例大祭の支援をしている近隣企業といった大人たちが集まっている。兎ヶ丘高校ボランティアからはハナ先生一人の予定だったけれど、今日は私たち五人もいる。邪魔にならないよう部屋の隅に腰掛けた。

「あんれハナちゃん。今日は子だくさんだねえ」

 町内会副会長のバッジをつけた人がこちらにきて、にかりと笑った。五十代のハナ先生よりも年上の、七十代ぐらいのおじいちゃんだ。

「ごめんねえ増えちゃって。今年は生徒たちのやる気がすごいもんだから」
「いいこといいこと」

 その後はハナ先生と世間話をはじめてしまったので、私は隣に座っていた古手川さんに耳打ちをした。

「古手川さんのおじいさんって町内会役員だったんだよね?」
「うん。亡くなるまで副会長だった」
「知り合いとかいる?」

 淡い期待をしたけれど、古手川さんは首を横に振って答えた。

「ごめんね。あんまりわからないの。ポスター四枚目の話に協力できたらよかったんだけど」
「ううん、大丈夫」

 そうしているうちに、室内の空気が静かになっていく。いよいよ会議がはじまろうとしていた。
 最初は、三日間の役割分担の確認。町内会でもいくつかのグループに分かれているらしく、班によって設営範囲が変わるらしい。屋台の設置も手伝うことがあるようだ。
 司会を担当する副会長さんが壇上にあるホワイトボードの前で声を張る。

「えー。初日、つまり二十日ですね。この日は午前中から皆さんに動いていただきますのでよろしくお願いします。我々もう年なんでね、みなさん早起きは得意だと思いますから、朝からきびきび動きましょう」

 室内にどっと笑い声が響き渡る。会議と名はつくけれど畏まったものではなく、時折笑い声が聞こえるようなほのぼのとした雰囲気だ。

「例年通り初日と二日目は高校生ボランティアさんのご協力を頂きます。今年も誘導や迷子案内、ゴミ拾いなどご協力いただければ」

 そこでハナ先生が立ち上がった。

「どうも毎年お邪魔してます。今年はね高校生たちのやる気十分ですから、どんどん頼ってください。よろしくお願いします」

 ハナ先生が頭を下げると拍手が聞こえた。先生は去年も一人でここにきて、打ち合わせをしていたのだろう。学校にいるだけでは見えない苦労に触れている気がした。

「じゃあ先に今年のポスターを見せてもらおうかね。今日預かって、設営の時に貼っておくから」
「はい。じゃあホワイトボードの方に――鬼塚さんと鷺山くん、手伝って」

 紙袋を持って私も立ち上がる。紙袋の中に入っているのは守り隊が作ったポスター四枚だ。
 鷺山と分担してホワイトボードに貼り付ける。四枚目を貼った時、町内会の人がざわついた。

「一枚多いんじゃないかい?」

 副会長さん、そして会長のバッジをつけたおじいさんも目を見張っている。掲示された枚数を数えているのか頭がかくかくと上下に動いている人も。

「今年は出来がいいから、よかったら四枚貼って頂きたいと思いまして」

 ハナ先生が答える。けれど周囲の反応はあまりよくなかった。

「ゴミ投棄は例年通りだからいいとして、防犯ねえ……」
「去年の時に、問題って起きてたか?」
「ねえなあ。兎ヶ丘はのんびりしてっから」

 中でも防犯標語のポスターに不服そうなのは副会長さんだった。眉間に皺をよせて睨みつけている。

「お祭り中に事件が起きたことは過去にないんですよね。前例にないものを注意しようと言われても。それなら現在困っているゴミ投棄問題とか落とし物、迷子の方が問題だと思うんですよ」

 その意見に周囲が頷いている。
 私にとっては嬉しくない展開だ。このままだと四枚目の掲示どころか三枚目すらどうなるか怪しい。動かなければと気が急いた。

「あ、あの!」

 声をあげると、部屋がしんと静まった。一斉にじろりとこちらを見るものだから、振り絞った勇気を忘れそうになる。大勢の注視は居心地が悪い。

「……防犯をテーマにしたのは私です。今の兎ヶ丘に必要だと思って、作りました」
「そりゃわかるけどもさ」

 町内会の一人が言う。

「防犯ってのは大事だけどもよ。何も例大祭の時でなくたって」
「お祭りで気分が浮ついている時だからこそ、気をつけなきゃいけないと思います」
「みんなお祭り行って出歩く、旧道も人がいる。人がいるところに事件は起きないんだよ」

 大人に意見することはとても怖い。自分よりも遥か年上の、名前もわからぬおじいさんだから余計に。竦み上がりそうだけど、ぐっと拳を握りしめる。
 負けちゃいけない。私は未来を知っているのだから。

「そうやって油断している時こそ、悪いことを考える人がでるのだと思います。お祭りだから施錠していないかもしれない、貴重品だって置いたままかもしれない。私がもしも空き巣だったら、お祭りに出かけて誰もいない家を狙います」

 強く言い返すと再び室内がざわついた。
 私が言い返したことはよくなかったのかもしれない。ハナ先生が少しだけ足を前に出す。じろりと向けられた視線は、私を窘めているようだった。

「お姉ちゃんが言うことはその通りだけどなあ」
「俺は例年通りでいいと思うぞ」
「うん。他にもポスター候補ってないのかい?」
「ほれ向井さん、会長からも一言お願いしますよ」

 例年通り、という言葉に打ち勝つことは難しい。部屋のどこを見ても反応は同じだった。

「香澄さん……」

 鷺山がこちらを見て呟いた。だめかもしれない、というニュアンスの声音。鷺山もこの空気を読み取って諦めているのだろう。
 どうしたらいい。何か、できることは。
 頭を巡らせる。四枚目の掲示を許してもらえるような方法は――
 そこで、扉が開いた。

「すみません。遅くなっちゃいました」

 入ってきたのはどこかで見たことのあるおばあさんだった。ぺこぺこと頭を下げながら町内会の席へと歩いていく。
 そして、おばあさんが壇上の方へ視線を送った時だった。

「あら。香澄ちゃん!」

 名前を呼ばれたけれど、相手の名前はわからない。確かにどこかで見た気がするけれど。まばたきを数度しながら思い出そうとしているうちに、おばあさんが微笑んだ。

「あの時は財布を届けてくれてありがとうねえ」
「あ――あの時の!」

 おばあさんはぺこりと頭を下げた。それから、会長のバッジをつけたおじいさんに言う。

「あなた、あの子がいつぞや話した香澄ちゃんなの。あの子がいなかったら、私きっと財布を取られていたわ」

 その言葉を聞いて反応したのは、防犯なんて必要ないと言っていた副会長さんだった。

「え? 奥さん、そんなことあったのかい?」
「日曜日にね。コンビニの近くで変なお兄さんとぶつかったのよ、その時に財布を抜き取られちゃったみたいで」
「それスリじゃないか」

 先ほどまで反論していた人たちが「町内会長の奥さんが」「スリだって」とひそひそ話している。
 風向きが変わった。のんびりしていて平和だと信じていた兎ヶ丘で、身近な場所で、悪いことが起きる。その事実に驚き、怖がっているようだった。

 ざわつく室内で、町内会長が立ち上がる。そして私の方を向き、頭を下げた。

「君が鬼塚香澄さんですね」
「は、はい」
「その節は、家内を助けていただきありがとうございました。ここでお会いできてよかったです」

 視線はポスターへ。すっと細まった瞳から、穏やかなまなざしが送られる。

「解決したからと忘れていましたが、兎ヶ丘でもこういったことが起きているのは事実。あなたの言う通り、例大祭の間だって気を緩めてはいけない」
「そうですねえ。お祭りは楽しいものだけれど、そういう時こそ何が起きるかわかりませんから」

 町内会長と、その奥さんが頷く。

「特にこの目のポスターは印象的だ。誰かに見られていると思えば悪さはできないね――これを作ったのも、香澄さんが?」
「はい。私と友人たちで作りました」

 部屋の隅にも注目が集まる。古手川さんと藤野さん、篠原はそれぞれ注目を浴びて恥ずかしそうにしていた。

「皆さん、ありがとう。今年のポスターも素敵です」

 そして町内会長は私と鷺山の前にやってくる。穏やかな表情だった。

「高校生たちが教えてくれた大切なことです、全て貼りましょう。一枚増えたって構いません。君たちが作ったものは必ず掲示します」

 私はぽかんとしていた。自分の願いが叶ったというのに実感が沸かなかったから。
 おばあさんが町内会長の奥さんだと知らなかった。一つの偶然が、事態を好転させたのだ。私の言葉で動かしたわけじゃない。オセロのひっくり返る駒みたいに、ぱたぱたと変わっていく室内を眺めるだけだった。
 私ではなく、他の人が、助けてくれた。
 隣に立つハナ先生はにっこりと笑った。

「やったじゃないか。あんたたちの頑張りが認められたよ」
「でも……これって頑張りにはならないと思います。私、ここで突っ立って見てるだけでしたよ」
「何言ってんだ。あんたが町内会長の奥さんを助けた。そこで作り上げたつながりがこの結果を生んだんだ。胸を張りなさい」

 ハナ先生が私の背中をバンと叩いた。なかなか強い力だったけれど、諭す声は柔らかくて優しい。

「物事にはね、どれだけ努力したって叶わないことがある。自分じゃどうしようもない時がある。でも他の人だったら、それが叶うかもしれない」

 まさしく今の状況だ。ここに、町内会長の奥さんが現れなかったら、四枚目のポスター掲示は叶わなかった。私の力じゃ届かなかった。

「これはね他力本願って言わないんだ。人の繋がりは宝物、その繋がりを作ったのはあんたの優しさだよ。今日手に入れた結果は、積み上げてきたものが生んだものだ。素直に喜びなさい」
「……はい」

 そこまで言い終えたところで、ハナ先生の声のトーンがぐっと下がった。眉根をよせ「それにしても、」と嫌な予感がする物言いで話題を変えた。

「スリの話はちょっと聞いてないねぇ。あとで先生にも教えてもらえるかい? そんな大事なこと、なんだって学校に報告してないんだ」
「あー……そのうちで……」

 逃げるように会場の隅へ目をやれば、藤野さんや古手川さんの喜ぶ姿や、ガッツポーズを取る篠原が見えた。
 みんなで作ったものが、想いを込めたテーマが伝わったのだ。じわじわと喜びがこみ上げてきて、手が震えた。
 会長の奥さんはホワイトボードに掲示された『飲み過ぎ注意』のポスターをじっと見て言った。

「この飲み過ぎ注意ってのも面白いですねえ。本当に気をつけないと。大変なことが起きて、やれ酔っていたから動けませんでしたなんて言い訳をすれば、しっかりした高校生さんに笑われちゃいますよ」

 これには町内会長さんも副会長さんも笑った。

「本当ですね。今の高校生たちはしっかりしてる」
「飲み過ぎは体にもよくないからなあ」
「これも気をつけましょう。特に二十二日は、高校生ボランティアなしですから。今年は、お酒を飲むのは祭りが終わってからにしましょうか」

 談笑しているけれど、町内会の空気は確実に変わっていた。身近で事件が起きていたと知り、意識が変わったのだろう。


 会議はまだ続いていたけれど、私たちは途中で帰ることになった。あとは町内会と月鳴神社の打ち合わせになるらしく、高校生たちはいなくても構わないとのことだ。
 ハナ先生の車でそれぞれの家まで送ってもらう。その道中で篠原が藤野さんに声をかけた。

「藤野ってさ、二十二日は家にいるんだよな?」
「うん。そうだけど」
「……ふーん」

 篠原から声をかけておいてそれで会話が終わるのか。ツッコミを入れたくなったけれど外野なので何も言えない。

「でも家で一人お留守番って、なんだか怖いかも。心配だな」

 古手川さんが呟くと、なぜか篠原がすごい勢いで振り返り、やかましいほど頷いて同調している。本当に騒がしいやつだ。
 みんなのやりとりを眺めながら、私はぼんやりと考えていた。
 私に出来ることはまだあるのだろうか。ポスターだけで藤野さんの家に泥棒が入らなくなるとは、やはり思えない。未来を変えたいのなら、鷺山を生かすならもっと出来ることがあるはず。
 篠原と楽しそうに喋っている藤野さんを見る。もしも事件が起きてしまえば、藤野さんは大怪我をする。肩の怪我は、今後に影響を与えるのかもしれない。例えば、剣道部を続けられなくなるような。
 藤野さんが怪我をしたら――ここで彼女を引き止めていたら怪我せず救えたのかと、篠原や古手川さんは悔やむのだろうか。
 そして私も、悔やむと思う。

「藤野さん」

 声をかけていた。藤野さんだけじゃなく、篠原も古手川さんも。みんなが悲しむ二十二日は嫌だから。

「一人で家にいる時、何かが起きたら……戦わないで身を守って」

 藤野さんに向けた言葉は、狭い車内に響き渡って、運転席のハナ先生を除いた四人の注目が集まる。特に隣の鷺山は息を呑んでいた。

「鬼塚さんったら、なーに心配してるのよ。大丈夫、竹刀置いとくから。変なやつ来てもスパーンと一撃食らわせちゃるもん」
「だめ」

 予知で見た二十二日、不審者は藤野さんのことを『凶暴女』と言っていた。おそらく竹刀で抵抗したのだと思う。だから怪我をしたのかもしれない。

「抵抗も反撃もだめ。身を守ること。できることなら逃げて」
「……鬼塚さん」
「心配だから言ってる。絶対に怪我しないで」

 明るく振る舞っていた藤野さんも、私の様子から察したらしい。表情は真剣なものへと変わり、それから頷いた。

「わかった。気をつけるよ」
「絶対だからね」
「わかったってば。もー、鬼塚さんに言われると、本当に何か起きそうで怖くなるー!」

 この会話に混ざったのが篠原だった。

「仕方ないから俺が行ってやろうか? ポテチ二袋とコーラでボディーガードしてやるけど」
「篠原が来たら即通報」
「俺だけ扱いひどくない!?」

 二人はけたけた笑っているけれど、篠原がいた方がいい気がする。でもそれは怪我人を増やす最悪の選択になるのかと躊躇って、私は何も言わなかった。
 ハナ先生の車は藤野さんの家に着く。藤野さんが降りて、車が次に目指すは古手川さんの家だ。ハンドルを切りながら先生がみんなに聞く。

「明日は休みでしょ。どうするの?」

 明日は土曜日。学校が休みのため明日から四連休になる。次の登校日は例大祭が終わってからだ。

「俺は部活っすねー」
「私も秋の展示に向けて部活です」
「篠原くんも古手川さんも頑張ってるねえ、いいことだ。鬼塚さんと鷺山くんの帰宅部組は?」

 私は特に予定がないけれど。隣に座る鷺山をちらりと見ると、眼鏡をずいと持ち上げながら言った。

「明日は実家に行きます」
「は? 実家?」

 素っ頓狂な声をあげたのは篠原だ。

「僕、一人暮らしなので。たまには実家に顔を見せてこようかと」
「まてまてまて。そんなの聞いてねーぞ」
「そうですね。篠原くんに話す必要性はなかったので」

 混乱している篠原が可哀想になるほど、鷺山は正論を語っている。どうやら古手川さんも一人暮らしのことは知らなかったらしい。ハナ先生は事情を知っているらしく「あー……」と意味深な相づちを打っていた。

「あんたも大変だね。実家は県外だろ?」
「日帰りなので守り隊は参加できます」
「無理しなくていいよ。せっかく家族と会えるんだから」
「いえ、僕が長居したくないので」

 どういうことだろう。鷺山の家族の話は聞いていなかった。気になるけれど聞いていいのだろうか。悩みながらも様子を窺っていると、視線に気づいたらしい鷺山が口を開く。

「気になりますか?」
「そりゃ……まあ」

 篠原とハナ先生と古手川さんが何やら楽しそうに話している。その隙にと、私にしか聞こえない小さな声で鷺山が言った。

「母に顔を見せるだけです。最後ですからそれぐらいは」
「母にって……お父さんは?」
「両親は離婚して、父はどこに行ったのかわかりません。僕を引き取ったのは母ですが、今は再婚して新しい父親がいます」

 ずきん、と胸が痛む。明日家族に会えるというのに表情が晴れないのは、実家の居心地が悪いからなのだろう。

「新しい父とはあまり親しくありません。年の離れた弟がいるので、僕が家にいると邪魔になってしまうみたいです」
「それで一人暮らししてたんだ」
「はい。家を出て県外の高校に通うことを誰も反対しませんでした。父や弟は喜んでいたので、今の家族にとって僕が家を出るのは良いことだったと思います」

 言い終えると、鷺山は深く息を吸いこんだ。わずかに緊張しているように見える。最後だからと理由をつけても実家に帰るのは勇気がいるのかもしれない。

「明日がんばって。兎ヶ丘で待ってるから」

 私が言うと、鷺山は驚いたように目を見開いて、それから頷いた。

「……変わりましたね」
「そう?」
「今までの香澄さんなら、藤野さんに起きることも他人だからと片付けそうだったのに、怪我をしないようにと忠告していた。雰囲気が柔らかくなりました」
「それって、よくない変化?」
「どうでしょう。僕はどちらでもいいと思います。どちらも香澄さんですから」

 今までの自分らしくない行動は確かに増えている。ポスターのことだって、あそこまで執着せず諦めていたと思う。藤野さんたちの協力も断って一人で進めようとしていたはずだ。
 いつから変わりだしたのだろうと思い返す。
 辿って、思い出せば。変化が生じた瞬間は鷺山がいた気がする。この男と出会ってから、私は変わり始めている。
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